淡く、儚い
霧のような灰色の空からふわりと乾いた雪が舞い落ちては、氷を粉末にしたような霜が固まる地面に消えていく。ゲイヴリルが窓の外を見ると、真っ白い雪の中にどこかしら心細そうにシスリーが立っていた。
(はあ…、自分で言うのもなんだけど、未練がましいのかなあ)
声をかけようか迷ったが、自分が思うよりも先にゲイヴリルの足は彼の元に向かっていた。
「こんばんは、シスリー様」
「‥ゲイヴリル王女」
「こんなところでぼーっとしてたら、身体を壊すよ?」
なるべく明るい表情を作り、雪が落ちていく様を彼の隣に並んで見てみた。こちらはヴァルカンクほどの極寒ではないが十分凍える気温だった。しかし、なぜか体内の熱が上がってくるように感じて、寒さをまるで感じなかった。
「…考え事をしている。考えなければならないことも、少なくないから」
「考え事、ねえ。どうせシャンイ様のことでしょ」
「‥‥‥ごほん、まあ」
気まずそうに目を背けるシスリーだったが、よく見れば少しだけ顔が赤い。
予想通りの反応にも関らず、心のどこかの棘が刺さったようにずきりと傷んだ。
「も、もう、ほんと妬けるなあ。…少し羨ましいよ」
「まあな・・でも。」
「でも?」
「いつも不安だ」
短くそれだけ言うと、彼の表情はどこかふさぎ込んでいるようで、胸がざわついた。
「…どうして?」
「何で、そんなこと」
つい、心の中を探ろうと、真っすぐに見つめてしまい、二人の視線がぶつかった。
「!…あ、えっと。実は今、お、乙女心の研究中なんだッ!ほら、シスリー様ってそーいうの鈍そうだしさ!なに何、お姉さんに話してみなよ?!」
「お姉さんて…たしか俺の方が年が上だ」
「そ、そうだっけえ??ほら、でもさ、話してみたらすっきりするかもだよ?心配事はなくすに限る!」
(う。うーん、す、少し苦しいかな?)
誤魔化しと焦りとがないまぜになり、妙なことを口走ったものだとちょっとだけ落ち込んだ。
だが、呆れるでもなくシスリーはただ静かに笑った。
その笑顔がなんだかとても尊いもののように見えて、見ているだけでどきりと心臓が飛び跳ねると早鐘を打つ。
「そうだなあ、じゃあ、例えば…」
「う、うんっ?!」
「例えば、ある男が一人の女性を愛していたとして…、女性もその男を時期もあったが、別れて。」
「…それ誰の話??」
「まあ、たとえ話だ。とにかく、その男は彼女をストーカーになってまで彼女を追いかけたとして…そうまでして自分を愛した男が、よりを戻そうって言ったら…彼女はどうするんだろう?」
「そりゃ全力で断るでしょ」
「・・え」
たとえ話。にしては重たい話だったが、ゲイヴリルは迷わず答えた。
「…回答が早いな。そんなものなのだろうか?」
「だってストーカーだよ?お近づきになりたくないし、そんなの重たいだけだよ。ちなみにその彼女は他に恋人がいるの?」
「ま、まあいる。」
「ふうん」
誰とは言わないが、恐らくその彼女はシャンイ様のことだろうと予想をつけて、答えた。
「———なら余程のひどい男じゃない限り、昔の恋人より今目の前にいる人との未来を考えるはずだよ、きっと」
「そ…そうか?」
心なしか安心したようにシスリーが答える姿を見て、思わず苦笑してしまった。
「…でも、だとしたら、その旧恋人の想いは叶わず、一生片想いになるね」
「え…」
「逆にさ、シスリー様だったらどうするの?」
ゲイヴリルはそう言うと、くるりと背を向けた。
彼には今の自分の表情を見てほしくなかったから。
「だって、想っても想っても…その恋は叶わないんだよ?…絶対に。どうやったら、諦められるかな」
泣きたいような、叫びだしたいようなそんな気持ちで舞い落ちる白い雪を見つめた。本当、こういうのはどうやってみんな決着をつけるんだろう?
「‥そうだな、俺なら最後まで想い切る、かな」
「想い切る?それって、諦めないってこと?」
「とことんまで向き合って、そしたら、いつか忘れられる日が来るかもしれない。‥その時まで」
清々しいまでにはっきりとしたその言葉を彼はどんな顔で告げたのだろう?ゲイヴリルが振り返ると、シスリーは遠く、恐らく菱都の方を真っすぐに見つめていた。
「諦められる、その時まで。想うのはやめられない」
ああ‥その瞳は決して自分を映すことはないだろう。そんなの、わかり切ってる。
この恋は絶対に叶わないって、遠回しに宣告されたようなものだ。
(それじゃ、一生叶わないってことじゃない。‥でもこの想いは絶対に言わない。彼は優しいからきっと気にしてしまう)
自分が泣きそうな顔をしているのを隠すために、そのまま思い切り彼に抱き着いた。
「!?」
一瞬硬直したように彼の身体が固まるのがわかった。ただ、ほんのわずかでも自分の想いを伝えられたらと、抱きしめて支えてくれているぬくもりに全身を預ける。
「…あはは、転びそうになっちゃった。ごめんごめん」
「だ、大丈夫か?」
そっと、気づかれないように腕から逃れると、できるだけの笑顔で向かい合った。
「だめだなあ、そこまで相手を想うなんて、シスリー様だってストーカじゃないか!」
「なっ・・す、ストーカー意味が違うだろう」
「違わないよーヘンタイへんたーい!‥まったく。そろそろ寒くなってきた~乙女相談はこれで終わりだよ!」
どれくらいの時間を過ごしていたのだろう。周りはすっかり雪で白く覆われていた。
「…ゲイヴリル?」
「大丈夫だよ、…大丈夫、きっとシャンイ様は取り戻せるよ!」
「…そうだな。ありがとう、…風邪ひくなよ」
「うん」
(静かに笑うその顔が好きだよ。いいなあ、あの笑顔。相も変わらず胸が高鳴るけど、それもいいんだ、きっと)
真っ白い地面に靴跡を残しながら歩いていると、向こうからミュリエル達一向が戻ってくる姿が見えた。見れば、見慣れない壮年の男性の姿も見える。
「お兄様!!無事ラジエル提督のご助力をいただいてきましたわ!」
誇らし気に微笑むミュリエルの笑顔が眩しく光る。その笑顔に安堵しながら、迎えた。
「初めまして、エサルエスの国王陛下、シスリー殿。私はラジエル。これでも菱の南部地方を任されている。…私の孫がご迷惑をおかけしていたみたいで、大変申し訳ない」
無骨な物言いではあるが、それが逆に好感を持てた。菱式の立礼をすると、ラジエルは真っ白い歯を見せて笑った。
「おかえり、ミカ」
「ただいま、ゲイヴ‥‥どうした?大丈夫?」
ミカエラが心配そうに顔を覗き込んでくる。こういう時の感情の機微はミカエラには絶対看破されてしまうので、言葉を濁した。
「大丈夫。後で話すよ。‥とりあえずうまくいったみたいで、良かったよ」
「うん…」
それ以上は聞かずにミカエラが頷くと、後ろで気難しそうに考え事をしていたライが、二人に向かい合った。
「…この度はミカエラ殿、貴方に助けていただきました」
「いいえ。ライ皇子、貴方が行動したから、全て今につながったのです」
「そう、言っていただけて本当にありがたいです」
ミカエラの言葉にライは本当にうれしそうに微笑んだ。すると、なんとなくゲイヴリルとも視線がぶつかる。
「えーと、ゲイヴリル王女…は、少しだけ目が赤いような」
「余計なお世話です、ライ皇子。…不躾では?」
「いいえ、美しい女性の涙をふくためにこの私の手はあるのです、王女」
そう言ってそっとハンカチを渡されたのだが、それは丁重にお断りした。
「はあ、何かハンカチって…因縁を感じるなあ…にしても、ライ皇子、そんな気障な物言いでときめく女性はそういませんよ?」
「・・え?!そうなのか?」
心底驚いたような様子のライに、ミカエラとゲイヴリルは爆笑してしまった。
**
遠く、菱宮殿にて。
「誰も来ない‥‥」
シャンイは今日も粛々と自分の寝台にかけられている布類を一つひとつ強固な結び目を作って縛っていた。現実、ここ数日誰もこの離れの宮には訪問者がなかった。
昨日までは一日に一度、顔色の良くない女官が食事を運んでくれていたのだが、今日にいたってはその女官ですら姿を見せなかった。
「明らかに何かあったに違いないんだろうけど…」忌々しい身体のだるさは抜けないので、ランセの術が聞いている証拠だろう。
すると、けたたましい足音が響き渡り、突如静寂を破られた。
ガチャがガチャと鍵を開ける音がすると、髪の乱れたリオウが姿を現した。
「?!」
「‥‥菱の守り神…!」
ずかずかとこちらに向かってくると、シャンイの手首を思い切り掴み、持ち上げた。身長差も災いして、完全に足元が浮いてしまう。
「きゃあ?!!」
「お前は、この国を守るのだろう?!‥早くこの風病を直せ」
「な、何?言ったはずよ、私にはそんな力は持っていないって!全部あなたが私を利用するためでっち上げた嘘じゃない!!」
見れば、リオウの顔色は土気色で息も荒い。
「まさか‥貴方も流行り病に…」
言いながら、ぞっとした。この風病がどんなものかは知らない。ただ、それはだれしも移る可能性があり、自分も例外ではないということはシャンイも知っている。
「治せないのか‥?」
先日まであった余裕の表情は見る影もなくなり、みるみる絶望の色が濃くなってゆく。
「あいつ‥あいつ…!!あいつはお前がいれば至宝はそろうと!そうすれば私は玉座を得ると!!!そう約束したはずなのに!!!!」
「…!!」
シャンイの身体が力任せに寝台に打ち付けると、リオウは血走った瞳で馬乗りになった。
「あの呪術師はお前がよほど大切と見える‥そのお前が私に辱められ、病を発症したなら…奴も黙ってはいられないだろう…!私は一人で死なん!!」
「い、いやだ!やめてよ!!」
荒い息遣いと共に柔らかいものが首筋をなぞると、やがて湿った感触が頬から唇へ走る。渾身の力で入り込んだ舌に噛みつき、身をよじって抵抗した。
「ひっ・・」
しかし身体は思うように動かず、びくともしなかった。身体のあちらこちらで長い指が這いずり回り、白い肌があらわになっていく。
「い、やああ!!離せ!離してよ!!!誰か…誰か‥シス―――!!!」
「!」
次の瞬間、リオウの身体はぐらりと傾き、横に吹っ飛ばされた。




