菱の事情
それは、今から数日前のことだった。
「…あの、父上。どうしてこちらに」
「見てわからぬか。…仕事をしているのだが」
国王陛下の執務室にて。いつも自分が据わっている筈の場所に、前国王レオンハルトが仕事をしていた。
それ以外に違和感はなく、補佐のアイルだったり、文官のハイムだったりが忙しそうに右往左往しながら書類をさばいていた。
「お身体の方は大丈夫ですか?」
「‥お前まで儂を年寄り扱いするのか。そんなことよりもシスリー、お前こそこんなところに何をしに来た」
そりゃ、仕事をしに来たわけなのだが…その仕事を別にしている人間がいるため、何も答えられるはずがなかった。
「ええと、その」
「‥‥お前には別にやることがあるだろう」
そう言って憮然とした表情の父上の横では、以前より父の補佐を務めていたジルニード公爵が必死に笑いをこらえていた。
「いや、シスリー陛下、察してあげてください」
「え?」
「先日からいたるところから苦情が来ていてな。即位したばかりの国王陛下が全く執務に身が入っておらず、捕まらないと。‥どうにかしてくれと」
実際ここ数日、アイルにほぼ任せっきりだったのは事実だった。
一体どういうつもりかと首をかしげていると、父は盛大なため息をついた。
「…お前の新妻の話は聞いている。本当なら執務も全部放り出して菱に飛び出していきたいところだろう?」
「新妻…って」
その言葉はどことなくこそばゆいのだが、この憮然とした父の口から飛び出したことの方が驚いた。
「引退した身ではあるが、上皇からの権限でお前に命じる。‥大至急菱へと向かい、ライ皇子に協力しつつ人道支援を行い、かの国に盛大に恩を売ってこい。手段は問わぬ」
「‥勅命、でしょうか」
「ああ。お前の権限の元連れていく人員も装備も好きにして構わない。だが、条件がある」
「条件?」
「必ずシャンイを連れて戻ること、そしてもう一つ、…どんな形でもいい。ディアトルを儂の元に還してほしい」
「‥‥」
あの一件の後、最も気を病んでいたのはほかでもない父だった。同時に、ミュリエルやディアドラ妃の心痛はあまりあるだろう。
「…父上、ありがとうございます!‥‥ご期待に沿えるよう尽力します」
「全く、本当に文字通りすぐ飛んでいったな」
「よく似ていらっしゃいますね、お二人は。本当に、息子というのは難しいものです。‥正直羨ましい。私は息子のフランシスとわかり合えているとはとても言えないでしょう。仲は悪くはありませんけれどねえ。‥最もあれはあれで規格外の愚息ではございますが」
ジルニード公爵はそう言いながら、苦笑いをした。
「…儂だってわかり合えているとは言えぬだろうが‥‥息子の我儘を聞いてやるというのもたまに悪くはないものだ」
「ええ。…息子と仲良くしていると、初孫の顔を見るときの嬉しさも倍増しますよ、きっと」
公爵がにこにことそう告げると、レオンハルトの頬は自然と緩んでいく。
「うむ、やはりまだ死ねんな」
**
「菱の国は、大きく北部と南部で別れている。菱は税金を納めるときに一緒に穀物を収めるわけだけど、南部はそもそも穀物を育てている家は少ない。皆漁業か交易を重点的に営んでおり、穀物の代わりに収める税金が北部と比べて二倍の額を収めるているんだ。それもあって、北と南は仲が悪い」
ライは言いながら机の上に菱の地図を広げた。
「南部は交易の幅も広く海洋資源と産業が豊かだ。その為一度北部で穀物の生産量が落ちると、自然と国に納める穀物の税も高くなる。‥そうなると、南部の税金はただでさえ北部より二倍の額なのにそれがさらに高騰してしまう。以前から問題視されていたが、今回の飢饉で浮き彫りになってしまい、北部から南部に通じる関所は完全に閉じられた状態らしい。問題はそこだな」
菱には南部から北部に抜けるまでの行路に6つの関所を構えている。港を起点として、そのまま北にまっすぐ進んでいくと首都の菱都につくわけだが、途中南部から北部にはいる4つ目の関所の門は固くとざれていた。
「南の人間が北に行くのは勿論、その逆も同様です。四つ目の関所以外に菱都へ行く道のりは…山岳地帯を超える方法もありますが、冬の天山は難所です。準備も必要ですし、何とか関所を超える方法を考えるべきでしょう」
トーリがそう言うと、ライは頷いた。
「‥まあ、もとより、無傷で貰えるはずのないものだし。閉じられたままということは、それを覆せるほどの権威がないに等しいのだろう。どうやらリオウの新体制は順調とは言えないらしい」
「つけ入るスキはいくらでもありそうだな。‥そちらはライに任せる」
「ああ、わかってる。‥これは俺の戦いだ」
潮を含んだ風が金色の髪をかき上げる。
一つに束ねた三つ編みの先がゆらゆらと風にそよいでいた。
「‥今、北部はどういう状況なのですか?飢饉というのは聞いているけれど、本当にそれだけ?」
ミュリエルが尋ねると、菱の戦士は少し緊張した面持ちで生真面目に答えた。
「確か続く日照りが原因と聞いています。今夏の雨量が近年稀に見るほど少なく、昨年溜めた分だけではとても足りないとのことです。」
「ならば、伝染病の心配もした方がよさそうね…あ、お兄さ…っと、へ 陛下」
「別に兄と呼んでくれればいい、ミュリエル」
「そういうわけにはまいりませんわ…会議は終わったのですか?」
「ああ」
この遠征において人選は好きなようにしろ、といわれたのだが、その話を聞いて真っ先に申し出てきたのが妹のミュリエルだった。
エサルエスにおいて15歳ともなると、王族は公的な行事に参加することができるのだが、ミュリエルはこの夏15を迎えたばかり。その一番最初の仕事というのがこの遠征だった。
「あまり抱え込みすぎてくれるなよ、ミリー」
「大丈夫ですわ。・・あら、あれは何かしら?」
ミュリエルが上空を指さすと、風の気流に乗って、大きな鳥のような白い翼の影が二つ姿を現した。やがて二つの影はくるくると旋回し、こちらに向かってくる。
一瞬構えたものの、その姿を認めて警戒を解いた。
「あれは…グライダー?」
「シスリー!!」
やがて白い翼は器用に甲板に着地すると、肩まである金色の髪を揺らしながらゴーグルを外した。そのまま満面の笑みで少年とも少女とも見える人影は、こちらに向かって思い切り抱き着いてきた。
「久しぶりだね!!元気だった?!」
「ゲイヴリルか!」
勢い余ってぐるりと一回転すると、ゲイヴリルは少し照れたように笑った。
「‥ゲイヴ、立派な淑女になるんじゃないの?…お久しぶりです、シスリー王子。‥いろいろと深い事情は存じておりますが、新国王即位、お慶びを申し上げます」
「・・・ありがとうミカエラ。それに俺の要請にもこたえてくれて、恩に着る」
長かった髪をバッサリと切り、その表情にも精悍さが増したようだ。ミカエラは力強く微笑んだ。
「いいえ。ヴァルカンクからもわずかではありますがグライダーの精鋭を連れてきました。…最も、彼らの出番がないに越したことはありませんが。」
「…ヴァルカンク王からよく許しをもらえたな」
「父の代では成し得なかった友好を深めるいい機会だと…快く送り出してくださいました」
今回、わざわざヴァルカンクの力を借りたのには理由があった。
長年同盟関係ではあるとは言え、互いに干渉を避けていた二国がそろって菱に干渉する。それは、これから先の歴史上において大きな意味を持っているのだ。
「そうか、…ミカエラが王になる日が楽しみだ」
「ええ、その際はぜひヴァルカンクに招待させてください」
「そうだ、ついでに紹介していく、ミュリエル、ヴァルカンクのミカエラ王子とゲイヴリル王女だ」
「はい、陛下。…初めましてミュルエル・エサルエスでございます。王子殿下と王女殿下にご挨拶申し上げますわ」
「!よ、よろしくお願いします、ミュリエル様」
「よろしくね、ミュリエル王女様‥‥ん?」
見ると、ミカエラは顔を真っ赤にしてその場に立ち尽くしている。
隣のゲイヴリルはにやりと笑うと、思い切りミカエラの背中をたたいた。
「ごめんね、なんか緊張しているみたい。私はゲイヴリル、こちらが兄のミカエラです。よろしくね!」
「え、ええ。こちらこそ」
いうだけ言うと、固まっているミカエラを放置して、ゲイヴリルは隣に立ちながら楽しそうに笑った。
「うふふふ、春だね!」
「…今は冬だが」
**
「ラジエル様」
菱の南部、海岸にほど近い港町『ロウアン』。
冬にも拘らず沿岸地方の雪は多くはない。温かい日差しの当たる長椅子にゆったりと腰掛けながら本を読んでいた壮年の男は、面倒くさそうに顔をあげた。
「…外国の皆さんがいらっしゃったか」
「ライ皇子も一緒のようです」
「規模は?」
「中型の帆船がおよそ50隻。‥うち先頭の一艘にはエサルエスの王家の紋章旗が確認できました。」
菱の国の南部、主に海沿いにある沿岸地方であるロウアンには良質の塩がとれる塩田があり、その質の良さから他国に高値で取引されているため、資源が豊富だった。
その全てを取り仕切るのが、このロウアンの領主、ラジエルだった。
菱で唯一外海との交易が赦されているこの港では、彼の名前を知らない者はいない。ラジエルはにやりと笑うと、持っていた本を勢いよく閉じた。
「ほほう、ライの奴、やるじゃねえの。・・さ~て、そろそろいい風が吹いていそうだな」




