菱の皇帝
気が付くと、いつの間にか夜の帳がしっかりと降りており、辺りはもう真っ暗だった。
目の前に立つこのソウマという無表情の青年は棚の上に置いてあった灯篭に火を灯すと、すぐにまた入り口の前に立ちはだかった。
「守り神……って何?それ」
私は自分の耳を疑った。間違いでなければ、彼は私のことを「守り神」様と呼んでいた。あまりにも聞きなれないその単語にしばし呆然となってしまったのは言うまでもない。
「…私がこの国を守る理由も意味も全くありません。何かの間違いでは?」
応えてくれないかも、と考えたのだが、意外とあっさりと彼は答えてくれた。
「…状況は貴方が思うよりも複雑ですよ、翡翠の姫君。貴女がどう思おうが、一国の王妃に近い地位の方が拉致同然にこの国に連れてこられるなんて、エサルエスからすれば恥同然でしょう。もちろん、現国王陛下にとってブラスになる要因は皆無」
こいつの言う通りだ。相手がいくら人外な力を使っていようが、細かい事情など当人達以外知る由もない。それ以外の人間は起こった事実だけを見て意見を述べる。
現実問題、今私がここに居るのだって、力のある人間が発言すればどんな湾曲した事実であろうと真実にすり替わってしまう。
「貴方の存在意義に、民衆が求める救済の神の使いという虚像に当てはめただけです」
「‥この国の皇帝は私を神様に仕立て上げ、何かいいことでもあるの?私には何の力もないのに」
「無理やり連れてこられた悲劇の王妃よりも、神託が起こってこの国に帰還された神の使いの方がよほど箔が付くと思われませんか?」
(箔が付くどころか…公式にそれが浸透してしまえばシャンイ・アルヴェールという人間の存在を消え去り、本当に彼らが望む虚像になってしまう。そうなると、エサルエスは手出しは出来ない)
それを回避しなければ…どう転んだって二度とシスの元に帰れなくなってしまう。私はなんとか自分のたりない頭をフル回転させた。
「目に見えない力に頼ろうとするなんて、民からの支持が全くないのね。それとも、エサルエスにいるライがよほど怖いのかしら?」
「‥ライ」
仮面のような無表情に少しだけ別の何かが滲んだ。
それは、暖かいものなような気がするが、すぐさま影を潜めた。
「・・・この国は今荒れています。安定した新しい皇帝を求めている。それがどんな人物だろうと、救済の象徴である貴方がこの場所にいるだけで、リオウ様の支持は上昇する。……なんたって、国を守る神を擁護しているのだから」
以前、姉さまが言っていた。力のないものはその力を補うために神がかり的な力を求めるって。
(落ち着け、私!)
つまりは今のリオウとかいう皇帝はまだその地位を確立していないってことだわ。ならば、まだ諦めるのは早いかもしれない!
「とにかく、余計なことは考えずにいることです」
そう言って再び沈黙が訪れるものの、ソウマは入り口から一切動こうとはしない。
(まさか・・ずっとそこで監視するつもり?)
沈黙に耐えかねて、私はずっと気になっていることを聞いてみることにした。
「‥質問を、いいでしょうか」
「‥こたえられる範囲であれば」
「貴方がここに居るのは誰の指示?リオウ?それともランセ?」
「…ランセ様です」
(そっちか)
ということは、もしかしてランセの方がリオウよりも優位な立場なのかしら?
「もう一つ、ソウマさんは、誰に仕えているのですか?」
「…菱の国の皇帝になる方です」
(う。そう言われてしまうと、それ以上聞きようがないわ)
その後も、何個か質問してみたものの、それ以上返答はない上に、その場から全く彼は動こうとしなかった。いい加減石像にでも質問しているかのような気分になってきたのでそれ以上は聞くのをあきらめてしまった。
(いいわ、もう、果報は寝て待て、ね)
寝台に横になりながら、これから先について思考を巡らせていた。
**
菱城の奥深くでは、これからを担う力ある官吏たちが集うきらびやかな宴会が開かれていた。大皿に大量に並べられた豪勢な食事、逸品から名品までそろった酒の数々、美しい着物をまとった夜の蝶のごとくひらひらと舞い、競う遊女たち…そのどれをとってもまるで一夜の幻のようだった。
しかし実際は宮城の外では近年稀にみる不作の為による大飢饉、干ばつ、伝染病で国全体が病んでいる。それはこの場にいる全員が承知しているはずなのに、誰も知らないかのように宴会は続いていく。
(明日にも落ちるかもしれない熟れた果実のようだな。……狂っている)
リオウは盃の中の波紋を見ながら考えに耽った。火を見るよりも明らかな困難におびえた所で何も解決はしない。問題は起きた後どうするか、だった。
(おとぎ話だろうが何だろうが、利用しない手立てはないな)
ランセが連れてきた翡翠の姫君とやらはその特殊な容貌から菱に伝わるあるおとぎ話の象徴として迎え入れることにした。
そのおとぎ話とは、帝にのみ持つことが赦されるという「三種の神器」にまつわるものだった。
菱では前皇帝亡きあと、著しく国の様子は変化し続けている。
皇帝となる継承権を持つ太子やその姻戚類が相次いで血を流し、継承権を破棄しようとしたものでさえ後の憂いとばかりに悉く掃討され、その姿を消していった。
民衆は帝を呪い、続く凶事は全て神から賜るはずの皇帝の地位をめぐり醜い争いが絶えないせいだと、天罰だと噂をする者が絶えなかった。それをやむを得ない正当な行動と証明するために、象徴として祀り上げたのだった。
(あまりにも現実が過酷な状況の場合、人間は目に見えないものにすがろうとする。ならばそれを利用するまでのこと)
事実、前皇帝の一件から落ちていた民衆の支持はすくなからず回復の兆しを見せていた。だが実のところリオウは神など信じてはいない。ただ、使うものと使えるものの分別をはっきりとしているだけだった。
こうなると、目下の問題は姿をくらまし続けている第18皇子の存在である。ライは周到にその身軽さを利用していち早く国を離れた。彼がエサルエスにいるのは承知してるものの、菱国内に居ない以上こちらから手を出すのは難しい。
(しかもいまだに奴を支持する民衆の存在は少なくはない。…厄介だな)
ランセの力を借りて時空移動することもできたが、客人としてエサルエスにいる以上下手に手を出すのは躊躇われた。そして同時に、ランセに力を借りるということは、あの化け物に力をつけさせてしまう危険性もはらんでいた。
大広間の隅で黙々と酒をたしなむランセの姿を見て、軽く舌打ちをした。今回のこの提案も翡翠の姫君も奴の手のうちにあり、リオウはまだ一度もその姿を見ていないので、これもまた手を出せる状況にはなかった。
無下にもできず、かといって重宝するわけにもいかず…どちらにしてもリオウにとって、ライとランセは事を順風に進ませるには大きな障害だった。
(あの忌々しい化け物め・・・何か絶対に私を裏切らないという保険のようなものでもあればいいのだが)
「あ、あの皇帝陛下」
「‥何だ」
狂気の宴会のさ中、官吏の一人がそっと耳打ちした。真面目で実直そうなこの官吏・・名はハクケイという。民の意見を重んじてだろうか。出された豪華な食事にもあまり手は出さず、この男はただ黙々と水を飲んでいた。
「大門の外で、民が前皇帝ゴウガ様の弔いを叫びながら食料を求めて集まってきています。どうされますか?」
「‥放っておけ。どうせ何もできまい。無駄に抵抗する輩は始末しても構わない」
「お、お言葉ですが、一度くらい民衆の前に姿をお見せになってはいかがですか。支持が回復しているとはいえ、このままでは状況は悪化していく一方です」
リオウはこの男が好きではなかった。文官としてはとても有能だが、いかんせん真面目過ぎる。
(真面目さなど、時に間違った正義を生みかねない。・・・しかし)
「ならば其方がどうにかしてみせろ。・・私の力など借りずに」
「お言葉ですが、私などがどうにかできる問題ではありません。民に影響力のある・・・そうだ!噂の翡翠の姫君などいかがですか?救済の神の化身様であればあるいは・・!」
「・・ほう、なるほど」
ハクケイという男は真面目過ぎる故、愚直に民の声に耳を傾ける。すなわち民が今何を望んでいるのか、何を考えているのか代弁してくれているのだ。それは時に最も現実的な手立てを練るのに有効だった。
「余興としては申し分ないな。誰か、翡翠の姫君をここに連れてこい」
一瞬のざわめきに、酒で上気した一部で官吏は下世話な笑みを浮かべた。
「ほほお、神の化身ともなればそれはそれはお美しいのでしょうなあ。ぜひ酌でもしてほしいとこ・・つめて!つ、冷たい!!」
見るとランセが立ち上がり、官吏の頭上めがけて酒の入った杯をひっくり返していた。
「・・豚は豚らしく肉を食んでいればいいものを」
「じ、呪術師殿・・・」
明らかに顔色が変わったランセを見て、リオウはひそかに笑った。
(なるほど、奴が連れてきたのは知っていたが・・どうやらただ連れてきただけというわけではなさそうだ)
「神の化身とは・・もともとはランセ殿、貴公が言い出したこと。ならばそれを公にするいい機会ではないか。それとも、何か民の前に出すことをためらう理由でも?たしか月の宮の離宮にいたな。すぐに連れてこい」
「‥‥かしこまりました」
なおも殺意を込めた瞳で見てくるランセに、リオウはほくそ笑んだ。
(これは…うまくすれば、この呪術師を屈服させることができるかもしれないな)




