間章~夜光・アイル~
エサルエスの冬の空はピン、と張りつめていて凍てつくような鋭い風が吹く。
吐いた息は白く漂い、冷たい冬の空に消えていった。身を切るような寒さのせいで、灰色の街並みの輪郭はくっきりと浮かび上がっていた。灯りもなく、青く濃い闇は、まるで昔本で見た海の底みたいだ、と思う。
(ああ、寒くて、息苦しい)
力なく横たわりながら、いずれ来るだろう死に備えて瞳を閉じる。
そうなれば、もうこの飢えや苦しみや凍えから解放されるんだから、悪くはない。
「おい、お前!」
「………」
「聞こえないのか?なんだよ無視かよ!いい度胸だな!」
「お前じゃない。僕はアイルだ」
「何してんだよ、こんなところで」
「…誰さ、きみ」
どれだけ無視してもその声の主はくじけなかったので、仕方なく重たい身体を起こした。するとそいつは満足そうに笑った。
「なんだよ、お前名前があるのか?いいご身分だな」
「‥今は僕が君の名前を聞いているんだけど」
顔をあげると、そいつは僕と似たような年頃の子供だった。けれども目つきが飛び切り悪く、更にこの周辺ではあまり見ない黒髪だった。
「俺はジャネットだ!」
「…ジャネット?‥君こそここで何をしているの」
「べっつに。こんなとこでくたばる弱っちくて情けないやつの面を見に来ただけ」
こいつは本当に、馬鹿にしているのか?‥それとももしかして。
「励ましてくれてるの?」
「お前、身体も動くし、言葉だって喋るじゃん。なのに、ここで死ぬなんてもったいなくねえ?」
「‥そんなこと、考えたことなかった」
「じゃあ今すぐ考えろよ。死なずに生きる方法」
その言葉は、僕に限りなく勇気を与えてくれたと同時に、終わりのない絶望を与えた。
**
「はぁ…。終わらないなあ」
窓の外では雪が降り出したようで、光が反射してうっすらと明るい。降りしきる雪ををぼうっと見ながら、ため息をついた。
(あれから10年…)
あの頃は下から見上げるだけだったこの城の中で、こうして仕事をしているなんてなんとも不思議な気分だった。
(しかも国王陛下付の従者兼補佐なんて・・出世したなあ)
とはいえ、その国王陛下とは子供の頃からの縁なので、この巡りあわせに感謝したい。
つい先日のこと…シスリー様の大切な方が連れ去られてしまった。もちろん、人外の力での拉致の可能性が高いということで、邸宅の使用人全員お咎めはなしだった。
けれども、僕だってジャネットだって少しでも力になりたい。それは二人の共通の思いだった。
シスリー様が動きやすいように周りを固めるため、彼の仕事の一部代行をおこがましくも行っていたわわけなのだが、あまりの多さに少しだけくじけそうになった。
(ああ・・尋常じゃない量だ)
書類のひと山をやっと終わらせてもすぐさま追加の書類が運ばれてくる。そして一山減って、また運ばれて‥その繰り返しだった。さすがにうんざりしている所に、またしても地獄の門をたたくかのようなノック音が響く。
「…どうぞ」
「失礼します。ああ、やはり今日も陛下が不在なのですね」
青白い顔でやってきたのは、シスリー様が即位される前から雑務と苦楽を共にこなしてきた同胞、書官のハイムだった。彼とは年も近いことと、貴族出身ではないということもあり意気投合した仲である。
「これから恐らく菱国との交渉が本格的になるだろうし、…じっとしていられないだろうから」
「・・そうですね。ご寵姫の話は私も伺っております。あ、といっても、誰にも言っていません、神に誓って」
シャンイ様が行方不明という事は本当にごく一部の人間にしか知られていない。新国王陛下がやけに菱の件を急がせているという意見も少なくはないが、アストレイ様の弔いだと言えば、誰もが納得していた。
「大丈夫ですよ、それにしても・・ああ、これはまた凄まじい。決裁ものばかりですねえー。もう、こういう雑務は他の機関に回した方がいいんじゃないのかなあ…」
「はは、何事にも手を抜かないのがあの方の主義ですから」
「まあ、ご自身で見分しないと納得されないんでしょうね」
一通り書類に目を通していくと、ふとある部分に目に入った。
「‥スラム街の整備と一人当たりの労働基準の引き下げと賃金の非差別化…」
「ああ、それはシスリー様の長年訴え続けてきた案件ですね。・・やっと、全員の承認をとれたようです」
(・・約束、守ってくれたのか)
**
ほんの10年ほど前まで、エサルエスのスラム街と呼ばれた一帯は本当に地獄のような場所だった。
先の戦争の名残か、全ての身分が不平等で、戦災孤児を中心とした奴隷売買が横行していた。安い賃金で年はもゆかない子供たちを雇い、時には身体を売らせたり…そんなことが日常茶飯事だった。、
この時期、ある一定の金持ちは特殊な性癖の持ち主も多く、複数回子供や女性にいい思いをさせては飽いて捨てるような連中が跋扈していた。
それでも戦争が生み出す売春の需要は多く、働き盛りの男手を戦で取られた女性に働く口などあるはずもなく・・結局自分の親が定かではないような子供たちが巷にあふれていた。
そんな状況の中でも、ジャネットと僕は二人で支え合いながらその世界で生きてきた。本当は単純に一人でいるのが寂しかっただけかもしれないのだが、理由は何であれ、僕たちはいつも一緒にいた。
「お前は頭も回るし、字も読めるけど力がない。でも俺は学がないけど力があるから。ちょうどいいな」
僕は字が読めるから道端で新聞を売る仕事を、ジャネットはその手先の器用さを生かしてサーカス団で日雇いの仕事で小銭を稼ぎながらなんとか過酷な毎日を乗り越えていた。
そんなある日のこと、いつも通り道端で新聞を売っていると、一人の少年が僕に声をかけてきた。
「それ一つ、もらえるか」
「あ、・・は い・・・」
どう見てもその少年は自分よりも年齢が下か同じ位だった。随分と仕立ての良い服を着ていて、後ろには若い執事が控えて居たので、どこかの高名な貴族だろうと思った。
(貴族・・の坊ちゃん?)
新聞なんてものを買うのは大人しかいないと思っていたのに、と随分と驚いたものだが、彼は金貨一枚を押し付けて来たので、もっと驚いた。
「あ、ちょっと待って!お金間違えているよ?」
僕がそういうと少年は一度振り返り、微かにほほ笑んで一言だけ「やる」と告げて居なくなってしまった。彼の瞳は太陽の光に反射すると、緑色から赤く変わる不思議な色で、とても印象に残った。
「妙な奴だ…」
それが、未来の国王陛下であるシスリー・エサルエスとの初めての出会いだった。
彼が一体どういう人間で、どういう境遇にいたのか…僕はこの時はまだ知らなかった。
「何ぼーっとしてるんだよ」
「ジャネットおかえ…ケガしたの?!」
「別に、こんなのただのかすり傷だ」
「かすり傷って…」
見れば、彼の頬は赤く腫れていて、服で隠れてはいるけれども数か所の殴られた跡があった。僕はそれに気が付いていたのに、なんといっていいかわからず、何も言えずに見ないふりをしてしまった。
それからしばらく、ジャネットはよくけがをして帰ってくることが増えてきた。理由を聞いても「ああ」とか「うん」とかしか言わなかったので、それ以上はなにも言えなかった。
しかし、ある日、事件が起きた。
「お前か!!売りあげの一部を使い込んだコソ泥ってのは!!!」
「うるせぇ!!俺じゃねえ!!!」
「黙れ!!!一体どこで使った?!え?」
僕が噂を聞きつけて駆け付けた時には既に、ジャネットはサーカスの団員たちが全員見ている中、見せしめとして道端の真ん中で暴行を受けていた。
「ジャネット!!!」
「馬鹿、アイル来るな!お前まで巻き込まれるぞ…!」
その時僕は本当にまだ子供で、どうすればいいのか分からなかった。ただやめてほしい一心で、とても愚かな行為に出てしまった。
よりにもよって、ジャネットを嵌めた連中に、あの不思議な少年からもらった金貨を差し出してしまったのだ。
「お、おねがいです!彼は何も悪くない!!お金ならここにあるから、それで‥っ」
「ふ~ん?…へえ金貨一枚か。さてはお前、持ってるな?」
「……え?」
「あいつとグルだったんだろ?盗まれた売上金、全部返しな」
なんとも滑稽な話しだ。僕の愚かな行為で、ジャネットの罪は確定されてしまったのだ。
それに気が付いた頃、もう連中は僕とジャネットを一連の事件の犯人として祀り上げてしまった後だった。
「聞いたか?!このガキどもが俺らが必死に稼いだ金を盗みやがったんだ!!!!」
「そんな!僕もジャネットも何もしていない!!!」
泣いても叫んでも、もうこの罪は確定事項で覆すことができない。傍観していた団員達も見る見るうちに憐れみから怒りに表情が変わっていった。
「この泥棒め!!」
団長がそう叫ぶと、一人の団員がよくも盗みやがったな、と声をあげた。すると周りもそれに応じて声をあげ、僕とジャネットは非難の的になってしまった。
罵声と怒声が飛び交う中、僕は申し訳ない、という気持ちと、ジャネットになんて屈辱的な思いをさせてしまったのかという自責の念で、その場に立ち尽くしてしまった。
しかもそんな僕を、ジャネットはかばい、飛んできた拳も、罵倒も辱めも全部僕の代わりに受けた。
「・・お前ほんとうにばかだろ!」
「ジャネットぉ・・・!!!」
誰か、誰か助けて、そう心から願った時・・・
「そこまでだ。」
凛とした声が辺りに響き渡った。
どうしてもやってみたかったので、外伝のような間章です。




