翡翠の剣
「もしかして」
「婚約指輪。貴女は人気者だし、俺が忙しいと忘れられてしまうかもしれないし」
子供みたいにすねたような言い方に、シャンイは苦笑した。
「忙しいからって、忘れたりしません。現に今日だってちゃんと待っていたでしょう」
「…なるべく早く問題を片付ける。そしたら」
「はい、待ってますね」
ぐっと抱き寄せた腕に力が入り、そっと頬に手を添えた瞬間…無情にも二人の雰囲気をぶち壊すノック音が響き渡った。
「!!」
「ど、どうぞ?!」
ぱっと腕から逃れたシャンイが声をかけると、笑顔のララファが現れた。しかし次の瞬間、その笑顔は真っ青になって凍り付いた。
「……」
「あ、えっと、あのその」(し、視線が痛い)
じっとりとしたシスリーの視線を感じ、ララファは心の中で謝罪した。
「あのあの!!…お、おもちしました!失礼します!!」
「ありがとう!!これでゆっくり休める筈よ!」
満面の笑顔のシャンイの手には、茶器がトレイに乗っている。首をかしげるシスリーににっこり笑いかけると、ゆっくりとカップに茶を注いだ。
「どうぞ!」
「…?変わった香だ。何の茶だ?」
「飲んでみたらわかるわ」
シスリーは恐る恐る一口飲んでみるのだが、とたんにカッと顔が真っ赤になり、そのまま倒れるように寝台に伏せてしまった。赤い顔のままシャンイをねめつけるが、どうにも焦点が合っていないようだ。疲労度の高いときには効果抜群である。
「…っやったな…!」
「こうでもしないと休まないでしょう?ほんの少し強めのお酒を入れただけです」
濃いめの紅茶に少し香りの強いウィスキーを注いだ飲み物…アイリッシュティーである。
アルヴェール家には、寝る前に呑む安眠剤のようなものだったが、酒に免疫のない人間には効果が覿面だろう。
「…くそ… …」
ぎゅっと手を握りしめたままシスリーは眠ってしまったようだ。
「…本当に一発で落ちちゃうのね……」
あどけない寝顔にほっとした。同じ翆玉の指輪をしているシスリーの手に自分の手を重ねると、二つの石がきらりと光った。
(……嬉しいな)
その後、シャンイもまた隣でいつの間にか眠ってしまっていた。
**
夢の中で私は瞳を開いた。
何もない空虚な世界、私はここに見覚えがある。
(あ、これ多分いつもの夢だ)
幾度となく、自分の魂と対話するための夢。私の中ではそう感じていた。
寒くもなく、暖かくもない不思議な場所。
真っすぐ歩いたその向こうに、一人の小さな影があった。
(子供?)
その少年は、寂しそうに俯いていたが、やがてこちらの姿を見つけ顔をあげた。
「…あなたはだれ?」
どこか見覚えのある青色の瞳の少年は、怪訝そうに首をかしげていた。
(この子、もしかして…?)
「ねえ、私はシャンイ。君の名前は?」
私はなるべく笑顔で彼の視線に合わせて声をかけたのだが、少年は少しだけ怯えるそぶりを見せた。
「…ディアトル」
「ディアトル?…ディアトル?!」
まさかとは思ったが、やはり彼はディアトル王子…のようだった。
私が過去の姿の自分と対話できるように、この子も【身体】はランセに囚われたまま、【心】が別にあるということなのだろうか?
「えっと…君はいつからここに居るの?」
「…ずっと前から。ながい、ながい時間」
ディアトル少年はそういうと、恐る恐るこちらを向いた。その視線を受けて私が笑って見せると、敵意がないようだと認識したようで、ほっとしたように息を吐いた。
「ディアトル、ここに居るのは君だけ?」
「うん。前はもっといろんな人がいたけど、みんな消えていった」
何気ない言葉のはずだが、なんとなくゾッとした。
もし、私の予感が正しければ、ここに居た人たちはおそらく私と同じように【何度も繰り返している】人たちのはずだ。彼らは生まれ変わる度にランセにとって代わって人知れず消えていくのだろうか?私の【中】に居た彼女たちも同様に、記憶も想いも上書きされ、繰り返していくのか。何度も何度も…終わりのない、円環の世界。
(そして、また私も)
どうしたら、こんな馬鹿げた運命を変えられるんだろう?
今のランセは呪術…いわば魔法を使える。けれども、それに対抗する術は見当たらない。
その時、ふと思い出したことがある。以前の夢で逢った前世の『フェイ』の言葉。
(フェイは私に魂の記憶を伝えてくれた。それが役割だと)
だとしたら、この少年の魂も何かを伝えられているのだろうか?
「ねえ、ディアトル。君はどうしてここに居るの?何かの役割があるのかしら」
私がそういうと、ディアトル少年は小さく頷く。
「僕は誰かに伝えないといけない言葉があるんだ、だから伝える相手を待っている。もしかして、それがシャンイなの?」
「…うん、そう。教えてくれる?教えてくれたら、もう誰かをずっと待っている必要はないよ。貴方は誰の言葉を伝えてくれるの?」
「‥赤いローブを着たおじいさんだったよ」
「赤いローブ?‥その人はなんて?」
赤いローブ…というのは、きっとランセが前の生で何かしらの方法で取り込んだという、赤い魔導士のことではないだろうか?言ってしまえば、この呪いを作った張本人、つまりは一番最初のきっかけを作った人物。
「僕がきいたのは……”永遠は存在しない。円環には最後とはじまりがある。翡翠の剣で断つことができるはず”って」
「翡翠の剣で…断つ?」
翡翠の剣というのは、もしかしてシスの持っていた翡翠の剣だろうか?それとも―――
(私の前世で振り上げられた、あの剣のこと?)
目を閉じれば浮かび上がる、フェイである私を殺したあの冷たい一振りの剣。
もしそうだとしたら、私を殺したのは前世のランセ本人。けれど、その人生だって恐らく永遠ではない。どこかで彼は死んでその剣だって然るべき場所に戻ったはず。
「ね、ねえ!ディアトル、君の国に伝わる宝剣あるでしょう?あれって昔からあるものなの?」
「王の剣のこと?遠い昔、菱とエサルエス、ヴァルカンクが戦争になった時、結局負けた菱の国から贈られたものだって」
「菱から贈られた…宝剣」
つながった。
もし本当に彼の言う翡翠の剣が、シスの持つ剣だとしたら……!
「シャンイ」
「えっ?」
思考に耽っていると、突然ディアトル少年の身体が白い光に包まれた。
「…本当に。シャンイが僕の待っていた人だったんだ」
「ひ、光ってるよ!?」
目を見開いて固まる私をディアトル少年は楽しそうに見ている。その笑顔は眩しくて、とても綺麗だった。
「うん、最後の伝言を伝えたから、僕も消えるみたい。…もう、ここでずっと一人で待ってなくてもいいんだ。ありがとう、シャンイ!」
「……うん!教えてくれてありがとう、ディアトル」
ディアトル少年の手がすっと伸びて私の手に重なると、少年はふと何かに気が付いたように上を見上げた。私もつられて上を見上げると、‥そこには、懐かしい人が手を伸ばしていた。
「アストレイ様!」
私が思わず叫ぶと同時に、ディアトル少年は彼の手を取ると、不思議なことにその姿は一瞬で見違えるような大人の姿に代わっていた。
「まさか、迎えに来てくれるなんて、兄上」
「ああ。後は任せよう、彼らに」
二人は笑いあうと、そのまま光の中に融けるように消えていった。
消える寸前、一瞬だけアストレイ様と目が合ったのだけど、彼はあの変わらない笑顔を向けてくれた。
「…どうか、彼らの先に光がありますように」
私はそっと目を閉じると、ありったけの願いを込めて、祈りをささげた。
**
「…っは!!」
何かに急かされるように、何かに追われたように私は深い眠りから覚めた。
(頭が、ひどく重い)
けだるさと軽い眩暈のようなしびれが同時に襲い掛かり、ぐらりと視界が揺らいだ。
獣臭に近い複雑な香りがまとわりつく。…この香りには覚えがある。
「これは、麝香?なんで」
言いながら、自分の状況に絶望した。
やっとの思いで重たい体を起こすのだが、ここはどう見てもシスの部屋ではなかった。
(私は…確か、シスの部屋に)
薄い紗のカーテンに、赤い布団。金糸の刺繍がけばけばしい程ぎらついていて、これでよく眠れるものだと本気で思う。
横に目をやると、唐草模様の銅の高炉から白く細い煙が空に向かって伸びている。ただでさえ香りが強いので、複数置いてある枕の中から一番小さいものを手に取り、高炉に被せた。
(服装は変わっていない…なのにどうやって連れ出されたの?!)
麝香とくれば恐らくは。…彼がやってくる。
「気が付いたようだな」
ガタン、という音と共に、少しだけ焦げ臭い香りが鼻を掠めた。
寝台の前方にある大窓を誰かが明けたらしい。ぱっと光が差し込み、少しだけ目を伏せる。
「…やっぱり、貴方だったのね…!」
私は逆光を受けて目の前に立つ、大きな大きな障害の壁のように佇むその姿に、うんざりした。
その姿は夢で出会ったあの少年の面影を色濃く映してはいるが、全く異質のものに見えた。アストレイ様と並んでいたあの大人しそうな青年が本来の姿なのだろうが、同じ姿でもこちらは猛毒を含んだ美しい悪魔のように見える。
「呪術を扱うということは私には不可能がないということだ」
「ディアトル王子…いいえ、呪術師ランセ」
窓の外にある山岳の風景を懐かしくも不思議な気持ちで見つめた。
そう、ここは菱の首都にある皇帝が住まう宮城「黎明宮」―――
つまり、過去世で私が目の前のこの男に殺された……あの場所だった。
夢の世界については各章序章を、酒に弱いシスリーについては序章後半部を合わせて読んでいただけたら幸いです。




