虚ろ
「わぁ…!!」
日が昇る頃、外には白い綿のような塊がちらちらと降り、朝もやにかすんだ森を真っ白に染めた。まるで一枚の鏡のように真っ平の地面には、白銀の光彩が地面を映し輝いていた。
白い息が霞みのように流れ、それを追いかけるように窓から身を乗り出すと、その後ろを温かなぬくもりが包み込んだ。
「危ない。寒いだろう、風邪をひく。」
「大丈夫よ、シス。それより見て!真っ白!」
シャンイが窓から手を伸ばすと、一粒の雪が落ちてきた。ふわりと手のひらに落ちた塊は少しの間だけ六角形の結晶の姿を見せた後解けてしまった。
「…そろそろ本当に着替えてくれないか?せっかくだし、一緒に雪の上を歩こう」
言いながら、シスリーはシャンイの肩にそっと毛糸のケープを羽織らせた。
「ありがとう。じゃあ、ちょっとだけ。今日はキリエが来る日だし、アストレイ様の戴冠式も三日後にあるから、シスも忙しいでしょう?」
屈託なく微笑むシャンイの姿を、シスリーは複雑な面持ちで見つめていた。
(…こういう時、自分は本当に意気地がないと思うよな。言わなければならないことがあるのに)
あの後、アストレイの申し出を了承したシスリーは、シャンイに王妃としての教養学をキリエ嬢に託した。キリエはやたらと張り切って快諾し、週5日を足げく通い続けてくれている。
「…もうすぐ、雪が本格的に積もれば、もっと寒くなってしまうわね」
「冬は嫌いか?」
「ううん。…でも好きではないわ」
前を行くシスリーの足跡を追うように歩いていくと、途中立ち止まって手を貸してくれた。暖かい手をぎゅっと握りしめ、転ばないように慎重に歩いてく。
庭園の方に行くと、薔薇や植物たちはすっかり冬越えの準備をすませ、なんとも殺風景である。
「三日後に戴冠式、それで…雪が解けたら春になる。そしたら、また薔薇が咲く」
「ねえ、今度は私にも薔薇の育て方を教えてくれる?」
「もちろん。一緒にやろう。来年も、再来年も、その後もずっと」
「はい!」
シスリーが微笑みながらそう言うと、その優しい笑顔をシャンイは不思議な気分で眺めた。知らなかった姿がどんどん増えて、それは自分だけしか知らないかもしれない表情で…なんだか、誇らしいような、少しくすぐったいような。
「出会ってから…三つの季節を過ごすのね」
「なに?」
「ううん、なんでもない!」
春が過ぎたら、シャンイとシスリーが出会ってからちょうど一年がたつ。
こんなにも過ごした時間があったのか、という思いと、まだこれしかたっていないのだという二つの感情が入り混じる。
(毎日を当たり前のように過ごして、当たり前が続いていく。これってすごく幸せなことなんじゃないかしら)
今思えば、この後に起こるべく出来事を全く想像しておらず、この時が一番幸せをかみしめることができた瞬間だったかもしれない。それに気が付いたのは、随分後になるのだが。
邸に戻るとすぐにシスリーは出かけ、シャンイはキリエが来るのを待ちながら本を読んでいた。
以前王立図書館から借りた例の「菱の黒魔術」の本である。
「うへえ、お嬢そんな本読んで理解できるんですか?」
「理解できるとかじゃなくて、知識として知っておくと意外と面白いわ」
ジャネットが胡散臭そうに本を手に取って中身を見聞するものの、一ページをめくったところで静かに本を閉じた。
円環についての記述というのは全く発見できないものの、収穫は少なからずあった。
「呪い」全般の解呪方法である。
呪うものはその呪いを発動するとき、あるものを対価として払わなければならない。その対価がなければそれは発動せず、消滅するのだという。
(ディアトルが払っている対価をなくしてしまえばいいのかしら?でもそれがわかれば苦労はしないんだけど)
思い悩んでいると、窓の外からキリエの元気の良い声が聞こえてきた。
「シャンイ様ー!ジャネットーーー!」
「……なんで俺まで呼ばれるんですか」
「いいじゃない、手を振って応えてあげれば?減るもんじゃないでしょう」
「俺の気力を犠牲にする価値、あります?」
キリエはどうやらジャネットに好意を抱いているらしい…のは理解しているのだが、どうにもジャネットはそっけなかった。
好きな異性でもいるのかと思い聞いてみたが、彼は鼻で笑うだけで応えようとしない。何度か繰り返し聞いてやっと聞き出せた答えというのが
「男女間の恋愛沙汰にはずえっったいに!!関わらないし、自分もはまらないって決めているんで!」
だった。
面白くもなんともない返答だが、過去に何か嫌な思い出でもあるのだろうか?シャンイは首をかしげるばかりしかできず、キリエの力になれないのでもどかしかった。
(…はあ、難しいわ)
「あらシャンイ様?お顔が暗いですわ。ご機嫌いかが?」
「ううん、何でもないわ、キリエ」
ちらりとジャネットを盗み見するものの、本人は素知らぬ顔をして壁側に控えている。キリエはというと…ジャネットの姿を見るだけで満足そうだった。
「そういえばね、今日は特別な方もご同行しているんですよ!」
「特別な方?」
そう言って部屋にやってきたのは、王家の長女でもあり、シスリーのすぐ下の妹姫、ミュリエル殿下だった。
「?!!ミュリエル様!!!」
「ごきげんようシャンイ。急にお邪魔してごめんなさいね」
花のように可愛らしい笑顔でミュリエルは微笑む。ディアトルと同じ色の肌に同じ色の髪の色、瞳の色のはずなのにどうしてこうも印象が違うものか。
ミュリエルは呆けるシャンイをみて顔を綻ばせた。
「あら…ふふ、驚かせてしまってみたい。いつもキリエからあなたのこと、聞いているわ」
「あっ!も、申し訳ありません、ミュリエル様」
「私がきて驚かせてしまったかしら?今回アストレイ兄さまが戴冠なさるでしょう?それ以降は私も夜会デビューとなるんだけど…私のドレスをレシア様にデザインしていただきたくて。こうして貴女に逢いに来たってわけ」
ミュリエル王女は今年で15歳。
今後は慈善事業、病院関連の仕事をシスリーから引き継いでいる。これからどんどん表の舞台に立つこととなるが、この華やかながらもつつましい姫君ならば恐らくすぐに民衆のアイドル的な存在になるだろう。
「そ、それなら直接姉のところに行けばよろしいのに!きっともろ手を挙げて歓迎するはずです」
「と、言うのは口実で…一応義姉上になるんですもの、シャンイとも仲良くなろうと思って」
(あ、あねうえっ!!!)
シャンイは一気に真っ赤になる。そんな風に言われるのは初めてで、どうしたらいいのかわからない。そんな様子を二人は楽しそうに見やり、和やかなお茶会が開催されることになった。
「戴冠式を前にご多忙の身である兄上が、このような場所に訪れるとはどういう理由かお伺いしても?」
その日の昼下がりの事。
アストレイは、カルメンタ妃の件の報告もかね、自身の邸にて蟄居中のディアトルの元へ訪れていた。
「ああ。いくつか尋ねたいことがあるだけだ。それに応えてくれれば私は戻る」
アストレイがそう答えると、ディアトルはどこか驕慢な笑みを浮かべた。
「ああ、…もしかして、もうすぐお生まれになる予定の稚児について、でしょうか?」
「わかっているなら話は早い、それがまず一つ。おおよその検討はついているが、確認のためだ。もしそうであればその理由も問いたい」
「単純な話しです。求められたから、それに応じた。それだけです」
「では、その後は?」
「ご自身が自ら決断なさったでしょう。ご自身の子だと、民衆周囲に虚報を流した。」
「虚報、か」
淡々と、そう答えるディアトルに他の感情は見えない。ただ事実を並べ告げているだけだった。その様子が不気味で、アストレイはますますディアトルという人間がわからなくなった。
「生まれてくる子供に罪はなかろう」
「そういうところは本当に甘い。貴方という人間は昔から情にほだされ、情けをかけ…挙句の果てには愛しい女さえ弟達に奪われ、何もかもその手から失っている。……哀憐の意すら感じるよ」
「……」
アストレイは肯定もせず、否定もできず、ただディアトルの姿を見た。
「――‥今のお前からは何も感じない。愁いも、懼れも何も見えてこない。」
アストレイは目の前に立つこの人間を知らない。
自分が知っている弟はもうそこにはおらず、同じ顔をした全くの別の姿の人間…のように思えた。
「お前は誰だ?」
「私は貴方が識る者でもあり、貴方を識るものだ」
空虚な言葉に、寒気がした。
暗然としたサファイアの瞳がこちらを覗くと、まるで地の底から這うような得体のしれない恐怖を感じた。彼の言葉は何もかも知っていて、まるで内側まで暴かれていくようだ。
「お前の目的はなんだ?」
アストレイは彼の持つ【闇】から耐え難い程陰鬱な圧迫感を感じ、飲み込まれぬように抗った。やがてディアトルは影のように昏い笑みを浮かべると、くるりと踵を返した.
「私は、もう一人の私の願いをかなえただけ」
その後ろ姿を見送りながら、アストレイはディアトルの言葉を反芻した。
言葉の一つ一つがどこかちぐはぐで、曖昧だった。彼の言うことはどこまでが「本当」で、どこまでが真意なのか測りかねた。
「もう一人の私の願い…?」
なぜか、その言葉だけは…嘘偽りのないもののように感じた。
「すっかり遅くなってしまいました」
ミュリエルはそういうと、夕焼けに染まった窓の外を覗き込んだ。
「ああ、本当。もう冬だもの、日が沈むのも随分はやくなりましたね」
「今日はあまり勉強らしい勉強をしていないけどー、ま、こういう日があってもいいでしょう!」
キリエがあっけらかんとそういうと、後方にいるジャネットがため息をついた。
「ジルニード嬢はもう少しご自身を顧みた方がよいのでは」
「え?!私は常に昨日の自分と戦って勝利しているわよ?」
「……あ、そうですか」
シャンイはそんな二人のやり取りをほほえましく見ていた。
しかし、ミュリエルじゃ帰る時間が近づくにつれ、その表情はどことなく曇っていた。
「あ、申し訳ありません、何か気分を害されましたか?」
「…あのシャンイ様。変なことを聞いてもよろしいでしょうか」
「?なんでしょう」
「ディアトル…私の兄をどう思われますか?」
「!」
突然のミュリエルの質問にどきりとした。
だが、いつになく真剣な表情に、シャンイはたじろいだ。
「それは、どういうことでしょうか?」
「最近、兄がおかしいのです。もちろん、カルメンタのこともあったからかもしれませんが、…時々、とても恐ろしいのです」
「恐ろしい?」
「はい。兄のようで、兄ではないような…心が別人になってしまったかのように」




