密ごころ
「私は生まれてくる子供にも、ディアトルにも時期継承権を指名するつもりはない」
「…は?」
ジャネットは持っていたグラスを落としそうになり、慌てて持ち直した。
先ほどの秘密以上の発言を聞いてしまったことに激しく後悔し、唖然とした。
「そ、それで、どうするんですか?」
「……」
しばしの沈黙。ただアストレイはにやりと笑っただけだった。
(それは言わないつもりですか…)
「今日みたいな日は一人では抱えきれるものではないんだから、君にも付き合ってもらうよ。ジャネット君。本当に、許されるなら…彼女に甘えたいところなんだから」
冗談とは思えない発言に、ジャネットは言葉を失う。
アストレイを見ると、ほんの少し顔が赤い。よく見ると、手に持っているのは今この場にある中でもっとも度数が高いウィスキーだった。
「しっかりしてくださいよ…こんな話は今回限りにしたいところです、言うだけ言って気が済んだら、俺は忘れます!!キレ―――さっぱり!!忘れると誓いますから!!」
ジャネットが力説すると、アストレイははにかんだように笑い、自身のグラスをジャネットのグラスにコツン、と当てた。
「ありがとう」
「全く…随分未練がましいように見えますよ。殿下ほどであれば望めばより取り見取りでは?」
この兄弟は女性の好みまで似ているのか、それにしても何も同じ女性を選ぶこともないのに。などと考えるが、そういう問題ではないのだろう。
「でも彼女は一人だろう?…巻き戻せるなら、オフェーリアを選ぶ前に戻って、シスよりも早く出逢い直したいくらいだ」
言いながら、酒をのむ速度が上がっていくので、ハラハラしながらその様子をみていた。
「私は自分の選択にひとつひとつ間違いなく佳い道を選んできたつもりだったよ。自分にとって、国にとって、周りにとって。だが…それは単に、周囲の期待に応えていただけにすぎない。自分が何を望むのか目を瞑り、そらし続けた結果がこれだ」
本当に手に入れたいと思ってしまった瞬間、それは絶対に手が入れられないものになってしまった。だが、それも自信が選んだ「選択」の一つなのだ。
「シスは選んだ。自身が変わる道を…そのきっかけがなんであれ、私には得られなかった宝石を手に入れることができたんだ。」
「難儀な方ですね。シスリー様も大概だけど貴方も」
「兄弟だからかな、仕方がない。…だがあいつは私からすれば自身の価値を知らなさすぎる。正直たまに無性に腹が立つこともある」
なおも度数が高い酒を選ぶと、それを一気に飲み干した。
「…止めませんけど、大概になさってくださいね」
「大丈夫だ。」
アストレイは、空になったグラスを掲げると、窓の外の光を写し取ってゆらゆらと影が落ちる。
(今だったら、また違う話ができるかもしれないな)
「帰ったら、真っ先にシスリーを私のところに呼んでほしい。言いたいことと伝えたいことが山ほどあるからな」
そんな夜を終えて、次の日のこと。
「雨だわ」
見ると、空には厚い雲がかりしとしとと静かな雨が降っていた。糸のようにゆっくりと落ちていく雫を見つめていると、アストレイがやってきた。
「おはよう、シャンイ」
「お、おはようございます!」
変わらずの眩しい笑顔で挨拶をされると、途端にシャンイの身体は強張った。
(へ、平常心平常心……!)
よく見ると、アストレイの顔色はすぐれない。普段の輝くオーラもくすんでいるように見える。
「あの、大丈夫ですか?どこか具合でも」
「…いや ちょっと飲みすぎたかな…ちょうどよく付き合ってくれる彼がいたもので」
みれば、背後からゾンビのように歩いてくる二人が現れた。
それぞれ青い顔をした三人は朝一番の船に乗り込みそれぞれの帰路に就く。唯一ましなのはアストレイ位で、キリエに至っては完全に二日酔いの状態だった。
「……おふたりとも、大丈夫ですか?」
「うっぷ…やばい飲みすぎた……」
「うう…頭痛い…シャンイ様は平気なの?結構飲んでた気がするけど」
「はい。うちはもともと酒豪の家系です、余程のことがない限り酒には呑まれません!」
「…それはそれは」
ジャネットはそれだけ言うと、その場にしゃがみこんだ。それに倣って、隣にキリエも並んだ。
「えっと、水、飲む?」
「そりゃどうも…」
二人仲良く並んでいる様子を見て、シャンイはさり気なくその場から離れた。
「シャンイ、昨日はありがとう、楽しかったよ。困ったことがあったらいつでも頼るといい」
「はい!ありがとうございます、ブライトさん」
彼女の笑顔に少しだけ眩しそうに目を細めると、アストレイはふっと短く息を吐いた。
(……我ながら、未練たらしいものだ)
そのまま後ろのキリエとジャネットの目を盗んでそっとシャンイに耳打ちした。
「…君の気が変わったらいつでも私の所においで?…心から、歓迎する。その時はシスの許可を取っておくから」
カッと頬に熱が集まるが、それは咳払いで誤魔化して、シャンイは笑った。
「お、覚えておきます・・」
二人の間を優しい風が吹き抜ける、その距離にはもう境界線はなかった。
**
ゆったりとした時間が流れていた。
外には雨が降っていて、静かだった。葉に雨が落ちる音だけが聞こえてきて、ゲイヴリルは優しく降り注ぐ雨音に耳を澄ましていた。
「ヴァルカンクは雨季と乾季があるらしいな」
振返ると、目の下にうっすら隈のあるシスリーが姿を現した。
「ちょっと王子何その顔。綺麗な顔が台無しじゃない」
「…別に」
ぶっきらぼうにただそれだけ呟いたシスリーだったが、侍女たちの噂からして婚約者が一晩帰ってこなかったと聞いた。
(原因はそれか…)
「ふふ、よっぽど好きなんだねえ、彼女さんのこと。…まあいいけど、その様子なら全く気が付いてないだろう?」
「?」
訝し気に首を傾げるその姿を見て、ゲイヴリルは笑った。目の前でくるりと回ると、短い髪に飾られた大きな花飾りのリボンと一緒にひらひらとドレスの裾のレースがたなびいた。
「あ…馬子にも衣装?か」
「失礼だな!これでも一応他国の王女なんだからもう少し言い方ってものがあるでしょ」
「‥それは失礼。よくお似合いです。ゲイヴリル王女殿下」
「ど、どうも」
昨日の一件から、二人の王子と王女は服装と役割を元に戻したようだった。今日のゲイヴリルの衣装は、髪型からドレス、つま先までララファが目を爛爛と輝かせながらセッティングしたらしい。
「ララの仕業か。相変わらずいい仕事をするな」
シスリーが柔らかく笑うと、ゲイヴリルはなんだか落ち着かなくてそわそわしてしまう。
「か、彼女さんのドレスを借りちゃったけど、大丈夫なの?」
「大丈夫だろう。まだ袖を通していないのだろうし、何だったら俺からの贈り物ということで」
実際、レシアという強力な衣装アドバイザーがいるので、シャンイのドレスは新作だったり季節柄に合わせてだったりと、十日と開けず大量に贈られてくる。その管理全般はララファと複数のメイドたちが担当しているので、今回ゲイヴリルが着ていても支障がないということだ。
「お、贈り物…その、ありがとう、ございます」
「どういたしまして。ミカエラは?」
「あ、む 向こうにいるよ」
「そうか、では行こう」
すっとゲイヴリルの前に手が差し伸べられる。
(え、エサルエスの男性は紳士的というけれど…は、恥ずかしい)
シスリーの大きな掌に自分の手をおずおずと乗せると、身体中が熱を帯びて熱くてしょうがなかった。
(絶っっ対!こちらを振り返ってくれるなよ!!)
今自分が何の感情でいるのか、何を思っているのか、ゲイヴリルにはいまいちピンとこない。しかし、これは決して自分で認めてはいけない感情であることを、心のどこかで理解していた。
「それでは、‥いろいろ勉強させていただきました、」
ミカエラはミカエラで、サイズが若干異なるため、過去袖を通したものを譲り受けていた。
「ミカエラ王子、俺は明日にでも陛下たちに今回の件を打診して、何とかディアトル妃の周辺を洗うつもりだ。エサルエス側の資金援助が打ち切れれば奴らも慌てるはずだ。‥そうなればヴァルカンクの内乱も落ち着くはず」
シスリーの言葉に力強く頷くと、ミカエラは北の方角を眺めた。
「本来なら私達の軍が負けるような連中ではないはずです。こちらもこちらで、何らかの関わりを必ず見つけます」
ミカエラはそういうと。ゲイヴリルと顔を見合わせて頷いた。
「また近いうちに逢うことになるだろうけど、それまで元気で。私たちは蒼穹の風の元でつながっているから、何かあれば力を貸すよ!」
「次に会うのは兄上の即位式だな。…その時はもっとゆっくりとエサルエスを案内しよう」
「はい!楽しみにしています。ロレンス卿にもよろしくお伝えください!」
二人は馬車に乗り込むと、名残惜しそうに後ろを振り返った。
胸が締め付けられるような想いのまま、手を振るシスリーをゲイブリルは見えなくなるまで見つめていた。
「…ゲイヴ、よかったの?」
「何が?ミカ。もう会えなくなるわけじゃないし、さ」
いつまでも後ろを見ていたゲイヴリルをミカエラはそっと抱きしめた。
「強がったってしょうがないよ」
「…なんだよ、急にお兄ちゃんの顔しだして」
「ごめん、これから…もっと頑張る。だからゲイヴもほら、エサルエスの王族は複数の妻を持てるらし」
ガン!
ミカエラの頭にちかちかと星がちらついた。…思い切りげんこつが飛んできたのだ。
「余計なことは言わなくてもいいんだよ!!!馬鹿!!」
「…せっかく綺麗な格好してるんだから、もっとお姫様らしくしなよ。シスリー王子に見てもらいたかったんでしょ?」
「ちゃんと見てもらったし!次あうときはもっと素敵で綺麗なミカに負けないくらいの美女になってるはずだもんね」
そこは否定しないんだな、とミカエラは頭をさすりながら苦笑いをした。
「でも実際、彼が義弟君だったら頼りになるだろうなあ」
「いい加減にしろ!!」
(知ってるよ、あんな風に婚約者さんを寝ないで心配しちゃうくらい、大好きなんだもの。彼の心に誰も入り込める隙間なんてありはしないよ)
でも、とゲイヴリルは思いを馳せた。
自分は自分以外の者にはなれない、か。
(どんな形であれ、誰かを想うのは自由なはずだよね。きっと…)




