間章~キリエとジャネット~
さかのぼること少し前のこと――
キリエ・ジルニードは、遊覧船の乗り場でなにやら頭を抱えている青年を見つめながら思った。
(これは、もしかして神様がくれた好機なのかしら)
すらりと背の高いその長身、服装からしてどこぞの名家の使用人だろうか?
白いブラウスから垣間見える三角筋のたくましさ、上腕三頭筋の整ったふくらみ、どれを取っても見ほれるほどだった。
時折見せる愁いを帯びた横顔もそのすっきりとした短い髪も、要するにキリエのどストライクな好みの容姿だった。
(やばい!!すっごくお近づきになりたい!!!あ、でもどうしよう?ああいうタイプは急に声を掛けたら警戒するに違いないわ!…人間は第一印象で七割方好きか嫌いか振り分けるそうだから、ここは是が非でも好印象を残さないと!)
キリエは意を決して青年に声をかけるが、ものの見事に無視された。めげずに二回目、三回目でやっとこちらを振り向いてくれた。
「もしもーし」
「誰だよ、人が考え事してるのに。どちら様?」
(やった!振り向かせることには成功した!!)
「ねえ、そんなにその遊覧船に乗りたいの?」
「ええ、まあ。ちょっと立て込んでいるんで、用事なら他の奴に頼んでもらえます?」
「なあに?何かトラブル?手伝えることはあるかしら。その船に知り合いでも乗っているの?」
「…知り合いというか。一応自分の主人です」
青年は明らかにとっとと話を終わらせたがっているようだったが、キリエはそれどころではなかった。何とか縁をつなげねば、と力が入ってしまった。
「うちの家って資産と財力は相当なの。良かったら私の船をお貸ししましょうか?」
「……なんでそこまで?」
できるだけ余裕のある表情で、かつ嫌みのない笑顔を作る。
(人間、絶対的に自分が不利な条件にはすぐ乗らないものよ!!ならばこちらの掌を見せるまで!)
「ノブレス・オブリージュ。貴族たるもの、困っているものには救いの手を差し伸べるものよ」
「へえ、金持ち貴族の道楽ですか?」
万全の笑顔だったが、急に青年の声の温度が下がってしまう。
(う…?!地雷だったかしら、で、でも!めげないわ!)
「ちょうど、我が家で開発された小型船の試運転をしなければと思ってたの」
「名も名乗らないご令嬢が見ず知らずの男性に声をかけるなんて、どんな理由があるんです?」
ジャネットの鋭い一言に目をぱちくりさせてしまった。
(あれ?!名乗ってなかったっけっ?!しまった、力が入りすぎて忘れてた)
とりあえずは取り澄ました表情を作り、あくまで高貴な令嬢として振る舞う。
「…私の名前はキリエ・ジルニードといいます。失礼を」
「ジルニード?ジルニードの令嬢?確かお嬢の友人でしたね?!」
しかし、名を明かした瞬間、彼を取りまく警戒心は一機に縮まった。藁でもつかむかのように力強くその手を握って来るので、キリエは硬直してしまう。
(うわぁぁ、近い!近いけど、やっぱり超好みだわ!!…は!いけないいけない!)
「え、ええ?しゃ、しゃんいがど、とうか?!」
そういうと、青年は更に距離をつめ、声をひそめる。
「私はジャネットと申します。今は婚約者のシャンイ様の護衛をしておりますが、彼女はさる令息に連れ去られてしまいました」
「?!どう言うこと?それシスリー様には?」
「いえ、ちょぉっとその令息が特殊でして、できれば内密に見つけてお連れしたいのです。」
うっかり見とれてにやけてしまいそうになるため、必死に眉間に皺をつくりあくまで慎重に頷いた。話の流れの半分は頭にはいっていないが、この際、それは問題ではない。
「いいわ…友人の危機だもの。わかったわ!お任せください」
(ぃやった!一日中確約デートだわ!!!)
キリエは心のなかでガッツポーズをした。
(…情報を整理しておこう)
船に乗り込みながら、ジャネットは慎重に考える。
この状態はよろしくはない。
いくら王族が正妃の他に妃を持つのは禁止されていないとはいえ、未来には皇后になられる方の懐妊が報じられているにも関わらず、その日に弟の婚約者と逃避行(?)するなんて。
(…いや、ホントあの方もさすがシスリー様の実兄というところか、普通じゃない)
これがただの気まぐれのようなものでもあればいいが、そうじゃない場合、洒落にならない状況どころか、必ず何かしらのほころびが生まれてしまう。
(あ~くそ、胃が痛い…!これだからイロコイゴトってのは!!)
ジャネットにはある信念の元に行動している。それは『他人の恋愛ごとに関わらない、一切巻き込まれない』である。古今東西、古からの決まり事で恋愛事は面倒事しか起こさないといわれているのだ。それこそ、馬の脚に蹴られて死んでしまえという、ことわざを聞いたこともある。
「ねえ、ジャネット。シャンイと一緒にいるのは誰か知ってるの?」
「ええ、まあ」
「誰?二人を探すのなら、私にも情報の開示は必要じゃない?」
自身の名を名乗ってからというのもの、先ほどまでの高貴な淑女の様相はあっという間に消え失せていた。もともと隠すつもりもなかった言うことだろうか。
「…黙秘ってわけには?」
「ふむ。そんなに言いづらい相手なのかしら。ならば当てて見せましょうか?」
「ご遠慮します。」きっぱりと言い放ったつもりだったが、キリエには全く聞かなかった。
「んー、そうねえ、まず可能性としては他国の王族もしくは上級貴族、それ意外なら案外どちらかの身内とかかしら?」
「……」
「でも、シャンイのご兄弟なら問題はないし、となればシスリー王子のご兄弟、関わりが深いのは、もしかして兄上のアストレイ様とか?」
得意げにそう言って明快に笑ったキリエだったが、ジャネットの表情をみて何かを察したようだ。
「え、嘘。どういうことそれ?…確かにあの夫婦はうまくいってなさそうだけど」
「…はあ、さすが天才といわれるジルニードの令嬢ですね。……仰る通り、お相手は次期国王陛下です。」
「はぁ?!!…うっそ、それは…どういうこと」
「そんなの俺が聞きたいですよ!…ったく、ご兄弟そろって好みは一緒、とか。ありえないでしょ」
「はー…あの、堅物優秀王子様がねぇ…」
(この場合はもう使える者はすべて使った方がよさそうだ)
ジルニードほどの権力があれば、もみ消すこともできるだろうし、この令嬢ならば話を分かってくれるだろうとも思った。
その時、突然ぐいん、と船が揺れるとものすごい早さで走り出した。
「?!!ち、ちょっと大丈夫ですかこの船?!」
「多分大丈夫よ!!一応お父様には教わっているから!!」
「令嬢が運転するんですか??!」
小型であるが故に風の抵抗が少なく、いとも簡単に船はぐんぐん速度を上げてゆく。たまらず手すりに捕まるが、油断すると秋の冷たい水面に攫われてしまいそうだった。
「というか!多分って言いましたね?!」
「今日初乗りだから!だからなにかあったらその逞しい体で私を守ってねぇ!!」
水面を縫うように走る船。風が吹くと一緒に吹いてくる波しぶき、それに髪が巻き上がるほどの強風。しかも隣には権力のある(分類上では)すらりとした美しいご令嬢。
本当ならだれもがうらやましがるような状況のはずだが、残念ながら振り落とされる恐怖の方が勝っていた。
(くっそ~!今日は厄日だな!!!)
せめてこれが夏ならば、恐怖は爽快感で打ち消せるものを。ジャネットは何かをあきらめたのだった。




