自身という名の器
「はあ、はあ、はあ…」
「あははは!いやあ、うまくいってよかった。大丈夫かい?シャンイ」
少しぐらつく船の手すりに持たれかけながら、アストレイ殿下は楽しそうに笑っていた。
(し、信じられない…うう、ごめんジャネット)
「あ‥アストレイ殿下、どういうおつもりで…!」
私の言葉を遮るように目の前に人差し指を立てる。
「しー。どこで誰か聞いているかわからないから、その名前では呼ばないように」
「…な、なんとお呼びすればいいでしょうか」
「そうだな……じゃあ、ブライトで。」
「ブライトさん?」
「その名前で呼ぶ人間はもうこの世にはいないし、君なら構わないよ」
呼ぶ人はこの世にいないなんて、どういうものだろう?ただ、それはどこか寂し気に聞こえた気がする。
「ええーと、ではブライトさん。一体どういうおつもりですか?本当に何かあったら」
シャンイがそういうと、どこか満足げにアストレイ殿下ことブライトは笑った。
「うん、悪くない。それと、さん付けはなしで」
「え?えぇ…と」
「ダメかな?」
「あぅ、は、はい、わかりました…」
(ああ、また流されてしまう…)
だってしょうがない、この方の笑顔にはかなわないもの
「私がもともと誘ったのは君一人だろう?‥それとも、私と一緒では嫌?」
「い、嫌とかそういう問題では」
「じゃあいいね。それより、風が気持ちいい。君も甲板においでよ」
すっと差し伸べられたその手を掴むと、爽やかな風が頬を撫でる。水面は青く、今日は快晴だからか、水面がキラキラ光が反射していてとても美しい。
それなりの高さのある船だったが、周りを風に乗ってカモメが取り囲むように並走していた。
「わあ!…綺麗…!」
シャンイが身を乗り出してカモメたちを見上げると、三つ編みできちんとまとめた長い髪が風にゆらゆらとなびいた。
「見ているだけでこちらが楽しくなるな」
アストレイの視線に気が付き、なんとなく気恥ずかしさを覚えて姿勢を正した。
「…んんッ。そんなに見つめられると困ってしまいます。」
「そう?なら猶更目に焼き付けておかないと。こんな機会はそうないだろうし」
「私なんて見てないで、景色を楽しんでください!」
***
「…次の出航まで待っていくべきか?各波止場に行ったところで降りるとは限らないし」
ジャネットはぶつぶつ言いながら、遊覧船の標識の前に試行錯誤していた。
と、いうのも、自分は護衛の身分であるため、相手が次期国王陛下だろうとなんだろうと、彼女を守るのが役目であるし、万が一にでも何かあった時に自分が傍にいない状況などあってはならない。理由が何であれ、絶対に見つけなくては。
「しかも今日は祝日だし、人でも観光客もいつもの倍以上だ。・・無駄足は踏めないし」
「もしもーし」
「誰だよ、人が考え事してるのに…どちら様?」
何度目かの呼びかけに耐えられず振り向くと、そこには赤い髪の身分も身長も高そうな女性が傘を持って立っていた。
「ねえ、そんなにその遊覧船に乗りたいの?」
「ええ、まあ。ちょっと立て込んでいるんで、用事なら他の奴に頼んでもらえます?」
「なあに?何かトラブル?手伝えることはあるかしら。その船に知り合いでも乗っているの?」
「…知り合いというか。一応自分の主人です」
悪気があるのか何か企んでいるのか、女性は引かなかった。とはいえ、どこの誰だか知らないがおそらく高名な貴族のようだったので、むげには出来ない。
煩わしさを感じ始めていると、それを察したように女性はにっこりと笑った。
「うちの家って資産と財力は相当なの。良かったら私の船をお貸ししましょうか?」
「……なんでそこまで?」
疑りを持ってジャネットが睨みつけると、それをこともなげに受け流し、彼女ははっきりと告げた。
「ノブレス・オブリージュ。貴族たるもの、困っているものには救いの手を差し伸べるものよ」
その頃。シスリーは双子とロレンスと共に射撃の練習をしていた。
「腰は低くして、剣を使うんだから下半身の力はあるはずです。後は的の中心を狙って撃つだけです」
「…わかった」
(十発中7割方の命中率か)
続けざまに連発撃ち込むと、的には当たるものの中心には一発しか命中しない。
「一発撃ち終わる前から次の準備をしておくといいよ」
ゲイヴリルの教え方は分かりやすく適切だった。
「それにしても、第三王子の私兵団の人たち、なんというか騎士らしくない人が多いね?」
「ああ、彼らの出自はほとんどが平民かそれ以下だ」
兼ねてからの計画通り、銃の特別専門機関としてシスリーの元にはかつてコントラクタ―だった彼らの中から選ばれた15人の指導をまとめてミカエラとロレンスに頼んだのだった。
「…ほんと、君、変わっているね」
感心したようにゲイヴリルが呟くと、しばし呆れたままシスリーは口を開けずにいた。
「本当にそういうことをあなたに言われたくないのだが。変わっているのはそちらだろう。男装の王女殿下なんて聞いたことがない」
「わ、悪かったな。…こちらにもいろいろ事情があるんだよ。」
気まずそうに眼をそらすと、ゲイヴリルもまた自ら銃を手に取って連射する。片手で放たれた弾丸はすべて的の中心の、しかも同じ個所に撃ち込まれた。
「さすがだな。君たちは兄妹そろって銃撃が得意のようだ」
「僕はまあ射撃手としては優秀だけど、ミカは天才」
「天才?」
「そう。射撃の腕は多分ヴァルカンク最強だよ。しかも銃をばらせるし、改造だって出来ちゃう。技術者としても、射撃主としても銃に関することなら右に出る者はいない」
どこか空虚な、淡々としているその声音にシスリーは身に覚えがあった。
敵わないと思っていて、越えられられない壁のような存在があるときに同じようなトーンで同じような返答をしたことを思い出す。
「身近に完璧な天才が人間がいると、生きづらいものだな」
「え?」
そう言いながら、シスリーは両手で銃を支えるのをやめて、片手に持ち直した。そのままゲイヴリルの真似をしてみた。
カー―――ン……
弾は乾いた音を立てて的の中心へと命中する。
「へえ、やるね。王子様」
「実は無理しているのはあなたの方じゃないのか?ゲイヴリル王女」
「……なにそれ」
シスリーはゲイヴリルをじっと見つめた。
翆玉色の瞳に見つめられて、どうすればいいの分からず、ただ立ったままでいることしかできなかった。
「別に。なんとなくそう思っただけだ」
「無理、なんて…なんで」
ふっと視線を外すとシスリーは再び正面を見据えた。
「俺にも兄がいるんだが、身内の目であっても非の打ちどころがない人だ。兄に追いつこうなんて思ったこともあるにはあるが…あまりに意味のないことだからやめた」
「どう、して?」
「互いに違う人間だから。あなた方は双子だからまた特殊なのかもしれないが、君はゲイヴリルでしかないし、ミカエラにはなれないだろう?どれだけ周りが求めようとも、君たちの代わりを誰かがやるなんて、不可能だろう」
「それは」
言葉を濁してゲイヴリルもまた視線を外した。
「そんなこと、言われたの初めてだよ。」
ミカエラを見ると、今日はいつものドレスではなくブラウスにパンツ姿、しかも長く美しい髪は束ねていて、複数の男性たちに囲まれながら楽しそうに笑って指導をしているようだった。
その姿はどこから見ても立派な王子殿下だった。
「‥僕ら二人は、6歳のころに二人そろって反王家組織に拉致されたことがあった。その時とっさの機転でミカは僕の身代わりになって女の格好をしたんだ。…どちらかを殺す、みたいな話になったときそれこそ銃を使って奴らを返り討ちにした。」
「……」
「状況が状況とはいえ、その時初めてミカは人を殺した。…僕を守って。それからというもの、色々なものに対して臆病になり…ついには女性の格好を好むようになった。」
「自己防衛本能、というやつか?心を、守る方法のだったんだろう」
「……ミカは、さ。立派な王様になれるんだ。でも、今のままじゃそれができない…だから、それまではって」
「それで、ゲイヴリルが成り代わることに意味があるのか?」
「!!」
風がざあっと吹くと、枯れた木から葉が舞いあがる。
ゲイヴリルは大きく目を見開いてシスリーを見つめる。肝心の彼はこちらを見て静かにほほ笑んでいて、なんだか泣きそうになってしまう。
「…あ、の。そんな風に‥面と向かって言われたのは初めてだ」
「俺にはよくわからないが、別に無理に男のミカエラの真似をしなくてもいいんじゃないのか?‥ミカエラだって、いつまでもあのままじゃいられないのは分かっているだろう。それがたとえ王家に生まれた宿命だとして、いずれは立ち向かうべき問題だろう」
ゲイヴリルは言葉が出なかった。
傷ついたわけでもなく、かといって怒りの感情もわいてこない。ただただじっとその言葉が体の内側にストン、とおちていく。
ただ単純に明確な事実を突きつけられただけなのに、どうしてこんなに心が穏やかになるのだろう?
「…シスリー王子、君も戦っているの?」
「さあ、どうだろう。…でも俺一人じゃあ、一生気が付けないことだったと思う。自分自身を作るのはいつだって自分だけだろう」
(彼女がいたから、今の俺はここに居る。けれども…)
無性にシャンイに逢いたい、心からそう思った。




