王子殿下の休日
「すみません、これを三つお願いできますか?」
「はーい、!!やだよ、お兄さんたらすっごく素敵じゃないの!!これもおまけしちゃうよ!!」
「ああ、ありがとう。美味しくいただくよ」
颯爽とパンを持って噴水広場を歩く姿は、まるで一枚の絵画のようだった。その後ろ姿を、パンの販売のマダムはうっとりと見送ったのだった‥‥。
「すげえ、あの方これで何人目です?」
「えーっと、かれこれ6人くらいかな…」
王子殿下自ら買い出しを宣言したので、シャンイとジャネットは噴水広場にあるテラスに座りながら、その様子を見守っていた。…この短期間で観察している最中だけで、あの笑顔に魅了されて骨抜きにされた女性は彼女で6人目だった。
「ホント、何て人たらしこんでるんです。いくら恋をしたいお年頃だからって、シス様ほっぽってあんな人を引っ張り出してきて」
「どういう意味よそれ?!誤解だって言ってるでしょう!!それにアストレイ様とは本当に偶然に会っただけだってば!」
「偶然ねえ。どういう確率です、それ。」
本来ならば身分が低い者こそ買い出しに行くべきなのだろうが、この度は王子殿下直々の待機命令が出ているので、手を出しようもない。
「ふう、ここの売り子の皆さんはおまけをたくさんくれるんだな。いい人たちばかりだな」
ほくほくとした笑顔でアストレイは二人の元に戻ってくるが、手には花束やらお菓子やらを大量に抱えている。彼が純粋にお金を出して買ったのはわずかで、あとは道行く人からのプレゼントだったり、おまけだったりするようだ。
エサルエスの次期国王陛下、アストレイ。
彼は立ち振る舞いから言動、容姿、どれを取っても非の打ちどころがなく、あふれ出るカリスマは民衆を魅了する。特に女性に対する効果は覿面で、彼を応対する売り子はほぼ全員何かしらの『貢物』を贈ったりしている。
いまでこそ、その太陽のごとき輝きは眼鏡で打ち消してはいるものの、パン一つほおばる姿だけでもやたら絵になってしまうのだった。
「殿下…あまりお一人で行かれないように…どこで何があるかわかりませんし」
「大丈夫だ。そのために君たちがいるんだろう?」
うっとりとするような眩しい笑顔にシャンイもジャネットも負けっぱなしである。
「…よ、よくシャンイ様はこの方の笑顔をまともに受けて魅了されませんね…俺ですらちょっとドキドキするっていうのに」
「妙なところで目覚めないでよ、ジャネット。気をしっかり持ちなさい」
(なんていうか、この方はやはりシスの兄上様だわ。よく似ていらっしゃる)
シャンイは、普段よりシスリーの近くにいるだけあって、ある程度の免疫というか、王子オーラに対する耐性が備わっている。にも拘らず、少しでも油断すると激流のごとく流されそうなので、気を付けなければならない。シスリーと違ってアストレイの持つその輝きは駄々洩れなのだ。
「殿下はもしかして、城下やバザールを見て歩くのは初めてですか?」
「そうだな。幼い頃に一度きり、かな。基本的に王族はあまり庶民に姿は見せないようにと教育されているものだから」
「…では、本当にシスリー様がしていたことは掟破りの行動なんですね…」
「ああ、まったく。羨ましいことだ。…私もシスほど振り切ってしまえばいいのだろうけど、時々自分が嫌になるときもある」
そう言ってアストレイはどこか寂しそうに笑った。
「まあ、シスリー様の場合、実は根がチンピラというか、自由を求めすぎる不良というか…ルールは破るものと思っている節がありますから」
ジャネットの酷評なのかそうでもないのかわからない評価に思わずシャンイとアストレイは噴き出してしまう。
「ジャネット、少し失礼よ…でも、フフフ、当たっているかもしれないわ」
「正当な評価だな。…面白いな、ジャネット君」
恐らく本人が思った以上の反応だったようで、少しだけ頬を染めてそっぽを向いてしまった。
「それにしても、この街は平和だな。特に今日は祝日のせいか、皆楽しそうだ。」
「建国記念は、皆にとってはお祭り期間です。むしろ今楽しまなきゃ損ですよ!」
「そうだな。そんな日に婚約者を一人にするとは、シスは相変わらずと言うかなんというか」
「いいえ、そういう日もあると言うだけで、普段からちゃんと気に掛けて下さいっていますよ。」
「そうそう、あの人が珍しくぞっこんですから」
「ちょ、ちょっとジャネット!」
「それはすごいな。シャンイ、君は普段、周囲からあいつがどう見られているか知っているかい?」
「普段、ですか?」
シャンイにとって普段のシスリーは、少し寂しがり屋で不器用な人。で、意外とヘタレというか(本人のまえでは口が裂けても言わない)なんというか。なイメージだった。
「氷の冷血王子とか、無機質人間とかかな。彼は自分の内側の人間には優しいが、第三者、主に外部の人間には容赦ない対応をするので有名なんだ」
「あ!そ、そういえば前にジルニード公子も似たようなことを言っていたような…」
「君になら心を許せるんだろうな…そうか。気持ちはわからないでもないかな。君は優しいから」
アストレイはそういうのだが…。
彼の癖なのか正面から目を合わせて言うものだから、その甘い笑顔に多くの女性が陥落するのも無理はない。
それこそ恋に夢見る少女なら猶更夢中になることだろう。シャンイはゆるりとさりげなく視線をずらしながらぎこちなく微笑む。
「お、お褒めの言葉(?)ありがとうございます…」
(こういうことを臆面もなく言えて、それが様になる人って本当にこの世に存在するのね。耐性がなかったら心がもたないわ……)
「…ふむ。」
「なあに?ジャネット、難しそうな顔して」
「いやいやー。気付かないというのは時に幸せなことだなあと思いまして。」
「――…?何のはなし?」
「さて、そろそろ場所を変えようか。どこかおすすめはあるかな?ジャネット君」
貢ぎ物はそのあたりで遊ぶ子供に贈ると、アストレイは立ち上がった。
「おすすめですか?うーーん、そうですねえ。」
言いながら三人ならんで歩きだす。
この広場はアウロスの中心部の一つで、アウロスの南から北を真っすぐ伸びたエルセレン河が流れている。この川は北側の港に抜ける唯一の運河で、小型から中型の船の航行も少なからずあり観光客に対応した遊覧船も航行している。
緩やかな流れで、いくつもの橋があり、景観も煉瓦造りで観光客にも人気の場所である。色とりどりのタイルがはめ込まれた石畳の上をのんびり歩いていくと、ふと、一艘の華々しい飾りが施された、赤と緑の模様の船が停泊しているのが見えた。
(そういえばこの時間だったら観光客向けの遊覧船があるのよね)
見れば、ちょうど出航直前のようで船に乗り込むための行列が並んでいる。
「間もなく出港でーす」
カランからんとベルの音が鳴り響く。
「あ、ねえもしよかった」
突然シャンイは強い力で引っ張られると、アストレイの大きな背中に隠されてしまった。
「ら?」
何事かと彼の顔を見ると、アストレイは慎重に辺りを見渡すと、そっとシャンイに耳打ちした。
「しーっ。静かに」
(?!なにかいるの?)
手を握られたままでいたシャンイは、アストレイのただならぬ様子に少し周りを警戒した。
「いいかい?シャンイ、このまま黙って私についてくるように。決して声を出してはいけないよ」
神妙にそう告げるものだから、シャンイは力強く頷いた。導かれるまま手を引かれて歩き出す。
「うーーん、王子殿下に案内できるような場所…て、え?」
ジャネットが振り向くと、すでにアストレイはシャンイの手を引いて走り出した。
「あ。ちょっ?!」
「すまないね、ジャネット君。君はそこで待機!」
振り向きざま、笑顔で手を振る次期国王陛下をジャネットは呆然と見送る。
「ジャネットは待機って…え?!どういうこ…あの???!」
シャンイはというと、なされるがまま後に続いて走り出していたのだが、ようやく自分を取り巻く異変に気が付いたころには時すでに遅し。アストレイにがっちりと手を握られているため振りほどくこともできず、そのまま遊覧船に滑り込みで乗車することとなってしまった。
ジャネットが呆然と立ち尽くす中、船は出港した。
「…えぇえー…」
正気を取り戻して遊覧船の時間を確認するが、次の出航はおよそ一時間半後だった。
「エサルエス一週半日遊覧…ってうっそだろ?!…やっちまった。馬鹿だろ俺…」
(いや、もっと警戒するべきだったか?)
あの二人に何があるかは知らないが…アストレイは、弟の婚約者に対する優しさと言うにしては、どこか違う違和感が最初からあるように思えた。
(それに、もうひとつ気になるのは…殿下はともかく、シャンイ様は気がついてもないみたいだが)
「まさか、お嬢まで落ちたりしないよな?…こんな時に何やってんだよシス様…」
ジャネットは心の底からの大きなため息をついたのだった。




