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【完結】翡翠と翆玉~九死の姫は岩乗の王に嫁ぐことになりました~  作者: いづか あい
第二章・「承」 円環

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告白


父との思い出というものは数えられるくらいしかない。

一番残っているのは、まだ母が生きていた頃、ある冬の日に雪遊びに夢中になって熱を出して寝込んでしまったことがあった。その時のことはおぼろげにしか覚えていないのだが、庭で倒れていたのを運んでもらったことがある。明確ではないが、力強くて暖かく広い背中を覚えている。


(確かあれは4歳…くらいか?)


それ以外はあまり記憶にない。

どちらかというと父が兄たちとともにいるのを遠くから見ていたことの方が多いように思える。なぜそこまで父との距離があったのか、今では正直わからない。

そして今日、随分と久しぶりに間近で父と向き合ったように思える。


(勇退…そこまで年を重ねていたのか)


こういう心許ない夜は無性に冷たく感じる。シスリーの足はそのまま彼女の元へ向かっていた。

 


「シャンイ、落ち着いたか?…何かあったのか?」

「い、いいえ。ちょっと急に色々あって情緒不安定になってしまいました。」


部屋に入るなり抱き着いてきた彼女をソファーに座らせて、カップに紅茶を注いだ。


「え、シスが淹れてくれるんですか?」

「ああ、…随分と昔、母がよく眠れない夜に作ってくれていた。…どうぞ。」


少し苦みの強い紅茶にミルクを入れて、少しだけ砂糖を入れる。


「ミルクティー‥。シスとなんてなんだか意外な組み合わせですね」


安堵したように笑う彼女を見てこちらもほっとする。


「…聞いてもいいだろうか?…いや、言いたくないなら」


 言いかけて、やめた。


(…言いたくないなら言わなくていいなんて言ったら二度といわないだろう)


こういう時、本当にどうすればいいのか悩んでしまう自分がうっとうしく思えた。

ここは相手の返事を待つべきだろうか、それともこちらから聞くべきだろうか?更に悩んでいると、ふっと噴き出す声が聞こえた。


「…あはは、シスってばさっきから百面相しすぎです!」

「‥‥いや、どうも。こういうのは苦手で、すまない。」


結果はどうあれ、ひとまずシャンイが笑ってくれたことに胸をなでおろした。

 

「シスも、眠れなかったのですか?」

「ああ…色々あった夜だからかな」

「私もです。‥‥本当にたくさんありました」


シャンイはそういうと、また沈んだ顔をしてしまった。

(何を言うべきだろうか?!)

自分は間違ったのかもと考え出した頃、自身に対して思いもよらぬことに気が付いた。

 こんな風に誰かを想って悩んだり、焦ったり、嫌われないようにと悩んだり…。以前の自分からは考えられないことだ。


「…シャンイ。良ければ俺の話を聞いてくれるだろうか」

「え?」


ひとまず深呼吸をしてから、覚悟を決めた。

(…自分を理解してもらうには、自らが努力しなければ)


「今まできちんと話していないし、言ってないと思って」


こんな風に一人の人間と向き合うのは初めてかもしれない。今までかつてないほど緊張している。


「…今回陛下が宣言した通り、建国式典を境にアストレイが王になる。それに伴い、俺はエサルエス王国全軍の指揮を任された。任務があれば争いの場に向かうし、王に危機があればこの命を盾にする。今までのように裏でこそこそするのではなく、嫌が応にも表舞台とさらされることになった。」


シャンイは黙って頷いた。


「俺も兄上も今まで以上に責任が重くなり、その伴侶となる妃にもその責が付きまとう。」

「シス…」 


テーブルに置いてあった彼女の手を取り、自分の額に当てる。


「俺自身が貴女を選んだことに後悔も迷いも何もない。けれど貴女はどうだろう?どう、思っているだろうか?…俺のことも」


そこまで言うと、それ以上は怖くて彼女の顔を見ることができなかった。


「貴女は自由だ。…どこにでも行けるし、なんにでもなれる…だから、好きな道を選んでくれていい。でも、もしも貴方が良いなら、俺とともにいてほしい」


(言い切った。…言いたいことは大体言った。でも)


「だから、その」


心臓は飛び出しそうだし、何なら吐き気だって感じる。後は返答を待つだけなのに、沈黙が異常に長く感じた。


「あ、の……」


恐る恐る顔を上げると、…シャンイは


「笑わないで聞いてくれますか…?」そう言って耳まで赤い。

「あ、ああ」

「…あの…、…です」


それこそ虫の声のごとく小さい声で何かを呟いた。


「…ん?」

「だから、私…その、今までの人生で…誰かをす、好きになったり、恋をしたことがないんです!」


そういって顔も耳も真っ赤なままふいっと目をそらしてしまう。そのしぐさがあまりに可愛らしくて、理性まで飛びそうになる。


「…え」


シャンイが離そうとするその手を無意識のうちに強く握りしめた。


「だ、だから!その、と、突然触れられたりとか!ど、どういうのが好きだとかっ…わからなくて、どう対応したらいいのか…ほんとに恥ずかしくて…!」


そういって彼女は立ち上がったので、つられて自分も立ち上がった。


「た、例えば!お前は貴婦人だからそういう風に振る舞え、それが仕事。って言われたら全力でやります!婚約だってそういう仕事って思いました!!」

「し、仕事?!」

「でもだからって!!誰でもいいわけじゃなくて、しっしかもシスと一緒が嫌ってわけでもないし!伴侶だのとか考えてなくて…!かといって、シスの隣に私以外の誰かが立つっていうのはっ」


そう言いながら、空いてる片方の手で顔を隠してしまった。


「い‥嫌なので…ッああもう、なんて言ったらいいのか…色々な自覚が足りなくて…」


自分が思っていたのとは違う回答に、しばし呆然とした。ただ、彼女なりに一生懸命言葉を紡いでくれたのが、純粋に嬉しくて、一緒に気も抜けてしまった。


「…なんだそれ。」

「!笑わないって言ったのに!!」

「いや、つまりは俺のことを嫌いではないんだ?」 

「そ、そうです。…ちょっと、今まで他人事みたいに思っていたのも本当ですが、かといって私以外に貴方の隣に誰かが立つのは…!そ、そうなるくらいなら私が覚悟を決めます!」


顔は赤いまま、キッとこちらをにらみつけるのだが、それすら愛しく思えてしまう。


「…うん、わかった。ちなみに今でも俺が触るのは嫌?」

「なんです、緩んだ顔をして!い、嫌ではなくて…先に宣言してくれたら心の準備ができます。」


俺の返答がお気に召さなかったのか、少しむっとしたようだった。


「そうか。…じゃあ」


握りしめたその手をこちらに引き寄せて、少し屈んで彼女の顎を持ち上げる。


「触るけど、いいね?」 


翡翠の瞳が一瞬見開くのを認めて、その唇に触れる。…ほんの少し。


「……っ」


大きな目は見開いたままよろけてしまうが、それを抱きとめた。


「目、閉じて」


そのまま今度は深く長いキスをした。

抵抗するでもなく、硬直したままの彼女からそっと惜しむように唇を離すと…

「シャンイ?!」

「~~っ…」シャンイは目を回して倒れてしまった。  


 

 月明かりが部屋を照らし、アストレイは自室にてただ一人、その光をぼんやりと見つめていた。

 

「私が国王、か…。」先ほどのやり取りを反芻しながら、目を閉じる。

考えることは山ほどある。それなのに何ひとつ考えがまとまらなかった。

―― 完璧であるのは、日ごろの努力が実を結んだ結果であり、努力の証明です。  

 

周りが噂しているように、自分は王の器だとはとても思えない。努力をしていても、限界があるし本当に才能があるものには敵わないと思う。けれども、やらなければならいないものだとしたら。

翡翠の瞳の少女はその問いに対してどう応えるだろう?

 

「はは、何を考えているのか。…けれどもし」

 

本当にもし、万が一。あの舞踏会の夜に弟よりも先に彼女に出会っていたとしたら。

今の自分はここまで孤独ではなかったのかもしれない。



別室にて。

オフェーリアは手の甲にできた傷を眺めていた。


『…けがらわしい、二度とディアトルに近づかないで!!』


二人きりになったあの後…カルメンタは激情をオフェーリアにぶつけてきた。


『何を怒っていらっしゃるのかしら。』

『あんた…澄ました顔して、ディアトルと二人で夜会から消えたでしょう?!しかも堂々とこんな時に遅れてくるなんて…!!!』

『……』


 弁解するでもなく、黙って怒り狂うその姿を傍観していると、それが気に入らなかったのかオフェーリアの指輪を付けたその手に鋭く爪を立てた。

ガリっという音が聞こえると、じわりと血がにじんだ。


『…まるで獣ね。汚らわしいのはどちらかしら』

『…その顔を殴ってやりたいところだけど…!アストレイ殿下に免じて許してあげるわ!!』



「ああ、痛い。…どうしてあんなに怒っているのかしら。」


父の期待と母の期待と…オフェーリアは昔は高名ではあったものの、今では落ちぶれた貴族の出身だった。オフェーリアはひたすらに、来る可能性など皆無に等しい皇后教育を受けてきたのだ。両親が虎視眈々とその機会を狙っていたとき、あの舞踏会が開催された。

 アストレイ殿下はただ優しく、非の打ちどころのないとされる王子。彼が求めていたのもまた完璧なる皇后教育を受けた淑女だったのである。


(そう、あの方は優しいけれど‥本当にそれ以外何もない)


過去に一度だけ、ディアトルが開催した夜会に参加したことがある。仮面舞踏会という趣向が凝らされたもので、友人に勧められて行ったのだ。そこで出会ったディアトルはとても堂々としていて、まさに王というものに相応しい姿だった。

 その姿に胸はときめき、それは再び心に熱く激しい炎をつけた。


「もう戻れない。…戻りたくはない」


それだけ呟いて、オフェーリアは瞳を閉じた。


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