前触れ
「ディアトル…、広間でゲイル伯爵が探していた。早く行ったらどうだ?…彼女は私が見ている。そのうちシスも来るだろうし。」
ディアトルは、ちらりとシャンイの方を見るが、そのまま目を細めてゆっくりと手を離した。
解放されたシャンイはその場に座り込んでしまう。
「… いずれ、また。ゆっくりお話ししましょう、シャンイ嬢。兄上、彼女を頼みます。」
「ああ。…早く行った方がいい。ゲイルは待ちかねていたよ」
完全にその場から去っていくのを見届けてから、アストレイはシャンイに手を差し出す。
「大丈夫かい?…けがは」
「あ…、は はい。だいじょうぶで す…」
「余計なことをしただろうか?貴方があまりにも青い顔をしていたから気になって…」
申し訳なさそうにそういうアストレイを見上げる。
「いいえ、…正直助かりました」
憔悴しきった様子でかろうじて呟くシャンイの手を取りゆっくりとその場に立たせた後、手近な給仕に声をかけた。
「すまない。シスリ―王子を呼んできてもらえるか?彼女はそのまま応接間に運んでいく。」
「あ、た、ただちに!」
そのままふわりと横抱きにする。
「??!!」
ひと目につかないようにこっそりと広間を出ていくと、そのままさっさと歩き出した。
「少しだけ我慢をしてくれるか?あなたを歩かせるよりこの方が早い。」
「いっ?!いいえぇ!!大丈夫歩けます、歩けま…」
広間の扉が閉まる直前、シャンイは扉の向こうにいたオフェーリア夫人と目が合った気がした。見間違いかもしれないが、彼女はまるで無表情で…冷たさも何も感じなかったのだった。
「行ってしまったね。」
ぼうっとアストレイを見送っていたオフェーリアは、のろのろと後ろを振り返る。
「よろしかったのですか?義姉上。」
「‥ディアトル様。…そうですね、本当に具合が悪いのでしょうし。」
張り付いたような笑顔でぎこちなく微笑むと、オフェーリアは自分の目の前に立つその姿に見とれていた。その視線をかすめ取り、彼は冷たく笑った。
「そのように見つめられては困ってしまいます。」
「…失礼いたしましたわ、ディア…」
言い終えるより早く、ディアトルはオフェーリアの手を取り、甲にくちづけする。
「もしよければ、別室で休みませんか?夜会が終わるにはまだ早い」
「…そうですわね。」
オフェーリアは笑った。高貴なるほほえみで。
(どうしてこんなことになっているんだろ)
同じようなことを思ったのは何度目だろう。座り心地が最高のソファに腰かけながら、シャンイは呆然とそんなことを考えていた。
「どうぞ。」
目の前に冷たい水が入ったグラスが差し出される。それを受け取るのを見て、アストレイは微笑んだ。「あ、ありがとうございます…」
(うわあ…シス様が月ならこちらの方は太陽ね…)
先ほどまで悪魔のような美しい顔を見ていたせいか、アストレイが余計に光の塊のように見える…。
「あの、もう大丈夫ですから。オフェーリア様のもとに戻られた方が…、私と二人きりでは何を言われるかわかりません」去り際にみたオフェーリアの冷たい顔が頭をよぎる。
だが、そんなシャンイの質問にアストレイは困ったように微笑んだ。
「…君は彼女をどう見た?」
「へ?!…え、えっと」まさか恐怖を感じたとは言えるはずもなく、シャンイは困惑した。
「あの、所作もしぐさも惚れ惚れするくらい美しくて…、そのとても淑女らしい方でした」
ああいう姿を手本にすれと、姉だったら言うだろう。
「そうだね…リーアは完璧だ。」アストレイはそれだけ言うと、黙りこくってしまった。
(…結局何が言いたいんだろう??)
「完璧…ではだめ、なのでしょうか?」つい、口に出してしまったのだが、アストレイはパッと顔を上げて、また目を伏せてしまった。
「いや、欠点がないのは素晴らしいことだよ。」そう呟くと、さらに言葉をつづけた。
「そうなるように誰もが努力する。私も、彼女も。…けれど、それが正しいとは限らない。」
「…私からすれば、それは日ごろの努力が実を結んだ結果であり、努力の証明です。それが正しいかどうかなんてあまり重要ではないように思えるのですが??えーと、なんて言ったらいいのかしら…」
思う通りに言葉が紡げない。もどかしく感じていたのだが…
「ふふ、ありがとう。シャンイ。」
笑われてしまった。さすがご兄弟、笑った顔は少しシス様に似ていらっしゃる。
「そうだね、努力の証明、か。そういう考えはとても素敵だ。」
そういってどこか悲しそうに言うので、私もまた落ち着かない。
「‥正しい、間違ってる…どれも他者の評価に過ぎないでしょう?アストレイ様は、ご自身に対して厳しすぎるのではないでしょうか?」
偉そうに言ってしまった自分にはっとなる。しかし、それはアストレイ様も同様のようだった。
(…こういうのが、鳩が豆鉄砲を食った表情というのかしら?)
「そんなことを言われたのは初めてだな。…はは、なるほど」
何かに納得したように笑うと、その顔はますますシスリー様に似ている。不思議なことに、こちらまで笑ってしまった。
「‥‥君のような女性がシスの元に来てくれて、本当に良かった。君も知っていると思うが、彼にはいわれのない迷信が付きまとう。起こるかどうかわからない未来のことをああだこうだ言われては、一部の人間にはそれを呪いと宣告される。…私はね、常々思うことがあるよ。」
そこまで言うと、アストレイ殿下は静かに目を閉じてしまった。次の言葉を待っていると、けたたましくドアをノックする音が聞こえた。
「ああ、シスが来たね。」そう言って立ち上がり、ドアを開けると
「大丈夫か?!シャンイ!!」
髪も息も乱れたシスリーが姿を現した。
「し、シスリー様!…えっと、どこから走っていらしたんですか?」
シャンイの姿を認めると、そのまま隣に座り込んだ。
「…ディアトルの姿もなかったから…心配したよ。」
「これは面白いものが見れた。シス、お前もそんな風に取り乱すことがあるんだね。」
「!!!アストレイ兄上!」
がばっと立ち上がると、みるみる顔が赤くなっていく。
「‥‥兄上が運んでくれたのか。」観念したように手で顔を覆うと、また座り込んだ。
「ああ、テラスに行こうとしたら、ディアトルと青い顔をしたシャンイがいたから。…つい、ね」
「い、いいえ!あの、声をかけて助けていただいて…本当にありがとうございました。」
今思い出しても軽く震えが起きる。彼の言葉の意味は完全には理解できないけれど、考えなくてはならない。…もし本当に彼が。
「すまない、シャンイ。」
「いいえ、大丈夫です。…大丈夫」
そっと自分の腕を抱きしめると、その手に温かい掌が置かれた。
「もう十分、役目は果たした。そろそろ帰ろう。」
「…はい。」
二人の様子をアストレイは穏やかに眺めていた。
「仲がいいな、二人とも。」
「「!!」」
シャンイが驚いてシスリーからものすごい勢いで離れると、勢いでシスリーはソファーから落ちそうになった。
「…シャンイ。いい加減慣れないか‥っ?」
「はっ!つ、つい!!」
応接室に三人の笑い声が響く。しかし――
「アストレイ殿下!シスリー殿下!!」
ノックもなく、激しく扉が開け放たれると、そこには血相を変えたフランシスが立っていた。
「…?何があった?」
フランシスはそのままひざまずくと、頭を垂れる。
「…アストレイ殿下…今しがた王宮から至急の使者がまいりまして…レオンハルト陛下がお倒れになったそうです。」
「!!!」
その頃、別の応接間にて―――
灯りもなく、月の光だけが照らし出されるその部屋には二つの影があった。
「…騒々しい」
ディアトルはその長い髪をかき上げると、床に落ちていた自分のブラウスを拾って肩にかけた。そのまま葉巻に火をつけると、入り口の扉をそっと開いた。
「…ディアトル様。火急の件でございます。国王陛下がお倒れになりました。」
「ご苦労、…あとの二人は?」
「もうすでに王宮へ。」
「わかった。馬車の準備をしておけ」
「はっ!」
扉に持たれながら、口元には笑みを浮かべた。
「思ったよりも、早い、か?」その呟きは煙とともに吐き出されると、葉巻は白く伸びた手に奪われてしまった。
「…私の吸いかけですが?」
「気になさいます?」
月の光に照らされて白い肌が浮びあがる。
「せっかく、良いところでしたのに。…私も行かねばなりませんね。」
「ついでにどのような顔で行かれるのか、聞いてもよろしいでしょうか?」
軽く茶化すような口ぶりでディアトルが言うと、彼女は白い煙を吐きながら笑った。
「そこはやはり動揺しているであろう夫に寄り添うのが自然では?…でも、アストレイはああ見えてしたたかですもの、内心安堵しているのではないかしら」
オフェーリアはディアトルの胸に顔をうっとりとしずめた。
「また、逢ってくださいますか?…二人きりで。」
その問いに、ディアトルが答えることはなかった。




