ファーストダンス
それは生まれたばかりのシスリーに初めて会った時の事。
「わあ、可愛い!!抱っこしてみてもいい?」
「大丈夫、しっかりと支えてあげてね。」
姉はもともと身体も弱く、出産すら危ぶまれたが、母子ともども無事だった。ふたりを見た時、本当に安心したのを覚えている。
「ち、ちっちゃくて壊れそう…」
恐る恐る抱き上げると、煌めく緑色の瞳と目が合った。が、角度を変えるとその緑は赤い色に変わる。びっくりして手を放しそうになると、シスリーは火が付いたように泣き出してしまった。
「わ。わあどうしよう!」
おたおたしていると、フロラはそっとその子を抱き上げた。とたんにすっと泣き止んでしまった。まるで魔法のようだ、と思ってみていると、今度はこちらを見てぱあっと笑ってくれた。
「この子の瞳はお父様…陛下譲りね。」
すでに二人の御子がいるが、その瞳の色は陛下より受け継ぐことはなく、シスリーだけが受け継いだらしい。なんとなくそれが誇らしげで特別な気持ちで、母子の様子を眺めていた。
しかし、その光景は長くはもたなかった。様々ないわれと不吉な慣習に二人は巻き込まれ、五年後に姉はこの世を去ってしまったのだった。
「叔母上?」
気遣わし気な声に、ダーリャははっとなる。
「あ、ああごめんなさい。…よく来てくれたわね、シス。」
「お久しぶりです。本日はお招きいただきありがとうございました。」
「…久しぶりね。」
過去の思い出が去来して、ダーリャは改めて時の流れを実感した。ふと隣を見ると、夫であるツェルヴェン伯も完全に固まってしまっている。こうして顔を合わせるのは本当に久し振りなので、無理もないかもしれない。
「お、お久しぶりですわ、シスリー殿下。本日はようこそおいで下さいました。」
肝心のケイトリンは緊張しているようだが、令嬢らしい挨拶で内心ほっとした。
「招待ありがとう、ケイトリン。今日は誕生日おめでとう。」
「は、はい!私、15歳になりましたのよ。あとでぜひ一曲お相手くださいな。」
「ええ、もちろん。」
「…あの、所で、そちらの女性は…?」
「初めまして、シャンイ・アルヴェールと申します。」
二人の様子をダーリャは内心ハラハラしながら見ていた。
「…初めまして、シャンイ様。申し訳ありませんが、シスリー様とどういうご関係ですか?」
そして予想通り、ケイトリンは挑戦的な発言をして、燃えるような瞳で二人を見つめていたのだった。
(ケイトリン…あの子ったら)
ケイトリンは昔から夫のツェルヴェン伯が目に入れてもいたなくない程の可愛がりぶりで、多少わがままで望めばなんでも手にはいると思っている節がある。
「ケイトリン、あまりに無礼な」
「いいえ、構いません叔母上。もう噂も流れていることかと思いますが、彼女は私の婚約者です。」
「え?!…う、噂は本当だったのですか…?」
彼の発言に、聞き耳を立てていた周りの連中が目を見張る。その筆頭が夫のツェルヴェン伯だった。
「しかし、アルヴェールとは…聞いたことのない家名だ。」
まるで品定めをするように不躾な視線を向ける。
(…我が夫ながら、礼儀というものを知らないのかしら?!)
まだ10代やそこらの少女に向ける視線ではない。しかし、当の本人は意にも返していないようにただ静かに微笑んでいた。
「確かに私は皆さまのように由緒ある家柄ではございません。もしかしたら皆様が蔑むようなものかもしれませんが、私は私の父上と家族を尊敬しております。その気持ちは皆さまと変わりませんわ。」
「さ、蔑むなどとんでもない!」
明瞭な回答に焦る夫を見るのは正直気分がよかった。
「さあ、そろそろケイトリンの誕生日を皆さまでお祝いしましょう。ほら、ケイトリン。」
そっと娘の身体を押し、会場の中心へと誘った。
「…ファーストダンス、シスリー様が踊ってくれるんでしょう?…よろしいかしら」
ケイトリンはちらりとシャンイを見やると、薄く笑った。その視線を受け流し、軽く微笑んだ。
「ケイトリン様、もちろんでございます。今宵の主役は貴女様ですから」
シャンイがそう言うと、シスリーは少し困ったように眉を顰める。
「…俺以外の方とは踊らないでほしいな、シャンイ」
「できる限り努力致しますわ」
二人のやり取りを見て、ケイトリンはふいっとそっぽを向いたのだった。
ダンスの音楽が流れ、二人を見送りながら私はこっそりふっとため息を付いた。
(はー…やれやれ、気位の高いお嬢様だなぁ。久しぶりにあの敵意あるまなざしを受けたわ)
本来なら最初のダンスの相手は婚約者、となるのが自然だろうが、これはあくまでケイトリンお嬢様の誕生日、私がでしゃばるわけにもいかない。ここは壁の花に徹することにした。
「ごめんなさいね、本来ならシスと踊るべきは貴女でしょうに」
「ツェルヴェン夫人、とんでもございません。ケイトリン様は楽しみになさっていたのでしょう?」
現在ダンス中の二人を見ると、ケイトリン嬢はうっとりと目をハートにしている。絵にかいたような王子様とのダンスなんて、女の子は誰だって憧れるよね。
「…よく見て、シャンイ様。」
「え?」
夫人はそう言うと私の背中をポンと優しくたたいた。うつむいていた顔が正面を向くと、ダンスを踊っている人、談笑している人さまざまだった。そして、幾人かこちらの様子をうかがう人々。
「貴女はこれからあなたが思う以上に人々に様々な視線を送られたり、中には傷つけようとする人も出てくることでしょう。けれども、シスがきっと守ってくれるはずです。」
「…ダーリャ夫人。」
「重要なのはパートナーを信じること。それと、誇らしく前を向くことです。…私の姉はそうしてきたわ。」
シス様のお母さま、フロラ夫人の事だろう。
「フロラは陛下を気高く愛し、誇り高く生き抜いた。周りがどういおうと、私はずっと見てきたから知っているわ。…シスはこれから過酷な運命が待っているかもしれない。あの子が望まなくとも、宿命がそれを許さない。」
「運命…。シス様はよく、宿命という言葉を口にしていました。」
「運命や宿命は便利な言葉だけど、本当の意味を知っているのはそれと対峙する人間だけ。…貴女なら、きっと大丈夫ね。」
夫人が言い終わると同時に、ダンスの一曲目の音が途切れた。
「ほら、お行きなさい。シスが待っているわ」
「あ、あの、ダーリャ様…」
「先ほどはごめんなさいね。あんな人でも、私の大切な夫なのよ。」
夫人は軽く手を振ると、ツェルヴェン伯の元へ歩いて行った。その後ろ姿は颯爽としていて、とても格好良かった。
「シャンイ。踊っていただけるだろうか?」
そして、私のもとにシス様がやってきた。
差し出された手を取り歩いていくと、周りの視線が一気に集中する。
「大丈夫、行こう」
目線を合わせて微笑みあうと、緊張が少しほぐれていくような気がする。これが信じるってことだろうか?さあ…ここからが本番、これから始まるんだ。
(あんなに練習したんだもの、きっと大丈夫)
「一つ、願いがかなった。」
ステップを踏みながら、シス様が呟いた。
「願い‥ですか?」
「貴女が言ったんだろう?死ぬまでにかなえたい10の夢について。忘れてしまった?」
「忘れてません!…けど、…」
私はしばし考える。おっと集中しないと、ステップまでおろそかにできない。シス様のリードでくるりと回転するのだが、軸足が少しふらついた。
「!!」
しかしそこは完璧な補助で事なきを得るものの、はたから見ると私が抱き着いているような格好になった。そのまま耳元に低い声が囁かれる
「こうして、公式の場で貴女と踊れただろう?」
こ、こんな簡単なことでいいの?!私的にはもっと難易度が高いことを望んでるのかと思っていたのに。
「…こんな簡単なことじゃなくて、もっと難しいこと考てくれないと」
つい口に出てしまったが、彼は一瞬驚いたようにこちらを見て、笑った。
「おや、もっと高い望みでも協力してくれるのか?」
「……私にだって、できることとできないことがあります!」
そう言って二人で笑い合った。
「フン。成金の家の娘め」
そんな二人のやり取りをおもしろくなさそうに眺めている姿があった。ファーストダンスこそケイトリンが一身に注目を浴びていたのだが、今はあの二人が中心となっている。
「由緒ある王族に近づこうなど、庶民のくせに生意気だ。」
忌々し気にツェルヴェン伯は呟いた。その呟きはホールのざわめきの中にかき消され、誰一人の耳にも届くことはなかった。




