新しいはじまり
(眩しい…)
カーテンの隙間から燦燦と朝陽の光が射しこみ、眩しくて目が覚めた。
起き上がり、窓を開けると、さわやかな風が流れ込んでくる。
「気持ちのいい風…」大きく息を吸い込むと、ぼやけていた頭もはっきりしてきた。
なんだかすごくスカッとする夢を見たような気がする…。どういう夢なのかは覚えていないが、不思議とやる気が沸きあがるような。
「まあいいわ、今日は引っ越しの日よね!」大きく伸びをして、この部屋で最後の身支度を整えることにした。
「シャンイ、忘れ物はない?」
「大丈夫だと思うわ、お姉さま。もしあっても取りに来るから」
手には少し大きめの皮の鞄、馬車には…お姉様厳選お墨付きの普段使いのドレスがぎっしり積んである。
「これだけあれば、しばらく困ることはないでしょう。それとねシャンイ、この子を連れて行きなさい。」
姉がそう言うと、一人の侍女が進み出る。
「この度レシア様からの言いつけにより、シャンイ様のもとでご奉仕をさせて頂きます、ララファと申します。」
年頃は私と同じくらいだろうか?藍色の髪をきっちりお団子にまとめていて、明るい空色の瞳が印象的だった。
「ララファさん?」
「はい!これでもレシア様仕込みの美容メイク術には定評があるんですよ?お任せくださいね!」
にっこりと見せて笑う姿がまぶしい。
「よ、よかった…。すごぉく助かるわ…!よろしくね、ララファ!」
つい先日の怒りの姉を思い出し、軽く身震いをしてしまう。…心底ほっとした。
前回の急な自宅訪問から十日。私はついに正式な婚約者として、離れにあるというシスリー王子の離宮に引っ越すこととなったのだ。
本当はあの後すぐに引っ越す手はずだったのが、そこは姉が全力で止めた。
原因は簡単、私(シャンイ嬢)の常識とテーブルマナーと作法がなっていないからである。
「今の状態で王子殿下の元へ行かすなど、ライオンの牢屋に子ウサギを放つようなもの(?)。アルヴェールの長女として、断固として拒否いたします!!」
と、いうわけで、十日間みっちりとレッスンを受けたのである…。
あれは恐怖の毎日だった。『付け焼刃状態』から『なまくら刃状態』くらいにはなれたかしら?
「ララファはとある有名な貴族の末娘。そんじょそこらのお貴族様共よりもよっぽど頼りになるはずよ。…ついでにマナーと作法も学んでおきなさい。」
(後半の方はドスが聞いてませんか、お姉さま…。)
口に出せる勇気などあるはずもなく、その言葉は呑み込んだ。
「ああ、そうだシャンイ。お前にこれをやろう」
後ろでむせび泣いていたお父様だったが、私に小さな箱を贈ってくれた。そっと蓋を開くと、私の瞳と同じ色の翡翠の石がはめ込まれた銀のペンダントだった。
「お父様、これは?」
「翡翠の石言葉を知っているかい?」父はそう言うと、私の首にかけてくれた。
「元はお前の母親に贈った婚約指環だったが、この度、装飾士に依頼してペンダントに作り直してもらったんだ。」
父は自分の左手の薬指にはめてある指環を見せてくれた。
「…お父様。そんな大事なもの…。嬉しい、ありがとう!」
心の奥が暖かくなっていく。私はそっと涙をぬぐい、万感の思いを込めて父を抱きしめた。
「…翡翠の言葉は長寿、安定、福寿。お前の幸せを祈っているよ。どんな時でも私はお前の味方だ。…忘れるな」
「はい…お父様、お姉さま。行ってきます!」
名残惜しそうに離した父の手をほどき、馬車に乗ろうとすると、正門の方から一頭の馬が駆けてくるのが見えた。
「え?し、シスリー様」
「シャンイ、迎えに来た。」ひらりと馬から降りると、父と姉に一礼をした。
今日はダークスーツに翠色のタイ、薄青の髪は日に透けて綺麗だった。
(あ、やっぱり)彼の瞳は太陽の下では深い翆玉色で、…うっかり見とれてしまう。
それを悟られると、色々と面倒そうなので微笑みでごまかした。
「お忙しいのだし、無理にいらっしゃらなくても」
そういって振り返ると‥‥父と姉はなんとも形容しがたい表情をしている。それを見かねたララファが、ころころと鈴のように笑った。
「ふふ。もーレシア様ってば、妹離れしなきゃだめですよ!」
「フン!何かあったら承知しないから。」
あの姉にこんなことを笑って言えるなんて、ララファはただ者じゃないかもしれない…。
「あ…すみません、アルヴェールき…」
「儀父とお呼びください、シスリー王子。娘のことは貴方に任せると決めたのだ。…ううっ。娘を悲しませるようなことをしたら何代にもわたって呪いますからな!!!!」
父の渾身の一言である。…嬉しいけど、その気持ちがくすぐったいような、恥ずかしいような。その言葉を受けて、どこか嬉しそうに彼は笑った。
「ええ。もちろん、…義父上。義姉上。」
そのまばゆい微笑みに恐らく一番眩暈を覚えたのは私だろう。本当に彼の放つ王子オーラに慣れるため、早急に対処法を考えよう…。
「すまない、シャンイ。館に行く前に寄りたいところがある。付き合ってくれるか?」
後ろ髪をひかれる想いで城館を見ていた私に、突如彼が申し出た。
「私に断る理由はありませんわ、シスリー様」
もしかしてその為にこうして単身馬を駆ってきたのだろうか?
「貴女に会ってほしい人がいるんだ。」
「……??」そう言うと、彼はそのまま馬首を巡らせて海側の街道を走り抜けていった。
ふわりと潮の匂いをまとった風が通り過ぎる。
(気持ちの良い風だ)
太陽の光がきらきらと海に反射して、遠くに何艘もの船が見える。
「あの、シスリー様、それでどこに行かれるんでしょうか?」たまらず私が訊ねると、彼は少し困ったように笑った。
「その、様よびやめてくれないか?…どうも距離を感じる」
突然の激白に私は固まった。あ、でもそういえばそんなようなこと前も言っていたような。
「え?えー…っと、シス、様?」
「様よびはなしで。さあ、着いた。」
彼がそういって馬を止めたところは…なだらかな丘陵で、海と街を見渡せる場所だった。そして、そこには、こじんまりとした館が建っていた。
門をくぐると、色とりどりの薔薇の花が美しく咲く前庭があり、そこにはふくよかな年配の女性がいた。
「カーセイド夫人、ライアンはご在宅だろうか?」
彼がそう声をかけると、夫人は驚いた様子で鋏を落としてしまった。
「まああ!!シス坊ちゃま!」
…ん?!シス坊ちゃま??ぎょっとして隣にいるシスリー様を見た。
「…アンナ、その呼び方はやめてくれないか…。」
手で覆っているが、顔は真っ赤だ。
「…ふふっ、耳まで赤いですよ?」
「まあまあ!!そちらはもしかして、坊ちゃまの運命の女性ですか?」
カーセイド夫人は、ほくほくとした笑顔でそう言うと、自身が着けていた手袋とエプロンを外して丁寧にお辞儀をした。
「ようこそ、ローズ・ガーデンへ。今日は主人もお休みですし、ご一緒にお茶でもいかが?」
夫人がそう微笑み、招かれた館で迎えてくれたのは、白が混じったグレーの髪が素敵な壮年男性だった。この方がカーセイド公?
「な、なんと、シスリー殿下!!!」
そう言うなり、シスリー様に膝まづく。それを見てやや困ったような顔を浮かべる。
「だからそれは辞めろてくれ…。サー・ライアン・カーセイド。」
「シスリー様、この方は?」
私がそう聞くと、心なしかどこか不服そうな表情をしている。
(あ…そういえばついさっき様は禁止って言われたばかりだわ…)すみません急には変えられないです…。ぶっきらぼうに彼は答えた。
「…母親の元近衛で、俺にとっては剣の師に当たる。」
「はじめまして、シャンイ・アルヴェールと申します。」
私がスカートのすそをつまんでお辞儀をすると、サー・ライアンは顔がみるみるぐしゃぐしゃになっていく。…私は何かしたのだろうか?!
「あ、あのサー・ライアン?!私何か気に障るようなこと…!」
一人であたふたしていると、隣から大きなため息が聞こえた。この状況に慣れているのだろうか?
すると、侍女たちにティーセットとお菓子を運ばせたカーセイド婦人がやってきた。
「申し訳ありません、シャンイ様。この人はこれでも感激しているんですよ?」
「へ?」自分でも令嬢らしくない間抜けな声を出してしまったことに気づく。…反省しよう。
「アルヴェール嬢、誠に失礼でございますが、貴女はシスリー様を取り巻く境遇をご存じでいらっしゃいますか?」
サー・ライアンは、夫人から借りたハンカチで涙をぬぐうと、私にまっすぐ向き合った。
「シスリー様の境遇と環境…ですか?」
私がちらりと横を見ると、当の本人は我関せずといった様子で黙っていた。
「はい。殿下は他に類を見ない程の容姿はさることながら、先見の明と、観察力、洞察力に優れていらっしゃいます。」
誉めすぎのような気もするが、サー・ライアンは自信に満ちた表情でそう言い切った。
「ですが、いわれのない迷信に惑わされている連中に、幼少の頃から王城から離れた狭い場所に押しこめられてお過ごしでした。殿下のこれから歩まれる未来は、険しいものになるかもしれません。それでもともに行く覚悟をお持ちだろうか?」




