ロータス・フラワー
その部屋は、天蓋付きの寝台は広く四隅の柱に至るまで細かい装飾が施されている。壁紙から調度品に至るまで青と白で統一されており、普段は客間として使用している部屋だった。
その豪華な寝台に転がるように私とシスリー王子は倒れこんだ。
「はー、はー、お…おもッ」
「す、すまない…。」
申し訳なさそうに呟く姿は弱弱しい。本当に具合が悪そうだ。
「いえ、あの…、すみません。もっと早く気が付くべきでした。」
それにしても、ここまで酒が弱いとなると色々致命的なのでは。
「……子供の頃から、酒が入ったお菓子でもすぐに寝込んでしまって、気を付けてはいたんだが」
「それなら、最初からそう言ってくださればよかったのに。我が家は酒豪の一家ですよ、それも超弩級の」
私がそういうと、彼は笑った。
「なら、酒の席は貴女に任せよう。」
「…飲み慣れるにはコツがあるんです。今、水を持ってきますね」
そういって立ち上がろうとしたのだが、それは王子の手に遮られてしまった。
「いい。寝てれば治る…」
「それなら、何かあれば呼んでください。私はそこの長椅子で…」寝ようと思っていたのだが。
「…ちょっと待て。」彼はだるそうに腕を伸ばすと、私の手頸を引っ張った。
「?!…具合悪いのに、無理に動かなくていいんですよ?」
「いや、そうじゃなくて… …」
彼は尚も手を伸ばして、掴んで離さない。それから間もなく、すやすやと寝息が聞こえてきた。
「寝ちゃった…。」
こうなってしまうと、動きようがない。私も仕方なく寝台に横になった。窓から差し込む月の光が、静かに眠る彼の横顔を映し出している。
いつもどこか余裕があるような素振りで、私のことを面白がっているくせに。こうして瞳を閉じていると、それはそれは美しい王子様なのよね。
今日一日だけで、たくさんの彼の姿が見えてきた。
(民衆の間では影が薄くて、病弱で薄幸の美青年。王城では、制限付きの寿命を宣告された大人しい三番目の王子様。現実はその噂をいいように利用し、一番治安の悪い港付近の自警団に参加している旅の傭兵。)どれが本当で、どれが仮の姿なのだろう?
人は何かしら秘密も嘘も持っているし、仮面だって何個も持っているんだろう。でも彼の場合は、実際のところ自分自身が何者なのかわかっていないのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、私もまた眠りに落ちてしまった。
「お前は22歳になった瞬間、死ぬ運命なんだよ」
初めて面と向かってそういわれたのはいつの事だろうか。恐らくあの時。
5歳の誕生日を迎えたその日、まだ母と二人で離宮で過ごしていた俺は、数人の侍女達に祝ってもらっていた。小さなケーキに蝋燭。どれも上二人の兄とは比べ物にならない程小規模で、…でも幸せだった。
そこへ、そんな俺を不憫に思った長兄アストレイが、次男ディアトルを伴ってやってきた。
「おめでとう、シス。今日は僕も君の誕生をお祝いさせてくれるかい?」
アストレイは普段から離宮にこっそり遊びに来てくれていた。その度に面白い玩具や楽しい話を持ってきてくれていて、俺は素直に嬉しかった。
しかし――ディアトルはそうではなかった。
「なにを喜んでいるんだ?誕生日を迎えるということはお前の命の時間が減っていくことなんだぞ」
最初、俺は何のことを言われているのかわからなかった。けれど、次の言葉でそれは形を成す。
「お前は、22歳になった瞬間死ぬ運命なんだよ」
5歳ながらも、重大なことを言われているのは分かった。
何よりも傍にいた母も侍女も、その場に泣き崩れてしまったから。当時は理解できなかったが、その言葉は胸に突き刺さった。
本当の意味で理解したのは、その二年後。母が亡くなった時に、唐突に「死」を理解した。
(自分は父や兄たちのように長く生きられないのだろう。そして、忘れられていく。)
当時、母は身分こそ高いものの、病気がちで王の寵愛を受けられなかった。
すでに上には二人の男子がいたし、正妃が亡くなった時に傍にいて励ましていたのは側室のディアトルの母だった。
結局、形式上王家の正統な血を持っているが為に無下にできない王子は、王国の隅に追いやる他ない。父との距離も広がっていき、捨てられた母の死を悼むものはあまりに少なかったのだ。
それからというもの、俺の周りには憐みと同情と、嫌悪の感情ばかりが存在していた。
「どうせ22歳で死んでしまうんだろう?そういう運命なんだ」
「可哀そうだが、呪いを早く受けて死んでしまえばいい。そうすれば移る心配もない」
「ああいやだ。汚らわしい呪いの子供め。早くいなくなればいいのに」
毎日毎日、彼らの心ない言葉や言動は俺の中に深く沈殿していき、泥のように固まってしまった。
(…苦しい。息が詰まりそうだ)
あの時の感情も思いもいまだ消えることはない。
「… … …?」
いつから眠っていたんだろう。
明晰夢だろうか?夢を見ていたような、過去を思い出していただけのような。
周りはまだ暗い、カーテンから差し込む月の光がまぶしく感じる。
「大丈夫ですか?」
不意に傍らから誰かの優しい声がする。彼女は…
「シャンイ?」
「ええ。具合はどうですか?」隣ではなく、上から見下ろされている違和感と、柔らかい感触。
これは。もしかなくても、膝枕?
「…どうしてこうなった?!……っ」すぐに動きたくとも、体が言うことを聞かない。
「うなされているから、苦しいのかと思って。」そう言って額に手を当てる彼女の手は冷たい。らしくないとも思うが、その手に縋った。
(冷たくて丁度いい…)
「うなされていた?俺が?」
「ええ。…今日は色々ありましたもの。お疲れだったんでしょう。」シャンイはそう言うと、それ以上何も聞いてこなかった。
「…貴女と出会ったのも、こんな月の夜だったな。ひと月もたってないのに、遠く感じる」
「もう、思い出話ですか?まだまだこれからですよ?」
彼女は軽く笑ってそう答えた。こういう静かな夜はどこか心まで弱気になってしまうのだろうか。
「……子供の頃を思い出していた。」
「… …」シャンイは何も答えず、静かに聞いてくれていた。
「昔は母と数人の侍女と、それなりに幸せだった。でも、母の死とともにそれは消えて…まるで泡沫のようだった。貴女の指摘の通り色々な思惑の元に、近々来る死の運命を受け入れるのは当然のように思っていた。」
そう、あの日までは。
「はじめてだったよ。…俺の未来を覆すようなことを言う人間なんているんだと、驚いた。」俺がそう言うと、シャンイは拗ねたように横を向いてしまった。
「…どうせ、初めて会ったときは面白そうな奴位に思っていたんでしょう。」
その様子に苦笑しながらも、言葉を紡ぐ。
「でも、着飾るのもいいけれど、俺は貴女の瞳と髪の色が好きだ。」
「…っ。フ フォローはいいです。それよりも、私、いいこと思いついたんです。」
「?」彼女を見ると、どこか楽しそうにこう続けた。
「今でも22歳で…なんて考えていますか?」
「さあ、どうだろう?」
降り積もった泥塊はそう簡単には消えてなくなりはしない。すぐに応えられずにいると、シャンイは笑った。
「では、そうならないためにも、願掛けしませんか?」
思いもよらぬ言葉に目を瞬いた。
「願掛け??」
「姉も言っていたでしょう?人外の力を借りるのも時に必要!って。」
そんなことを言ってただろうか、とも思うが彼女の中ではそう解釈されたのだろう。
「し、しかしよくそんなことを思いつくものだな…?」
「そりゃあ、私はあなたの人生を豊かにする方法を考えると宣言しましたから!」
人生の専任アドバイザー?というつもりだろうか。胸を張る姿が頼もしいやらおかしいやら。
「願掛けか。考えたこともなかった。…どんなものがいいだろう?」
「うーーん、苦手なものの克服とか。一個や二個じゃなんだし…」ぶつぶつ言いながらもシャンイは真剣に考えてくれている。その気持ちが嬉しかった。
「じゃあ、とりあえず十個位でどうだろう。…もちろん手伝ってくれるんだろう?」
「もちろ…」
彼女がそう言い終える前に、そのまま寝台に押し倒した。
「…っ?!!」
もがく身体を抱きしめる。
「何もしないよ。今日はこのまま眠ろう。…俺もつかれたし。」
そう言うと、ふっと力が抜けた。
「な、なにかしたら殴りますからね?」
今の顔を見せるわけにはいかない。シャンイの暖かい想いが苦しくて、本当は泣き出したいくらいなのだから。
「そんなことしない。…今はまだ」
やっと見つけた、大切な未来への欠片。絶対に手放したくないから。
そういえば昔読んだ本に、泥の中でも咲く花があることを思いだした。名前は何だっただろうか?
「ああ、そうだ確か蓮の花」
いつか彼女と一緒に見ることができたら…そうだな、一つ目の目標はこれにしようか。
などと考えながら、まだ見ぬ未来へ思いを馳せて眠りについた。
その日は本当に久し振りに、悪夢も見ずに深い眠りにつくことができた。
小説第6部と併せて読んでいただけたら嬉しいです。




