遭逢の夜
「けがはないか?」
「は、はい、だいじょうぶ…ですっ…」
あの騒ぎのあと、シスリー王子に手を引かれ、導かれるまま走ってきた。ずっと耳に流れ込んでいた喧噪やざわめきが一切聞こえなくなった。
このアウロスは、港から離れた反対側の王城に近づくにつれ富裕層の住宅地へ向かう。どうやら、闇雲に走ってきたわけではないようだ。
「全く、あいつらなんて介抱せず放置しておくべきだったな…!」
シスリー王子は忌々し気にそう呟いた。
「…それにしても、いいんですか?このままで。」
私は息を整えながらそういうのが精一杯だった。
「港に戻るのはやめておいた方がいい。それよりもすまない、貴女を危険な目に合わせてしまった」
「い、いいえ。また、助けて頂いてしまいました。…シスリー様がいなければどうなっていたか」
本当に、こんなことになるとは…。この世界で目覚めてまだ10日ほどしかたってないのに、次から次へとおかしなことが起き続けるものだ。
慣れない舞踏会から始まり、シスリー王子と出会って婚約者になってしまったり、かと思えば侍女は幼馴染と駆け落ちして姿をくらますし…。ここにきて隣国の自称(?)王子がきて変な目にあってしまうし。
(それにしても…気になるのはあの菱の言葉。)
冷静になって考えてみても、どこかで聞いたことがあるなんてものじゃない、彼らが何を言っているのか、単語の一つ一つの意味がはっきり分かるのだ。もしかして、例の夢の中で話していた言葉だったりするんだろうか…?
「シャンイ?大丈夫か?」
気が付いたら遠い目をしていたようだ。私の意識はすっかり遠くに行ってしまっていた。
「だ、大丈夫です。」
そういえばと、あることに気が付く。(あれ?ここって)
「あの、シスリー様。この後特に決めていないのなら、アルヴェール家に行きませんか?」
一瞬の沈黙のあと、シスリー王子は目を瞬かせている。
「…アルヴェール家?貴女の実家?!」
「はい!この辺はうちの近所です。港に戻れないのなら、どこかで休まなければ。もし彼らが追ってきても、港の商いを牛耳る我が家には簡単に手を出せないでしょう!」
そう、どんなお貴族様方だろうが他国の王族様だろうが、うちの財と権力には適うまい。下手に手を出せば二度と港に入れなくなる。よし名案!!…くらいに思っていたのだけど。
「…あの、どうしてそんな難しい顔をなさっているんでしょう?」
シスリー王子は眉間にしわを寄せて難しい顔をしている。
「い、いやいずれ伺おうとは思っていたが…。さすがに今の状態では…」
ぶつぶつ言いながら目を伏せてしまった。これはまた…初めて見る表情だわ。
(これはもしかして、静かにだけど、動揺してる?)
「大丈夫です!!私が付いていますから!!!」
「……」
ドン!と胸をはる私に、王子は「そういう問題じゃない」とでも言いたげにこちらを見つめている。
「…はあ、まあ貴女がそれでいいのなら。」
何かを諦めたようにそういうと、私の手を引いて歩き出した。
「あ。あの、そろそろ手を放していただいても大丈夫ですよ…?」
落ち着かない私の様子を見て、シスリー王子は目を細めて微笑んだ。
「…逃げられたら困る。それに俺はあなたの家を知らない」
それはいつもの意地悪そうな笑顔ではなく、どこか優しい笑顔だった。
私はなんだか落ち着かない気分になり、つい反発してしまう。
「に、逃げませんてば!」
「どうかな。」
声を上げて笑い出す王子を横目でにらみつけ、煉瓦の道を歩いていく。
昼間は賑やかな通りなのだか、この時間では閑散としていた。そのまま突き当りにまっすぐ進んでいくと、夜の闇にも負けじとギラギラ輝きを放つ黄金の扉が現れた。
「…これはまた、斬新な門構えだな…」
「…それ、褒めてるんですか?」
門番に声をかけると、一台の馬車がやってきた。
本宅まで徒歩で行くのは骨が折れるので、来客に配慮したもてなしである。重厚のある扉が音を立てて開かれると、馬車は勾配が緩やかな坂を超え、並木道を真っすぐと進んでいく。
やがて二つ目の門を超えたところに、街を見下ろすようにして縦、横、斜めに組み合わされた黒い線と、白い壁が織りなす木細工の木造建築が建っている。
…入り口が無駄に派手でも、中に入ると意外にも質素である。それがアルヴェール城館だった。
やっと一心地というところだったが、シスリー王子はどこかしら緊張しているようだった。
「あの、シスリー様大丈夫ですか?…お疲れでしょうか」
「…いや、とりあえず今の状況をどう説明しようかと考えていた。…まさかこんな形で訪れるとは思ってもいなかった。」
こんな形で…って。
確かに私もシスリー王子も身だしなみが整っているとは言い難い。シスリー王子に至っては傭兵姿だし、さっきの戦闘で服も所どころ破れてしまっている。私も私で、髪はぐちゃぐちゃ、姉が言う「立派な令嬢」とは程遠い姿だ。
「で、でも大丈夫です。事情を話せば…、…って、うちに何か御用があったんですか?」
「…やはり、何も考えていなかったか。本当はきちんとした形で覗うつもりだったが」
ため息交じりにそう呟く王子。そこで私は、はっと気が付いた。
(この状況ってもしかして…色々な意味でまずいのでは。)
「あの~…もしかして」
「婚約者として、アルヴェール卿に会うのは初めてだ。」
「……」
二人で顔を見合わせるが、本宅の扉はもう目の前だ。
私たちが開けるよりも早く、扉はバァン!と悲鳴を上げて開け放たれる。そして、鬼の形相で涙を流すお父様の姿が現れた。
「シャンイ!!!こんな時間までどこほっつき歩いていた!!!心配したじゃないか!!!!」
父はわき目も降らず真っすぐ私めがけて、突進してきた。
「お、おとうさま、心配をかけてしまってごめんなさ…ぐぇ」
そのまま力いっぱい私を抱きしめて頬ずりをしてくる。
「うぉおおん!しんっぱい!!したよー!!」
(つ、潰れしまう…。それに髭が痛いわ…)
なんとかもがいて腕の中から脱出しようとするが動けない。今日はこんなことばかりだわ‥。うんざりしていると、父の顔はみるみる険しくなっていく。
え?コレは何が起こっているの?
「…シャンイ。この薄汚れた浮浪人の民草は何者だい?!」
かっと見開いた瞳は飛び出しそうなほど。鬼の形相はどんどん魔王の顔に変化していく。実際に角や牙が見えないのが残念だ。…っていやそうでなくて。薄汚れた浮浪人てもしかしなくともっ!!
「あ、あの!おとう様この人はっ」
私が一人でうろたえていると、シスリー王子は涼し気な顔で立礼をする。
「…初めまして、アルヴェール卿。私の名前はシスリー・エサルエス。このような時間に突然のご挨拶、無礼とは存じますが、どうかお許しいただきたい。」
毅然とした姿は、身に沁みついた所作でそつがない。…とても優雅で美しい。
「なんと…?シスリー王子?!」
「はい。この度、シャンイ嬢に求婚を申し込ませて頂きました。」
「「へ?!!」」
不意に肩を抱かれて心臓が口から飛び出すほど驚いてしまった。
「…なぜあなたが驚くんだ。」
「い、いえあの!そう、改めて言われるとっ」
みるみる頬が赤くなっていくのが自分で嫌でもわかる。しかも、これは隠し通せなかったようで、シスリー王子が傍らで笑っている気配がした。
それは父も別の意味で同様だったらしく、全力で扉を閉めてしまった。
唐突な出来事に、さすがの王子も驚いた様子だった。
「!おまちくださ…」
が、次の瞬間、閉じたはずの扉はゆっくりと開かれる。そして…
「はじめまして…ですね。私はエリッド・ウサル・アルヴェール。…どうぞ、些末な館ではございますが、ゆっくりお寛ぎくださいませ。」
さっきとは打って変わってヨソ行きの顔と服装で父が現れた。…完全におもてなしモードだ。
「…今更、カッコつけたってしょうがないでしょう…」
「寛大なお心遣い、誠に感謝致します。」
シスリー王子も、無理して合わせなくていいんですよ…。私はこっそりため息をついた。
こうして私たちは父と姉との対面を果たしてしまったのである‥‥。




