私の事情と貴方の事情(前篇)
登場人物
私 → 主人公、現在海鳴り亭でバイト中
俺 → 現在傭兵カルロとして勤務中、女性に人気
ライ → 菱国の客人、自称商人
トーリ → 菱国の客人、武芸に秀でている
どうして、なぜこんなところにこの人はいるのだろう?!
色々な疑問が頭の中をぐるぐる回っている。目の前に立っているのは、薄青の髪に美しい翆玉の瞳、一度見たら目が覚めるようなほどの端正な顔立ち…そう、紛れもなくシスリー王子その人だった。
どうやらシスリー王子にしても、この今の状況はうまくないらしく、無表情で固まっている。
「し、しす…」
「四名席に案内を頼めるだろうか?!」
私の言葉を遮るように、彼は高圧的な胡散臭い笑顔(これを食らうのは二度目である)を私に向けてきた。
彼がこれを発動する時は、有無を言わせない状況だということだろう。私もこれ以上聞かれたくないことが多いため、大人しく従った。
「ご、ご案内いたしまーす…」
そう、今私は昨日入りたてで期間限定バイトの新人ウェイトレス。
粛々と業務をこなすのみだ。ここ、「海鳴亭」はこのエサルエスの首都アウロスで一番評判の食事処である。ここでの私の主な仕事は、お客様からメニューを選んでもらって、それを厨房に伝えて料理を運ぶことなのだ。
「あらぁ、今日はカルロがいるのね!素敵ねぇ」厨房に戻ると、先輩ウェイトレスのアンジーがとろけるような笑みで彼らの後姿を見守っていた。
よくよく見ると、それは彼女のみならず女性陣全員同じようだった。
それにしても、カルロとは?
「あのー、カルロさんとは、誰ですか?」
「あ、そうだった。シャンイちゃんは昨日入ったばかりだものね。」
「この辺一帯の治安を守る、ライアン卿率いる自警団、コントラクターよ。」
「カルロは、青い髪の超美形のおにーさん。旅の傭兵さんらしくて、たまに彼らに同行しているみたいなの。眼福よねぇ…」
こちらが聞かなくとも、先輩方は口々に説明してくれる。旅の傭兵で滅多にお目にかかれないが、この界隈では強くて有名で、何よりあの容姿な為隠れファンが大勢いるらしい。
「なんでも数々の貴族令嬢の火遊びのお相手を務めてらっしゃるとか何とか…」
(火遊び、ねえ…)
私は何とも複雑な気持ちでその話を聞いていた。王城で見る彼の印象からだいぶかけ離れているようだけど、どちらが本当の姿なんだろう。
「あ、あのー、それならアンジー先輩、私の代わりに注文取りに行きます?」
正直言って、あまりあの席に行きたいとは思わない。変わってもらえるならそれこそ好都合。…と思っていたのに。
「え?!!キャーやだぁ恥ずかしい!!彼に微笑みかけられたら死んでしまうわ!!」
あまりに耳元で甲高い歓声(?)を聞いてしまい、軽くめまいがする。
(…微笑みかけらえたら死ぬて。そ、そういうものだなのだろうか…?)
そういえば舞踏会に来ていた女の子たちも似たような反応だった気がする。その他にも何人かに交渉を持ちかけたが、皆同じような返答だった。
… … 結局全員に振られてしまい、重い足取りでご注文をお伺いに行くことになってしまった。
**
「いやあ、かわいいよなあ。彼女」
「うんうん、何よりもあの美しい髪の色。…素敵だなあ」
隣の席でフラウスがほう、とため息をつくと、向かいに座るライも同意した。
まあ、確かに髪の色も瞳の色も、他に類を見ない程美しいのは認める。しかし俺の立場からすると、なんとも複雑だ。
(それにしてもなんだってこんなところにいるのだろう?お金に困るほどのことはあるまいに)
しかも先日入ったばかり、ということは…ここで暫く働くつもりなのか?
「えーと、ご注文はお決まりでしょうか?」
噂をすればなんとやら。再び彼女が来ると、フラウスは緊張した様子だったが例の声で応対する。
「あ、ああ。今日のおすすめは何だろうね?」
「はい本日は、こちらの鶏肉と香り野菜のソテーなどがお勧めで…」
「ねえ、娘さん、あなたの名前はなんというの?」
もそもそしているフラウスとは対照的に、ライはその人懐こい笑顔で積極的に声をかけた。
「え?!えっと、シャンイ、と申します。」
明らかに引いているシャンイに、ライは構わず距離を詰めていく。…こいつの行動は天然なのか、計算なのか、掴みかねる。が、見ているこちらとしては不愉快である。
「ライ、フラウスも、彼女は仕事中だろう?おすすめを4つ頼む」
「へえー、シャンイさんかあ。まるで菱の昔話の乙女の名前だね!」
こちらの発言は無視してライはシャンイに更に距離を詰める。いい加減に、と言いかけてみると、彼女の表情がこわばっている。
「…昔話の、乙女の名前…?」
「うん?そう、昔の菱に伝わる岩乗皇帝とその恋人香妃の悲恋だよ。大昔、美貌で有名ないつも香をたしなむ姫がいたんだけど、皇帝の寵愛をあまりに受けすぎて他の妃に嫌われてしまう。そこで意地悪な妃の一人が、姫を粗野で有名な乱暴者の皇帝の弟に下賜してしまうんだけど、…まあ最後には一途な愛を貫いて死んでしまうんだ。けれどもその遺体からはいつまでも馨しい花の匂いが立ち込めていて、それが消えることはないという、そんな話だよ」
「へえ、男の俺には全く分からん。」
「フラウスには難しかったかなあ」
男どもがロマンもかけらも感じない粗暴な感想を述べている横で、シャンイの様子が明らかにおかしい。…顔色が真っ青だった。こういう時は。
「おっとすまない。」
「?!」持っていた水をテーブルの真ん中で大げさに、ライめがけて倒した。
「おっとと。何をするんだカルロ!」
「悪いがウェイトレスさん、何か拭くものを、あと注文はおすすめ4つと、麦酒も四つ頼むよ」
呆けているシャンイからライを引きはがし、彼女の肩を叩いて奥に下がらせた。
**
(岩乗皇帝と香妃…)
聞いたはずのない言葉なのに、どこかで聞いたことがあるような気がしてならない。私はその昏く深い底にある得体の知れないものに恐怖を感じてた。
「大丈夫か?顔色が悪い」
ふと、優しく肩を叩かれてはっと我に返る。…シスリー王子が心配そうに見ていた。
「あ、は…はい、ありがとうございます…えっとカルロ、さん?」
確かそういう名前だったような…と思ったのだが、当の本人はなんとも複雑な顔をしていた。その後行け、というような素振りとともに、彼は元の席に戻っていった。
「…??」複雑なのはこっちも同じだわ!と、思いながらも注文を伝えに行くと
「ちょっと!!何あそこの席!!!いい男が四人もいる!!!」
「…はあ。どうぞ、水倒したみたいなので接近する好機ですよ…?」
微笑まれたら命の危機だったんじゃなかっただろうか…。
幾人か「一人で大変よね?!」などといって彼らの元へ競うように行ってしまった。
周りを見ると時間的にもそろそろ落ち着くころで、洗い場には食器や調理器具が山のように積み上げられていた。
「悪いねー、こっちの鍋も洗っておいてくれるかい?!」
「はーい、喜んで!!」
これでもう私が彼らの席に行くことはなくなった。洗い物の数はおかしいのは、先輩方が押し付けてくれた贈り物なのだろう。いっそありがたいことである。
大小の皿に諸々の食器類を洗い終えたのち、私は厨房から押し付けられた鍋やフライパンをもって裏庭の水場へ赴く。調理器具類は厨房内で洗うには小さすぎるため、裏庭に設置してある水場で洗うのだ。今日みたいな日はとても気持ちがよくて、私はこの作業が好きだった。
「はーー、気持ちいいなあ。よし、洗うぞー!」
ずっと前かがみでいると、疲れてしまうものだ。たまに伸びをしたりして、たわしを武器に鍋と戦っていた。入念に磨くと、汚れが落ちて元の銀色の光を取り戻していく、その瞬間がとても楽しい。それにしても…。
「む、この汚れ、落ちない」ごしごしと磨くことに集中していると…。
「シャンイ・アルヴェール。」突然耳元で名前を呼ばれた。
「ひゃあ?!」
振り返ると、そこにはシスリー王子がしゃがみながらこちら見下ろしてる。
「精が出るな。昨日から新しく雇われたんだって?」
美しい微笑みの裏に何やら刺々しさがにじみ出ているのは気のせいだろうか。いいえ、これは気のせいじゃないと思う。
「い、一週間だけ、本当に、期間限定で働いているんです。」
「ふうん…」
言いながら、まだ洗われていない別の鍋をもう一つの金だわしで磨きだす。
「え、ちょ、ちょっと。何をしてるんです」
「見てわからないか?この鍋を洗っている。」
そりゃ見るからにそうでしょうとも。でも王子様が鍋洗いって…。しかも金だわしなんて。
「あのー…。お連れ様は放っておいていいんですか?」
「ほら、耳を澄ましてみろ。」
言われたまま、付近に耳を澄ませてみる。これは風の音と、鳥の鳴き声…そして
「わーはっはっはぁ!!!さあ飲め飲めーーーーー!!」
「おやかたもういっぽーーーん!!!」
店の中から聞こえてくるこの声は。
「さわらぬ神になんとやら、だ。酒は人種も言語も取っ払ってくれる、最高の媚薬だな。」
「… …楽しそうで何よりです。ていうか、自警団、なんてやってらしたんですね…」
「まあ、月に複数回だな。港に大型帆船が付いていたのが見えたから様子を見に来ていた。ついでに逃げ出した婚約者を連れ戻しに来た」
「に、逃げたわけでは。」ないのだと。言い切れない自分が情けない。
「事情は聴くよ、急なことだし、整理も必要だろうし。…貴女には嫌われたくはないからな」
予想もしなかった言葉だった。あまりにさらりとしすぎていて、言葉を失う。みるみる頬に熱が上がっていくのを感じ、私はうつむいた。何か話題を、と思い口から出たのは
「…か、数数の貴族のご令嬢の火遊びのお相手をしてるそうですね?!」
だった…。
「それは誤解だな。…もしかして妬いているのか?」
「だ、誰が!!」
うつむいている私の顔を覗き込んだその表情は、なんだかとても嬉しそうだった。
少しだけ、ほんのすこしだけ、シスリー王子のことを分かったような気がして嬉しかったなんて、絶対に言わない。それが悔しくて、鍋を磨くことに集中したのだった




