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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第8章 偽り 12

 できるだけ音をたてないようにそっと扉を閉めたのだが、円卓に伏せていた祥香は顔を上げた。


「お戻りでしたか」

「ごめんなさい、起こしてしまいましたね」

「いいえ、うとうとしていただけですから」


 立ち上がった祥香は滑るような足取りで青蘭に歩み寄り、微笑を浮かべたまま首を振った。ゆるくまとめただけの髪が、その動きに合わせてゆっくりとうねる。

 青蘭はその顔を申し訳ない想いで見つめる。穏やかな表情の祥香だが、その顔に刻まれた疲労の色は濃い。

 聖地での即位が決まってすぐに、里桂が義妹である祥香を呼び寄せてくれた。

 即位の支度は内々に進めなければならないため、嵜州公夫人である里桂の妻を動かすわけにはいかない。その点、彼の弟の妻である祥香なら身分の重さのわりに動かしやすく、青蘭のことも知っている。事に当たらせるには打ってつけの人物だった。

 青蘭の知る限り、ということは、残存している記録をたどれる限り、王城以外の地で即位した王の記録はない。東葉の存在はまた別の問題である。聖地はあくまで女神の眠る地であり、王の即位とは無縁の土地だった。

 それを今回はあえて聖地の、しかも神殿の総本山で即位式を執り行う。これまでは女神と王家の関わりの深さを印象付けるものであり、その権威を神殿が裏付けることにもなる。

 さらに、これまでは王の交代に比較的無関心だった庶民層へも広く知らしめる目的もある。

 王都六華にいる女王・紅蘭は偽王であり、聖地の神殿で即位する青蘭こそが正当な女神の娘だと喧伝する必要があった。総本山の大神官が偽王を支持するはずがない。

 後の代のためにも王位継承に神殿の絡む要素はできるだけ小さいものにしたかったが、こういう事態に至っては避けられない選択だった。

 青蘭こそが正当な女王となる資格を持っていることに間違いはないが、即位式の正式な手続きとなると別だった。

 即位式には神器が必要であり、それはもちろん王城の宝物庫にしまいこまれている。儀典に精通している儀典官も王都にしかいない。

 青蘭の手元には女神より授けられたとされる数々の神器もなければ、儀典指導に当たることのできるものもいない。

 故に仮の即位式でもあるのだが、だからといって疎かにできるはずもない。この状況でできるだけすべてを整える必要はあった。その段取りの責任を負うことになったのが、袁楊と祥香だったのである。

 ただのんびりと式の日を待っていた青蘭とは違う。

 式の当日は早朝から青蘭の支度を整える必要があるため、祥香は嵜葉家きようけの別邸には戻らず、神殿にとどまっていた。

 青蘭にあてがわれた貴賓室には近侍の控えの間もあり、そこで彼女は休んでいるはずだったが、またなにかなにかを思い出して居間の方へ出てきていたのだろう。

 彼女に負わされた重責を思うと、青蘭は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。だからといって、自分にできることは高が知れている。


「もう休まなくては――この時刻では十分と云うわけにはいかないのでしょうけれど」


 労わるように声をかければ、祥香は小さく礼を述べて微笑む。


「それは姫さまも同じことです。明日の主役は他ならぬあなたさまなのですから――けれど、気が高ぶっておられるのも仕方のないことです。香草茶を用意しますから、寝室の方でお待ちいただけますか?」


 そっと急かすように青蘭の肩を押し、居間の奥に続く寝室へと導いていく。素直にそれに従いながらも、それでは、と切り返す。


「それでは祥香殿、あなたの分も用意して。一緒にいただきましょう。確かに明日の主役は私ですが、あなたの協力がなくてはとうてい果たせないのですから、休む必要があるのは同じことです」

「……お言葉に甘えさせていただきます」


 祥香はさすがに疲れを隠しきれないように頷き、青蘭を寝台まで案内すると「お待ちください」と云いおいて居間に戻っていった。

 



 青蘭は寝台ではなく窓際に置かれた椅子にかけて待っていた。小さな円卓をはさんで向かい側に、もう一脚の椅子がある。

 円卓や椅子の足は優美な曲線を描いている。それはどこか異国風で、南部の港から輸入されたものなのだろう。

 神殿の内部はどこもかしこも綺麗に掃き清められ、手入れが生き届いている。設えられた家具や調度類は一見する限りは目を引かないが、注視すれば高価なものだと知れる。王城でつかわれているものと変わらない。

 神殿の持つ力は青蘭の予想以上だった。

 まもなく祥香が戻ってきた。盆にのせられた茶器には既に香草茶が注がれ、甘い香りを漂わせている。


「お待たせいたしました」

「ありがとう」


 まずは青蘭の前に、それから向かい側に茶器が置かれる。

 失礼いたします、と断ってから祥香は空いた椅子に腰かけた。

 青蘭は茶器を手にとると、まずはその香りをしみじみと味わった。聖地の季節は一月早いと云う。夜も冷涼とした風が吹く。

 薄い磁器から伝わる熱は心地よい。


「――碧柊殿下とお話になられましたか?」

「ええ」


 小さく頷きながら、頬に熱を感じる。碧柊との仲は半ば周知の事実なのだから今さら恥ずかしがる必要もないのだが、反射的につい先ほどのことを思い出してしまう。 

 東葉王子の名を聞いた途端に目を伏せて落ち着きをなくすその様子に、祥香は思わず微笑する。

 春先の敗戦以降、西葉国内には試練ともいえることが続いている。とりわけ、青蘭が西葉を発ってからの短い時期に血生臭い報せが絶えることはない。

 そんな中で政略結婚にも関らず、こんな風に頬を染める少女と接していると心が温まるようだった。


「心ゆくまで、とはゆきませんでしたか?」

「ええ……明日に儀式を控えているのは碧柊殿も同じ――それに、明後日にはここをお発ちになるのですから、今宵は少しでも休んでいただかないと」


 即位の儀の翌日、碧柊は聖地を発つ。

 戦端がどこでひらかれることになるかまだ定かではないが、それにそなえて嵜州州都にうつる。

 そして、東葉で明柊が兵を動かすのも明後日に迫っていた。



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