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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第8章 偽り 10


 雪蘭と紅蘭くらんがそれぞれ東と西で即位したこともあり、青蘭の周囲もいっそう慌ただしくなってきた。

 明柊が西葉を攻める準備を始めたことは、雪蘭からあらかじめ知らされている。

 蒼杞そうき側もその意図までは分からずとも、東葉が動き出したことを掴んでいるようだった。

 翼波よくはの動きが活発化していることも、西葉まで伝わっている。どうやら翼波の方からわざわざ蒼杞方に知らせてきたらしい。

 翼波人を蛮族と蔑んで隠そうともしない蒼杞に、彼等は挟み撃ちを持ちかけてきたわけではないらしい。同じ人間だと認められない相手からの提案を、彼がまともに取り合うはずがない。そこまで見越してか、あくまで彼の国は東葉にちょっかいを出す心づもりがあると知らせるにとどめたらしい。

 それを知った碧柊と青蘭、それに袁楊えんようは顔を見合わせた。

 翼波に王はいない。

 各部族の長達がゆるい連合を結んで国としての意志を統一している。それでなくとも常に貧困と飢えと隣り合わせの彼等の闘争心は強く、各部族間での小競り合いは日常的らしい。

 彼等が自国民を傭兵にしたてあげ生きた商品として各国へ輸出し、常に他国を攻める機会をうかがっているのは、そんな国内の不満と鬱屈した力を外へ吐き出す狙いもあった。そうでなければ部族間抗争が激化し、国として内側から崩壊する危険性を常に秘めている。

 古い歴史と伝統に胡坐をかき、その実国力は衰える一方の西葉を彼等も蔑んでいる違いない。けれどそれをおくびにも出さず、なおかつ蒼杞という人間を見極めたような外交手段までみせたのである。

 侮りがたい敵に違いない。


「問題は明柊殿ですね」


 袁楊の言葉に碧柊は無言で肯く。その意味は青蘭も理解していた。

 雪蘭も指摘していたが、明柊にはあえて東葉の貴族や軍に翼波の脅威を意識させまいとしている節がある。

 それは翼波・西葉の油断を招くためにあえてそうしているのか、それとも他に狙いにあってのことなのか。碧柊にも読み切れない。

 明確なのはただ一つ。明柊がその危険性を見落とすはずがないだろうということだけだった。

 判断材料は伝聞のものしかない。

 これ以上三人で顔を突き合わせていても埒は明かない。

 無言のまま、答えの出しようがないということで意見の一致をみると、袁楊は自分の任務に戻っていった。

 里桂りけいは嵜州州都の城に戻っており、袁楊がさまざまな折衝にあたっている。聖地外部との連絡も彼が担当している。

 碧柊も頻繁に袁楊となにやら諮っており、青蘭はただそれらの結果を聞き、稀に意見を求められるだけだった。彼女に今できることはそのくらいのことで、他にやれることはない。自分の力の無さを嘆きたくとも表には出せなかった。

 今、宿の居間には二人の姿しかない。

 袁楊が姿を消すと、碧柊は長椅子の背にだらしなくもたれかかり、腕を組んだまま無表情で宙を見つめている。

 青蘭は同じ長椅子の端にそっと移動したが、彼はそれにも気付かない。

 小さく息をついて窓の外を見れば、参道へ続く階段を下りていく袁楊の背中が見えた。特に長身でも大柄でもないが、悠々とした動きは彼と云う人柄をよくあらわしている。

 その姿が家並みの間に飲まれると、青蘭は再び盾の候補者に注意を戻す。彼はまだ宙を見据えたままだった。


「明柊殿のことをお考えですか?」

「――ん?」


 碧柊はそこでようやく膝の上に細い指が置かれていることに気づく。薄く笑んでその上に己の手を重ねながら、「すまぬが、なんだ?」と問い返した。青蘭の言葉は耳に入っていなかったらしい。

 青蘭はわずかに苦笑した。


「明柊殿のことをお考えでしたか?」

「――ああ」

「翼波のことで?」

「ああ」


 肯定はするが、それ以上の言葉は返ってこない。

 青蘭は焦れる想いを堪えつつ、膝を掴む指先にわずかに力をこめる。


「明柊殿の考えに心当たりでも?」

「いや、違う――しかし、違うとも言い切れぬか」


 歯切れの悪さに青蘭はじっと待つ。

 碧柊は答えるかわりに、膝を掴む彼女の手を自分の両手で包みこむようにして弄ぶ。

 明らかに迷っているらしいが、その理由を考えあぐねてもいるようで、青蘭は彼のしたいように任せる。

 静かに見つめる彼の横顔には逃亡中の窶れや疲労の影はすでになく、はじめて会った初夏の夕暮れの青年のそれに戻っている。けれどそこに浮かぶ表情や青蘭に向けられる眼差しには、その時になかったものが今は確かに含まれている。 


「これはあくまで推測だが、あなたには話しておいた方が良いだろう――いや、これは吾の願望かも知れぬ。事情はどうであれ、現実は変わらぬのだからな。それでも誰かにその可能性を知っておいてもらいたいというのか……要らぬ感傷だ」

「現実がどうだからといって、感傷を捨てる必要はないと思います――それに惑わされてはいけませんが、碧柊殿はその割り切りのできるお方でしょう?」


 静かな言葉に碧柊は薄く苦笑した。

 これまでは思い悩むのはたいてい青蘭で、それを聞くのが碧柊だった。たまにはそれが逆転することもあるらしい。


「では、信頼に応えねばな」


 微苦笑を浮かべて青蘭を見つめる眼差しに、彼女は目を細めて小さく頷く。

 碧柊は捕えていた彼女の手の甲にそっと口づけると、再び口を開いた。


「あれは、明柊は、吾を諌めようとしているのやも知れぬ」

「――諌める? 」


 なにを、どうやって、と疑問が続きそうになったが、辛うじて堪えた。

 碧柊は結論を見出しているが、その過程がまだ曖昧なのだろう。言葉に置き換えることで明確に浮かび上がってくるものもある。


「明柊は西葉に対する吾の戦後処理を甘いと再三指摘しておった。吾は長きにわたった積年の禍根をこれ以上深いものにしたくなかったのだが、あれは今さらそれが少々広がったとしてもたいして変わりはしないと申してな――西葉王と蒼杞殿の処刑および王統家や貴族の粛清を提案していた」


 碧柊は最後のくだりをやや云いにくそうに口にした。青蘭はそれにかまわず小さく頷き、先を促す。


「あの戦勝を機に両国をまとめる。その結論は吾も明柊も一致していた。だが吾はできるだけ穏便にすませようとし、あれはその真逆を主張した。明らかに後年問題となる種はのぞくべきだとな。蒼杞殿の暗い噂は東葉にも伝わっておった。少し調べればわかることだ――雪蘭殿の父上のことも含めてな」


 はじめて会ったとき、青蘭は自分を雪蘭だと偽った。その際、雪蘭の父が紅桂だと知った時の彼の様子を思い出す。あの時、碧柊は紅桂に娘がいたことまでは知らないようだった。


「この機会を活かして膿は出し切るべきだとあれは主張した。膿んだ傷を切開することは、さらに傷を大きくすることになるが、そうすることで治りは早くなる。逆にそうしなければ傷は腐り、命にかかわることすらある。それは人の体に限ったことではないとな」


 国を指して国体ともいう。

 明柊が云わんとするところは青蘭にも分かる。

 両国はそれぞれに矛盾や問題を抱えている。それは今すぐなんとかしなければならないものから、今はまださほど深刻ではないが、将来的には国の行く末を左右しかねないものまで様々だ。

 いざ改革に乗り出そうとしても、旧来の環境では猛反発に遭いかねない微妙な問題もある。それらの問題も、国の根底から揺らいでいるこの時期に乗じて荒療治をすませてしまうという手もある。一時的に痛手は大きくても、後々に大きな問題となるよりはましなものもあるだろう。

 それは碧柊も理解していたのだろう。回顧する言葉の端々や眼差しに悔悟の念がにじむ。

 だが、それには碧柊がためらったように人々の痛みと恨みを伴う。両国民の間の溝がそれ以上深まることを避けようとした彼にも一理ある。


「吾が取り合わないにもかかわらず、あれは何度も吾にそう申してきた。その時もあれにしては珍しいことだと思うたが、それだけことが大きいせいだと考えておった。だが、今にして思えばあれはそのようなことに左右される奴ではない。吾は、あの時もっと腹を割って明柊と話し合うべきだったのだ」


 碧柊の言葉の端々ににじむ慙愧の念は、自分の選択を悔いてのことではなく、明柊と相談しなかったことに由来しているようだった。


「……だから、碧柊殿を諌めるためにあえて裏切ったと? 」

「――吾はそうではないかと思うておる」


 溜息まじりの言葉に、青蘭は目を瞠る。諌めるための行動にしては常軌を逸している。碧柊の考えすぎではないかと思ったが、青蘭は彼ほどに明柊を知らない。


「明柊殿はそれほど厳しい方なのですか? 」


 嫌がる碧柊をからかい、その延長のように青蘭にまでふざけかかってきた印象しかない。

 争乱の真相を知るいたって彼が曲者だということをいやと云うほど思い知らされたが、それでもあの苓南れいなんの砦で刻まれた記憶はなかなか修正できない。

 そんな想いが顔にありありと表れていたのだろう。碧柊は青蘭の顔を見てわずかに微苦笑した。


「厳しいというのもちと違うような気がするがな」

「どう違うのですか?」

「実践主義とでもいうべきか――たとえば幼き頃、池の畔で遊んでおれば乳母や守人たちは落ちては危ないからと近づかぬよう口やかましく注意するであろう。だが、幼児に水に落ちることがどのように危険なのか想像で理解することは難しい。そこを明柊ならばわざと池の畔で追いかけっこに誘うのだ。誘っておいてきわどいところで身をかわし、こちらは勢い余って池に落ちる、と、どうなる?」

「溺れます」

「あれは一事が万事そういう次第なのだ」


 碧柊はそっと青蘭の手を放すと腕を組み、苦く笑った。青蘭はその言葉に驚いてしばし言葉を失う。


「――けれど、それでは最悪の場合、死んでしまうかもしれません」

「そうだ。だが、それは危険だと注意されたことを守らなかった方が悪かったともいえよう。あれは警告なしにいきなり危険な目に遭わせたりはしなかった」

「……自業自得だと?」

「そういうことだ、な」


 そんな明柊を理解していながら、碧柊は従兄とことさら話し合う時間を持とうとはしなかった。今更悔いてもなにも取り戻せはしない。それでも悔悟の念を拭い去ることはできない。


「……だから、この争乱もそれと同じことだと?」

「そうではないかと考えておる。だが、吾がいくらそう考えたところでこの事態はなにも変わらぬ。故につまらぬ感傷にすぎぬ」


 青蘭にはとても理解できなかった。

 だが、事実として碧柊はその可能性を考えており、それをさせるだけの積み重ねが彼等の間にあったということになる。他者が口を挟めることではなかった。


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