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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第8章 偽り 3

 王城の一角にはもりがある。鬱蒼と茂る木々の影に抱かれるようにして社殿はあった。

 聖地のそれとは比較にならないほど小さな石造りの社に神官はいない。王族自らが神事を司るため、神官はその補佐でしかない。葉王家の王子を始祖とする東葉には、神事の詳細な内容は伝わらなかったらしい。

 西葉での青蘭の役割に神事の代行があった。

 本来は女王である“王妃”の役目だが、青連せいれんは青蘭を出産したさいの産褥がもとで亡くなった。それ以降しばらくは彼女の妹であり、青蘭の叔母にあたる王女が代行していた。その叔母の娘が、蒼杞そうきの妻となっている紅蘭くらんである。青蘭が七歳になった年、その役割は正当な直系である青蘭に受け継がれた。

 祭事にたずさわる時に入れ替わったことはない。

 社殿には入れるのは王族と補佐に当たる神官だけと限られているため、雪蘭はその入り口の前までしかついて行ったことがない。

 東葉の王城の社は、西葉のそれとよく似ていた。そのまま移築したと云われても納得してしまえそうなほど、細部に至るまで同じ造りをしている。

 長く裳裾を引く婚礼衣裳。紗の被りもので顔を覆い、俯き加減にゆっくりと歩む。その歩調もしきたりとして定められているものだった。

 香露が繊手をとって一歩先を進み、狭霰ともう一人の女官が衣装の裾を地面からわずかに浮かせるように持ち上げてあとに続く。

 社の前には三人の男がいた。それぞれに光沢や質感の異なる白の衣を幾枚も重ね、頭には武官の冠。国事にあたる祭礼時の斎服にもあたる。

 彼等が“女神の盾”の候補だった。盾の名乗りを上げるため、服装は武人のものと定められている。 

 膝をつき、恭しく頭を垂れているため顔は見えない。体つきや髪の質感から、左端の男が明柊だと分かった。あとの二人に見覚えはない。

 雪蘭は無言のまま3人を見比べた。上からそうして見比べる限り、体格に大きな違いはない。明柊は一見すらりとしているが、よく見れば武人らしく無駄のない体つきをしている。他の2人も見比べて遜色はない。

 いつからそこにいたのか、雪蘭の斜め前に白い祭服の神官が進み出た。その手には一枚の盾がある。

 装飾性をいっさい欠いた武骨とも、機能美の極みともいる銀色の曲線。青蘭がそれを見れば驚いたに違いない西葉の宝物庫に厳重にしまいこまれている“女神の盾”と寸分違わない代物だった。

 盾がどのようなものであるかは、雪蘭も青蘭から聞き知っている。だが、百聞は一見にしかず。話に聞いた印象とよく似ているとは思ったが、まさかここまで瓜二つだと考えていなかった。

 神官は盾を携えたまま雪蘭に一礼すると、右から一人ずつ紹介していった。

 一人は明柊と同じく王族、もう一人は東葉の王統家の青年だった。

 東葉は西葉の体制を真似、王領に傍系王家である王統家を配置し統治を委ねている。西葉と異なり王統家は4家に絞られている。そのかわり重要な立地条件や鉱山を抱える王領は、王家の直轄領として王族がそれぞれに支配している。

 最後の一人はやはり明柊だった。

 雪蘭はただ黙ってこのうちの一人を指し示せばいいだけのことだった。

 雪蘭はゆっくりと三人を見比べる。結論は最初から出ている。この儀式とてしょせんは茶番に過ぎない。さっさと彼を指させば儀式は進行する。偽りの婚礼など一刻も早く終わらせてしまいたい。煩わしいばかりだった。

 これさえ終われば、青蘭の足枷も一つ減る。明柊が油断しているうちに青蘭を支える陣営に力を蓄えてもらわなければならない。

 雪蘭の役割はそこまでだった。それ以上はむしろ足手まといになる。

 そのときが恐ろしいわけではない。

 夏のはじめのあの夕刻、蒼杞のたくらみに気づいて青蘭を逃した時から覚悟は決めていた。

 奥の宮に上がる前、父が亡くなった時にすでに覚悟はできていたともいえる。

 今さら何を躊躇うことがあるのか。

 雪蘭は物思いを振り払い、優雅な動きで明柊を指さした。

 神官がゆっくりと動き、盾が彼の前に置かれる。木漏れ日が差し込み、その面が鈍く光る。その煌めきに誘われるように明柊が面を上げ、恭しく盾を両手で受け取った。

 明柊は滑らかな動きで立ちあがり、盾を片手に雪蘭の前に進み出る。腰に佩いた太刀の飾り鞘に象嵌された金の鳥の翼が光を放つ。

 盾を構えたまま再び雪蘭の前で膝を折り、深々と頭を垂れる。

 その一瞬に、彼はまっすぐに雪蘭を見据えた。

 薄い笑みをたたえたからかうような眼差し。すべてを見抜かれているのではないか。

 雪蘭はその不安を最初から拭い去ることができなかった。




 その後も儀式はつつがなく終わった。

 複雑だが決まりきった手順で事前に定められたとおりに進む。

 雪蘭は一言も発することなくそつなくこなしていった。

 西葉で祭事に関わったことはなくとも、念のため詳細な話は青蘭から聞いている。婚礼は国事とは異なりただ一度の儀式であるため、あらかじめ知っておく必要はなかった。

 代々伝えられてきた文書と神官の助言を参考に打ち合わせを繰り返した上で本番に臨む。それは明柊も一緒だった。最終的には神官と明柊の3人で話を詰めた。

 社での儀式は主に王位の交代を女神に伝えることが中心となる。女神の許しを得るのではなく、代替わりを報告するという形に雪蘭は意外な想いを抱いていた。

 あくまで人の世のことは人が決めるということらしい。解釈の分かれるところではあるが、女神の娘である女王その人を女神と同一視する見解も存在する。その視点が考えれば、王家の決定はひいては女神の意志と云うこともできる。

 それに王家では直系にしか王女が生まれないという事実には意図的な介入を感じる。どう考えても不自然であり、だからこそ王家の権威が保たれてきたともいえる。

 雪蘭はこのことに関して意見は持たない。事実は事実、それだけだ。

 儀式の間、明柊も言葉を発することはなかった。

 緊張したそぶりも見せず淡々と儀式をこなしていく雪蘭を、彼は一貫して薄い笑みを浮かべて見守っていた。

 雪蘭はつとめてその視線の意味を考えないようにしていた。

 儀式は夕刻には終了した。

 そのご祝いの宴席が設けられた。通常、そういう表立った席には花嫁であろうと顔を出すことはない。宴に顔を並べるのは男性ばかりであり、女は給仕に当たる身分の低いものしかいない。彼女たちはいないものとして見なされていた。

 だが、明柊はそこに雪蘭の席を設けていた。あらたな東葉の女王の即位を祝うため、貴族たちは王都に集まっていた。蒼杞に前当主を殺害された家が多く、仮の当主の方が多いような顔ぶれだった。王都まで妻を伴ってきた者は、宴に夫婦で出席するよう言い渡されていた。

 前代未聞の宴のぎこちない空気は最後まで続いたが、花婿である明柊はまったく気にしていないようだった。

 そしていよいよ夜が深まり、雪蘭は湯浴みをすませ閨に向かった。



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