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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第7章 聖地 12

 食事中であれ睡眠中であれ、報せがもたらされるとじきに届けられた。

 目下問題は山積しているが、とりわけ深刻なのは圧倒的な軍事力不足につきる。おそらく先に蒼杞と当たることになるだろうが、そもそもそれに対抗できる状態ではない。春先に東葉により王家直属だけでなく、各貴族にいたるまで軍を解体された影響は大きすぎた。

 責任を問われて処刑された西葉の者はいるが、それは片手で足りる程度だった。明柊はもっと徹底的な処断を求めた。西葉を併合するのではなく、東葉と名実ともに同じ一つの国としてまとめかった碧柊は、これ以上互いに怨恨を募らせる事態は避けるべきだとして、その意見を容れなかった。

 そのため兵力となる人そのものは、温存されている。もともと東葉と比べて練兵も徹底されていなかったため、同数であっても力としては歴然とした差が生じるだろうが。

 不足しているのは、武器防具だった。良馬も東葉へ多く連れていかれたが、全てではない。

 蒼杞は明柊と手を結んでいたため、そのほとんどを傷つけることなく手にしている。東葉侵略時の三万と云う数に大きな変動はないだろう。撤退時に表向き明柊と戦火を交えてはいるが、本格的なものではなかった。

 それに対し、連合すれば王家に十分対抗可能だった王統家にすらろくな武器は残されていない――はずだった。表向きは。

 しかし嵜州公と李州公は、ともにはかって巧妙にいくらかは温存してあるという。武器や防具は鋳潰された。それは東葉方の主導で行われ、常に監査官が立ち会ったはずだが、そもそもの元となる数などその気になれば多少誤魔化せたし、相手にはよっては懐に何かしら忍び込ませれば目こぼしも可能だった。しかしそんな機転をきかせることのできなかったり、家の取りつぶしを恐れて馬鹿正直にすべて処分してしまったりしたものも少なくない。嵜州公や李州公にしたところで、すべてをそうせずにすんだわけはない。


「それでも半分は残せたな」


 と嵜州公は自慢げに笑い、碧柊は曖昧な笑みで応じた。

 李州公も三分の一はなんとか死守することに成功していたらしい。岑家も同程度温存してあるという。

 嵜州公里桂のひそかな呼びかけに応じる王統家や貴族たちから寄せられる返書には、動かせる兵力もおおまかに記されている。

 それらは碧柊の前にも提示され、彼は眉一つ動かすことなく冷静に分析しているように見えた。だが、あとで青蘭にだけこっそりこぼしたものだった。


「西葉との交渉に当たった者が、のらりくらりとかわされるばかりで一向に進まぬと嘆いておったが」


 そのしたたかさにはかなわぬと苦笑する青年に、王女はすました顔で肩をすくめた。


「それでも見事に要求のほとんどを通されたはずですか?」


 事実上次期王位を握る青蘭まで花嫁として差し出させたのだ。


「云ってきかせても聞き入れぬものに対する手立ては一つしかないが、あいにくそれが東葉の得手とするところでもあった故な、仕方あるまい」

「ずいぶんと手荒なこと」


 青蘭は手にした扇で口元を隠し、おお怖いことと身を震わせてみせる。


「それにしてはずいぶんと抜け目のない連中も多かったようだ」

「いくら東葉が武力で勝っても、はかりごとでかなうはずはありません。西葉は蟻の巣地獄のようなところですから、言葉と行動は真逆と考えておかれてちょうどいいくらいです」

「そのわりに今のところ、明柊にしてやられておるようだが」

「……」


 うっと言葉に詰まった青蘭に、碧柊は小さく笑う。


「あれが西葉に生まれておればどうであったろうな。東葉は果たして互角に渡り合えたか――いや、負けておったかもしれぬな」


 明柊のやり方は西葉らしい狡猾さともいえる。だが、彼はれっきとした東葉の軍人らしい武人でもあった。

 青蘭は薄く笑んで沈思する青年の穏やかな様子を無言で見つめる。

 憧れながらも一方で劣等感を募らせてきた従姉。自慢であり、妬ましくもあった雪蘭。彼女は青蘭にないものをたくさん持っていた。それと同じものが欲しかったのかどうか、今でも分からない。ともかく眩しくて仕方のない想いで、ずっと傍らの彼女だけを見つめてきた。

 碧柊はどんな風に従兄を見てきたのだろう。あの一方的に愛を囁く悪癖にはうんざりしすぎて憎しみすら抱いているようだが、こういう事態に至っても彼はおそらく従兄を嫌っても憎んでもいない。その計略で父を失い、部下を失い、国を追われ、罪を着せられても――それは、何故なのか。

 肉親の情は愛情の一つに違いない、と彼は囁いた。それを消す必要も殺すこともないと。それができなかったのは、彼も同様だったからなのだろうか。


「そのようなことは誰にも分かりません。勝敗は時の運でもあります」


 そっと袖をひいて首を振った少女に、碧柊はそうだなと呟く。


「負けても勝っても、あれは結局笑うような気もするのだが……」


 推測でありながら、確信に満ちた言葉。青蘭と雪蘭の間に誰も入ってこられぬように、彼等の間にも余人を許さぬつながりがあるのだろう。

 青蘭はそれを思うと微笑ましくもあり、辛くもあった。

 青蘭が雪蘭を裏切ることはない。その逆も然り。それは信じる信じないという以前の問題で、絶対だった。

 明柊は従弟を裏切った。それはもはや動かしようのない事実。では、碧柊は彼に裏切られたと考えているのか。それもおそらく事実。しかし、彼は従兄を憎んではいない。推測だが、それもおそらく事実。裏切られたから憎むわけではない。では、憎んでいるから裏切るわけでもない、と云えるのだろうか。

 青蘭はある可能性を思いつき、無意識に胸に押さえていた。そろそろと端正な横顔に眼にやる。同じことを彼が考え至っていないと云えるだろうか。ましてや彼の方が相手をより深く知っているのだ。

 青蘭はそれが当たっていないことを祈った。




 蒼杞に動きは見られない。

 いつまでも恐れてばかりもいられないと、青蘭を支持して立つことを決めた者たちはひそかに武器の鋳造を再開した。

 その動きがいつ蒼杞側に伝わり、まずどこが最初に狙われるか。それはまだ分からない。いくつかの状況を予測してはいるが、あくまでその範囲を超えるものではない。

 そして、いつ青蘭が国内に戻っていることが漏れるかも分からない。支持を集める代わりに情報も回っている。どこからそれが露見するか。あらかじめ予測しておくべきであった。

 そのため、青蘭達は聖地にとどまり続けている。

 瑳衣湖さいこに守られた聖地は要害の地でもある。湖の大きさ、聖地の流入する人々の数。それに対して大型船がないのは、湖が浅いためではない。建造を神殿が許可していないためだった。それはあくまで防衛のため。かわりに多くの小舟で物資も人も運搬される。その船すら、主に係留されるのは聖地側の湊と決まっている。対岸に係留されるのは特別に許可を受けた地元の漁師たちの舟に限られ、それにすら制限がある。

 舟さえ抑えられることがなければ、この聖地が大攻勢を受ける可能性は極めて低い。

 食糧の問題はあるが、立て篭もるにはもってこいの場所である。神殿側は王女の逗留を公式に認めているわけではない。あくまで王女は現在東葉におり、婚礼を間近に控えている。聖地にいるのは王女の従妹である雪蘭だということになっている。

 武器の調達には、西葉南部の港を通じて東葉から輸入することも検討されている。交易の要衝は王統家が押さえているため、その港も李州公の支配下にある。

 では、東葉の誰と交渉するのかという問題がある。

 現在、東葉では蒼杞を追いだした功績で明柊の名は高まっている。反面、罪に問われている碧柊の呼びかけに誰が応じるだろうか。国内で身の潔白を明かす機会のない碧柊にとって、ことは不利だった。

 それでも碧柊は用心深く配下の者を使った。明柊に手の内を読まれている可能性が大きいため、慎重に慎重を要し、なかなか効率の良い動きはとれずにいたが。

 そんな矢先、東葉から一つの報せが碧柊のもとへじかにもたらされた。それに彼は目を輝かせた。



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