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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第7章 聖地 8

 真っ先に視界に飛び込んでくるのは、窓の向こうに広がる風景だった。

 あれほど遠かった対岸がわずかではあるが見え、遅い日の出に湖面もわずかに煌めいている。今日は天気が良さそうだと侍女が話していたが、確かに真夏らしい快晴となりそうだった。

 その眺めを遮らないよう気遣うかのように、一人の男が壁際に椅子を寄せて座っていた。窓に背を向けるでなし、客人に正面から向き合うでなし。入り口に対して斜めに座り、外の風景を楽しむことも客人の相手もできる配置だった。

 嵜州公が再び入室してきたことに気づくと、さっと素早く立ち上がる。その無駄のない動きは誘導してきた神官より、むしろ碧柊のような戦場いくさばに立つ者に近かった。

 彼は新たに入室した二人に向け、恭しく立礼した。それは正式なもので、彼が二人のことを承知しているという証でもあった。

 青蘭と碧柊も扉の前に並び、礼を返す。

 二人に向けられていた視線が一瞬ちらりと横に控えていた神官に滑ると、案内役は浅く礼をして退室した。


「私が大神官を務める成昊せいこうです」


 里桂が二人を紹介するよりも先に彼が自己紹介をした。神殿に入ると姓を捨てるため、その出自を知る術はない。


「青蘭殿下と碧柊殿下でいらっしゃいますね」


 すでに里桂が知らせていたのだろう。青蘭は首肯しかけたが、思い直して毅然と顔を上げた。


「そうです」


 凛と響いた声は、震えてはいなかった。碧柊はちらりと青蘭を一瞥し、こちらは黙って首肯する。最初から主導権がどちらにあるのか、明確にしておく必要があった。


「まずはおかけください」


 その言葉に応じつつ、青蘭はやや意外な思いで大神官を見た。

 それほど多くの神官を見知っているわけではないが、彼等はたいていほっそりしており、文人に近い。その頂点に立つ男も似たりよったりだろうと勝手に想像していたが、その正反対に近かった。

 中肉中背の範疇ではあるが、その肩は広く体つきもがっしりしている。飽食に肥満している気配は微塵もない。書物や聖具よりも武器を持たせた方が似合いそうだった。


「まずは両王陛下の御逝去、お悔やみ申し上げます」


 成昊の言葉は明確だった。

 これまで神殿は東葉の存在に言及したことは一度もない。否定もしないが認めもしない。けれど、“東”からやってくる信徒からもらえるものはしっかりいただく。

 東葉王家に絡んでこなかったのは、その王城が遠すぎ、西葉王家の手前大手を振ってその国内で神殿を増やすわけにはいかなかったという二点につきる。

 女神への冒涜を口実に貴族にもうるさくまとわりつくわりに、東葉が絡むと俗世の政治まつりごとには関与しないとそっぽを向く。むしろ争い事が多い方がつけ入る機会が増えるためか、和平をもたらすような政策や動きには難色を示すことすらあった。

 その神殿を代表する大神官が、公的ではないにしろ東葉の王を認めたということは、ひいては東葉と云う国をも肯定したことになる。

 青蘭はこの会見を、どのような形であれ、真意を隠して言葉尻をあげつらいあい、腹の探り合いになるだろうと覚悟していた。それを最初からこのような形で裏切られ、面食らう。

 ともかく言質をとられないように注意しなければならないと、里桂は何度も念を押した。聖地を押さえる嵜州では、代々大神官との折衝に苦労してきた歴史がある。それだけに彼の言葉は重かったのだが。

 ちらりと里桂に目をやれば、彼もかすかに眉をひそめている。表情は巧みに隠しているが、困惑は伝わってくる。少なくとも先年亡くなったという前任の大神官とはそうだったのだろう。 


「いたみいります」


 青蘭はとりあえず素直に礼を述べた。 


「私はあなたとお話しすればよろしいのでしょうか、青蘭殿下」

「はい」


 癖はないがこわそうな髪は首の後ろで一纏めにされ、顔の半ばを覆い長く垂れる髭はずいぶんと立派なものだった。その両方とも半ば白くなり、五十代と云う若さで就任したという彼に貫禄を与えている。

 だが、そもそも彼にはそんなものは不要にも見える。声には深みがあり、黒々とした目には静謐があり、そのどちらからも内心を探ることは難しそうに見えた。

 青蘭はその眼を見て、下手な抗いを諦めた。奥の宮で育ち、そこですら雪蘭の陰に隠れていた世慣れない自分に、この初老の男の相手をまともにできるはずがない。

 幸い二人きりではない。里桂には少なくとも先代と対峙した経験があり、碧柊は王太子として育ってきた。いざとなれば助言を請えばいい。みっともないかもしれないが、それが己の実態なのだから仕方がない。つまらない見栄を張って道を誤ることの方が恐ろしい。


「いったいなにを私に、いや、神殿にお求めになられますか?」


 駆け引きも何もあったものではない。それともこれが駆け引きのはじまりなのか。青蘭には見当がつかなかった。

 大神官の目は昨日の夕刻に見た湖面のように静かだった。

 碧柊や里桂のようすを見ることも忘れ、青蘭は彼の口ぶりをまねることにした。


「私を王女であると認め、正統な女王として支持することを求めます」


 っと小さく息をついたのは里桂だった。最終的に大神官の口から出るように誘導するよう助言した言葉を、青蘭が自分から切り出してしまった。駆け引きのかの字もあったものではない。

 里桂が苦い想いで彼と王女の間に座る碧柊を見れば、東葉の王子は面白そうに恋人を眺めている。この状況を楽しめるのは、やはり西葉の国内事情を肌で知らない故か、それとも大物なのか。


「――神殿が王家の問題にかかわってこなかったことをご存知ないのですか?」

「知っています」


 あっさりと肯定した青蘭に、成昊は膝の上で重ねていた手を肘掛に移動させた。表情はまったく変わらない。


「それを御承知の上でお求めになられると仰せになる。それは命令ですか? それともあくまで協力を求めておられると解してもよろしいのですか?」

「――私にはまだ神殿に命じる権限はありません」

「その通りです。神殿に命じることができるのは女王陛下のみ――しかし、その根拠も実に曖昧なことをご存知ですか?」

「知っています」


 彼の持ち出そうとしているものは、嵜州公や袁楊が最も可能性が高いと話していたことのようだった。それに合わせるように里桂が足を組み替えた。打ち合わせ通りの合図で、どうやら当たっているらしい。


「どのようにご理解いただいているのでしょう」


 それを王女の口から云わせようとするだろう。それも見解は一致していた。それを彼女の口から明らかにしない限り、話は進まないだろうとも。


「神殿が仕えるのは女神。そして女王はその娘。女王は女神ではない。女神ではない女王に神殿に命じる権限があるのか否か」


 これは雪蘭からも聞いたことがあった。重要なことだからきちんと理解しておくようにと。同時に神殿がその問題になんとか片を付けたいと考えていることも。彼等の権力への介入の目的の一つでもあるという。


「そのとおりです――では、青蘭殿下はそれに関してどのようなお考えをお持ちでいらっしゃるのでしょうか?」


 理解しているのなら、神殿側の要求も承知しているだろう。返答はおのずと決まってくる。


「ええ、分かっています。ですが、その前に一つ、こちらからも話があります」

「話には順番があります。一つずつ片付けましょう、殿下」

「わが兄蒼杞が王都で何をしているのか。女神を貶めるものとして神官たちを粛清しています。やがてはここにまで手を伸ばしてくるでしょう。兄は何事も徹底して行います。それはあなたも知っているはずです」


 かまわずに言い切った青蘭を、大神官はまっすぐに見つめる。


「――どうせよと?」

「それは自ずと明らかでしょう」


 青蘭ははじめて笑みを浮かべてみせた。

 蒼杞は神殿に敵意をむき出しにしている。もはや神殿側に味方に引き込むべき王族は青蘭しかいない。青蘭側も神殿を味方につけたいわけで、互いに要求は一致している。

 だが、青蘭側はどうしても神殿を味方につけなければならないわけではない。もともと王家は神殿とほとんど関わってこなかった。総本山が味方に付かずとも、なんとかできる。蒼杞が勝者となれば神殿をどう扱うかすでにはっきりしている。神殿としてはどうしても青蘭に勝ってもらわなければならない。それにここで協力を拒めば、最終的に青蘭が勝者となった場合、神殿に有利な政策はとらないだろう。

 大神官は右の指先でひじ掛けを一度だけつついた。


「その見返りは?」

「先ほどの答えの続きを――おそらく、私の考えはあなた方の見解と一致しているでしょう」


 艶然と微笑んだ王女に、大神官は小さく息をついた。


「分かりました。あなたを青蘭王女殿下だと認め、正統な王継承者として支持しましょう――しかし、分かっておられますか。これで神殿が正式に王位継承に関与した例となることを」

「ええ、分かっています。そして、私も答えましょう。女王は女神ではない。故に女王に神殿に命じる権限はありません」 


 これで王家は神殿の完全な独立を認めた上に、王位継承に介入する機会まで与えてしまったことにもなる。長い目で見れば、王家には不利なことばかりだともいえる。

 それでも青蘭は微笑み、他の二人も悠然としている。目論見通りだということの証でもある。

 成昊はふたたび膝の上で指を組み、薄い笑みを浮かべて王女を見つめる。


「なにをたくらんでおいでですか? 」

「なにも――ただ、権利を得るということは、義務と責任も生じるということもお忘れなきように。それだけのことです」

「肝に銘じておきましょう」


 大神官は重々しく頷いてみせた。

 



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