第7章 聖地 7
柱廊玄関の角を折れると、そのまままっすぐにのびる回廊となっていた。片側は壁、もう一方は手すりのついた吹き抜け。盛んに轟くような水音が届く。深い谷底を流れる渓流の逆巻くさまを思わせる。
未だに陽の射さない谷あいの聖地は、曇天のように薄暗い。しかし白々とした岩盤を削り出した神殿のなかには静かな明るさが満ちている。
しばらくひたすら歩き続ける。その距離が神殿の奥行きともなるため、その広さに青蘭は目を瞠る思いだった。
狭い参道沿いにひしめき合う建物越しに、神殿の全容を目にすることはできなかった。門をくぐっての神殿前の広場もさほど広かったわけではない。何階建てか分からぬほどの高さを、天を仰ぐような心地で実感したが、この奥行も驚くに値する。
総本山には、神官を養成する学問所や、それとは別に選抜された者に建築・医術・土木技術などを教える教育機関、病篤い者のための病院、大規模な写本室、その他様々な施設を擁し、もちろんここで起居する神官たちの居住空間も含まれる。
一つの街とも都市とも言い得る規模を誇る。そのなかに門前の町は含まれない。
都市機能としては王都すら凌ぐかもしれない。
それらはすべて雪蘭を介して知ったことだった。彼女を経由して伝えられたことは、今思えば客観的だった。属する勢力の面子に遠慮することなく、優劣、長所短所も伝えられた。
“外”を知らない青蘭は、それを数値としてしか把握できなかった。百聞は一見に如かずと云ったのも雪蘭だった。それを実感する日々は未だに続いている。
突き当たりに階段があった。幅の広いゆったりしたつくりで、手すりには精緻な彫刻が刻まれている。
案内役の神官は、引きずるほど長い神官服の裾を踏むこともなく階を昇っていく。服そのものは簡素ながら、その生地は青蘭達の出で立ちとは正反対のものだった。
だが、青蘭も日頃は彼と同じかそれ以上に贅沢な暮しをしている。立っている場所は同じと云うことだ。
いくつもの階段を昇り、長い回廊の角を何度も曲がった末に、ようやく一行は重厚な扉の前で足を止めることができた。案内なしに来た道を戻れと云われても、確実に迷いそうだった。
「こちらでございます」
神官は恭しく頭を垂れ、控えめの扉を叩く。特に応えは聞こえなかったが、かまわずに彼は扉を開いた。
まずは里桂から入室する。袁楊、碧柊と続いた最後に、青蘭は踏み込んだ。
部屋は拍子抜けするほど狭かった。部屋の中央に円卓と数脚の椅子のみで、他に部屋の主の姿はない。壁には絵画が一枚かけられているに過ぎない。
「こちらが控えの間となります。非公式にというお申し入れでしたので、謁見の間ではなくこちらでお会いになられます」
絵と反対側の壁には、入口と同じ作りの扉がもう一枚あった。その向こうが主室らしい。
「お入りになるのは嵜州公のみとさせていただきます。お連れの方はこの部屋でお待ちください」
里桂は重々しく首肯し、三人を一瞥しただけでさらに奥の部屋へ姿を消した。案内の神官も彼に同行したため、控えの間には三人だけとなる。
まずはかけましょうと促され、青蘭がかけようとすると素早く碧柊が椅子を引く。当然のようにその行為を受け入れながらも、青蘭は内心戸惑いを感じずにはいられない。
本来、碧柊は青蘭にそのようなことをする必要はない。青蘭に仕えると云った通り、すでにそのつもりで動いているのだろう。
生まれて以来ずっと仕えられる立場にあった彼には、この年齢になってから他者に仕える事に対する抵抗は感じていないように見える。だが、その内心はどうだろう。問うてみたところで、青蘭だけは別だとか何とか云ってはぐらかされてしまうのがおちだろう。
「ご気分は如何ですか?」
袁楊がゆったりとした笑みを浮かべて問いかける。
「ええ、大丈夫よ。今さらあれこれ考えてみても緊張するだけでしょうから」
「ああ、下手に自分を追い込まぬ方が良い。いざとなれば自分でも驚くほどここが働くものだ」
碧柊はにやりと笑って自分の口元を指さす。
「そうやってこれまでやってこられたのですか?」
袁楊が小さく笑った。
「はったりと出まかせに関しては先達がおったのでな」
「それは心強い」
碧柊は笑っているが、青蘭は顔がこわばりそうだった。明柊のことに違いない。碧柊はなんでもないことのように語るが、本当は従兄のことをどう思っているのだろうか。それを訊いてみたことはなかった。
「如何した?」
彼女の険しい表情に気づいて、碧柊が眉をひそめる。青蘭は「いいえ」と呟いて笑ってみせた。明らかになにかを誤魔化しているものだったが、そこへ再び扉が開き、あの案内役の神官が姿を現したため追及を受けずにすんだ。
案内役の神官の背後には嵜州公が立っていた。隣りの部屋はずいぶん広いらしく、大神官らしい姿は見えない。
「袁楊殿はそこで待たれよ。お二人はこちらへ」
里桂に促された瞬間、青蘭の顔がさっと強張った。
にわかに緊張が増したらしい。里桂との会見時は碧柊もいなくて一人だったが、これほど緊張はしなかった。それが今更これほど緊張してしまうのは、彼がいるということに甘えているのだろうか。
動悸が増す一方で、心のどこかで冷静にそんな風に思う自分がいる。少し前までは雪蘭に頼ってばかりだったが、次は彼にそうしようとしているのか。
なかなか動けずにいるその肩に、軽く触れる手があった。
「如何した。まさか急に怖気づかれたか? 吾には任せろと笑っておられたが、やはり空元気だったか?」
明らかに緊張しているにも関わらずからかうような口ぶりに、青蘭はむっとしてその手を払いのける。彼が笑って椅子を引いてくれるのにも礼も云わず、すっくと立ち上がった。
「その意気だ」
小さく囁かれ、青蘭ははっとした。
「……どういたしまして」
してやられてばつの悪いような想いと、感謝が入り混じって素直に口にできなかった。それすら見越したように彼はすました顔で口の端だけ歪めた。