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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第1章 脱出 7

 薄明とともに靄がたちこめる。

 日が昇ってもなお仄暗い森の陰は白くかすみ、その先行きの不透明さがますます不安をあおる。

 石畳がところどころはがれ、灌木が枝を伸ばし、上からも鬱蒼と古木が枝葉をしげらせる。そんな道の先に現れた一行は、道が細く見通しも悪いためその人数を計ることができない。

 東葉とうはの軍であれば安堵してもいいはずだが、王太子のようすから青蘭せいらんは警戒心をとくことができなかった。

 ぎゅっと彼の衣の端を握ると、さり気ない動きで下ろしていた外套の頭巾を被らされた。

 夜明けとともに軍服を着用しても鞍に横座りしていては意味がないと諭され、青蘭はしぶしぶ馬の背にまたがることを承知した。背後からしっかり王太子が支えてくれる分、体の安定はとりやすい。正直にいえばこれまでよりずいぶん楽になった。


「……?」


 青蘭は強引に頭巾を目深にかぶらされ、その影からうかがうように顔を上げる。彼は片手でその頭を押さえこむ。


「あまり顔を上げるな」

「――はい」


 状況はどうであれ、面をさらさない方がいいのだろう。もしこのまま穏便に騒乱が終息するとしても、王太子妃となるはずの姫とそっくりな――というかその当人なのだが――顔を知られずにすむこしたことはない。

 一行のなかには他にも頭巾を被っている者もいる。特に青蘭だけが目立つわけではないが、他に二人乗りをしているものはいない。ましてや王太子に同乗させてもらっているとなれば、それだけでも十分目を引く。 

 少しだけ頭巾をあげ、成り行きを見守る。不安でしようがないが、王太子自らがそれを見越したように任せろといってくれたのだから、最悪の状況ではないのかもしれない。

 皺になるほどきつく外套の端を握りしめる青蘭に、王太子はにやりと口の端を持ち上げてみせる。むっとして頭巾の影から睨みかえすと、ぽんと頭を叩かれた。


「吾を信じられるか?」


 その問いの意図が読めず、青蘭はついつい振り返ってしまう。

 そうしつつも、片方の耳には待ちかまえていた一行と、こちら側の誰かのやりとりが聞こえる。その声は、あの隧道で松明を掲げていた男のものらしい。

 王太子は注意深くそのやりとりを見守っている。頭に置かれた手は重く、指先にわずかだが力がこもっている。

 彼はなにをどこまで把握し、なにを予測できずにいるのか。

 青蘭は既知の情報を思いめぐらせる。

 この状況で彼がもっとも恐れる事態はどんなものか。西葉さいはより国力のある東葉とはいえ、問題がないわけではない。けれど、この騒乱の経緯のいっさいがわからない青蘭には見当もつかなかった。

 万能の人間などいない。なにもかも知る存在があるとすれば、それは神だけだ。

 彼は自分のなにを信じられるかと問うているのか。そして青蘭は彼のなにを信じられると判断すべきなのか。

 じっと端正な横顔を見つめる。厳しく引き結ばれた口元、まっすぐで冷徹な眼差し。その面を振り返ってみる臣下はいない。

 息をつめて答えられずにいると、視線だけが青蘭に向けられる。それは返答を急かすものではないが、なにかを探るようなものだった。

 青蘭は笑ってみせる。少し強気に見えるように、厭味ったらしく口の端を歪めてみせた。


「弱気ですか?」

「――どうかな」


 王太子はかすかに眉をあげ、次いで微苦笑した。やり込められてばかりだった分、少しは胸がすく。

 青蘭はにこりと頬をゆるめる。そうすると柔らかな印象が強まり、幼く見えることを青蘭は自覚していない。王太子はわずかに目を細める。

 問われるまでもない。もう決めたことだ。


「信じます――だから、大丈夫ですよ」

「……説得力に欠ける根拠だな」

「それをどうなさるかは殿下次第です」

「確かにそうだ」


 乱暴に青蘭の頭を撫でると、彼はまた先ほどまでの油断のない表情に戻る。

 同時に青蘭の不安もいつの間にか和らいでいた。彼の衣の端を握る力に変わりはないが、それは縋るためではなく、共に闘うような心地へと変わっていた。

 



 王太子と青蘭は一行のほぼ最後尾にいる。後ろには三騎が控えているだけで、あとは前方の一隊を警戒するように全神経をそちらへ向けている。

 両者の中間位置でのやりとりはじきにすんだ。戻ってきた近衛の一人は、そのまま王太子のもとへ報告にやってきた。


「昨夜、王城より有事を知らせる狼煙があがったそうです。れい公殿下も王城脱出を果たしこちらへ向かっておられるそうです」

「わかった。では、予定通りこのまま向かう」

「はっ」


 彼は浅く一礼し、さっと踵を返した。自分の馬に跨ると、その背から檄を飛ばす。

 前方の一隊は馬首を返し、王太子の先鋒をつとめるように進みはじめた。一行もその後に続く。王太子も馬の腹を軽く蹴った。


「彼らは?」

「この地方の守備隊だ――苓公配下の、な」


 苓公という称号に、青蘭も聞き覚えがあった。

 王太子の従兄、よう明柊めいしゅう

 れい家出身の女が乳母役をつとめているため、苓公とも称される。ごくごく近しい者以外は称号で呼ぶのが習わしだ。守備隊が彼の配下だということは、このあたりは苓家の領地なのだろう。


「というわけで、吾らが向かっているのは王都の南西、苓南れいなんの砦だ」


 まるで心中を見透かされていたような言葉の捕捉に、青蘭は頭巾の影でちろりと舌を出す。

 大雑把な東葉の地図は頭に入っているが、そこに張り巡らされた道の全てを把握しているわけではない。ましてやこの古道は表向きの地図にはないものだろう。


「苓公もご無事でよろしゅうございましたね」

「ああ、そうだな」


 穏やかに尋ねると、平板な声が返ってくる。ちらりと振り返れば、その面は無表情だった。

 葉明柊は王太子と最も近しい血縁のはずだ。

 彼等の両親はともに兄弟姉妹で、よって明柊は王太子に次いで王位に近い。が、まだ王族の女性を妻に迎えていないため、王位継承権の条件は整っていない。

 王太子自身も先の西葉との戦の後、葉家直系の青蘭との婚約が正式に整うまで立太子できずにいた。東葉であっても即位するためには、女性王族との婚姻は切り離せない。

 ただ、現国王の第一嫡出男子は出生と同時に東宮の称号を得る。東葉ではそれは即ち王太子の別称とも見なされる暗黙の了解があり、それが西葉王家との一番の違いだ。


「吾の身になにかあれば、次に青蘭姫の夫となるのは明柊だ」

「そうですね」


 青蘭は東葉に嫁ぐのであって、それがこの王太子であると定められているわけではない。

 このような事態が起こらず、無事に婚儀を終えていたとしても、先々寡婦となるようなことがあれば、その時は次の王位に近い者と再婚することになる。


「そして、青蘭さまになにかあれば、青蘭さまの兄上が西葉の王位を継ぐことになります」


 青蘭の兄、西葉東宮蒼杞そうきは従妹を娶り、すでに一女も儲けている。この従妹も直系王族で、青蘭に次ぐ王位継承権を保持している。蒼杞はその妻の夫として、西葉国王となる権利を得ている。

 “青蘭姫”として残してきてしまった、雪蘭の身が案じられる一番の理由がそれだった。東葉国王を害し、その混乱に乗じて“青蘭姫”も排除して、一番利を得るのは兄。

 そのため奥の宮で青蘭に仕える女官は、身元のしっかりしたごく少数に限られてきた。この度の嫁入りではそういうわけにいかず、急遽多数の女官を採用した。青蘭と雪蘭が頻繁に入れ替わっていたのも、危険を避けてのことだった。

 二人が双子の如く似通っていることを知るのは、奥の宮から仕えてきた数人のみ。青蘭姫は常に紗の覆いで顔を隠しているので、身近に仕える者もその素顔を見ることはできない。女官長と姫、この二人が頻繁に入れ替わっていても、そのことに気づくものはいなかった。

 

「そうなればまた両国の対立が続く」

「はい」

「吾はそれを防ぎたいのだ」

「そのための婚儀です」


 けれどそれは相手が明柊であっても叶えられる。それを承知で、青蘭は明言した。


「明柊にその意志はない」

「――その根拠は?」


 雪蘭は青蘭姫と姉妹同然に育った。そんな彼女に敵手への悪印象を植え付けておくのも一手には違いないが、王太子の人となりにその方法はそぐわない気がする。


「いや、失言だ――今はまだな」

「まだ、とは?」

「判明する時がこなければいいということだ」


 なにかを含んだ声音だった。それ以上言葉を継ぐ気配はない。そのかわり、ずり上がっていた青蘭の頭巾を引き下ろす。その手つきは乱暴だった。

 彼は、従兄への明言できない懐疑を抱いているということなのだろうか。

 青蘭は抗議するように彼の手を振り払い、小さな声で云い添えた。


「――姫も同じことを望んでおられます」

「……それはよかった」


 心底ほっとしたような呟きだった。意外なほどの素直な感情の発露に、青蘭は思わず振り返ろうとした。その頭をまた背後から乱暴に抑え込まれる。


「きょろきょろするな」

「――照れておられるんですね」

「気のせいだ」


 憮然とした声に、青蘭は忍び笑いを殺せない。しばらく笑い続けていると、咎めるように頭巾の上から軽く頭をはたかれた。

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