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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第6章 西葉 8

しん州から州公の城までは、軒車くるまを急がせても三日はかかるという。早馬を飛ばせば一日あれば事足りるが、そういうわけにもいかない。

碧柊へきしゅうのことは袁柳えんりゅう蓮霞れんかに託した。安心していってらっしゃいと微笑んだ叔母に、不安はほんわずかだが和らいだ。

同行するのは袁楊えんようだった。このような時に本家の当主が国元を空けるわけにはいかない。それにこうしたことには袁楊の方が向いているでしょうと、袁柳は薄く笑った。

 それに袁楊の妹は嵜州公の弟に嫁いでいるという。袁楊はそういう縁で嵜州公とも親交があり、八公のなかでも最初に声をかけることになった。嵜州内に聖地がある以上、避けて通ることはできない人物だけに幸運でしたと袁楊は微笑んだ。


「幸運というのは?」

「我が家は岑家の分家筋に過ぎませぬ。本来ならば王統家と釣り合う家格ではありません。それを公弟のたっての願いで妹は嫁ぐことになりました。先代の本家当主の養女として、本家筋の姫としての身分を整えての縁となりましたが、まさかこのような事態になるとは思ってもおりませんでした」

「――たっての願いとは珍しいのですね?」


 本来縁談というものは、当人たちの意志などお構いなしに整えられるものだ。袁楊の妹はよほどの美女との評判だったのだろうか。学者然とした風貌の袁楊も決して見目が悪いわけではないが、人目を引くほどではない。


「妹は本家に行儀見習いに上がっておりました折に、嵜州公の代理で訪ねてこられた弟君の目にとまったようです」

「――そういうことがあるですね」


 中下級貴族の娘が行儀見習いとして、本家筋の主家へ奉公にあがることは珍しくない。そこで見染められてという話は珍しくないらしいが、青蘭にとってはまったく縁のない世界のことだった。


「王統家は王統家内で婚姻を結ぶのが常識ですが、嵜州公はあまりそういうことに縛られる方ではありません。妹が分家筋の出でもいっこうにかまわぬと、一族の口を封じてしまわれました。今回のことも向こうから接触を図ってこられたようなものでした」

「向こうから?」

「はい。我等が前当主の厳命で国元に帰りつくのとほぼ同時に。その時はまだ殿下の安否もつかめておりませんでしたが、ともかくこのままでは互いにまずかろうということで。嵜州公はどちらかといえば気骨ある方のため、以前より東宮殿下から目をつけられておられたようです。東宮殿下のご帰国直前に、王都から国元へ御戻りになりました」


 蒼杞そうきは実父に対してすら遠慮しなかった。いくら王統家の筆頭でも容赦するはずもなかっただろう。


「――賢明な判断だわ」


 青蘭は複雑な思いで溜息をついた。

 こんなことになる前に、誰かに兄を止めることはできなかったのかだろうか。

 兄の妃である従妹の王女はどうしているのか。

 次々と名前は思い浮かぶが、結論は一つだった。無理だったからこそ、このような事態に陥っているのだ。

 暗い表情で外を見つめる。道は整備されているため、軒車の揺れはひどいものではない。転寝するのにちょうど良いくらいだが、このような気持では無理そうだった。

 軒車の窓は開け放たれている。そうでなければ昼間の暑さには耐えられたものではない。日は傾きつつあり、野辺にはまだ農作業に精を出す人々の姿がある。真昼の暑さを避けて涼しくなりはじめる頃から日暮れまで働くのだという。

 夏のはじめに東葉へ向った時には、ほとんど外を見ることはできなかった。今はこうして望むものを目にすることができる。それを青蘭は素直に喜ぶことはできなかった。


「もし国の内が乱れれば、このあたりはどうなるのかしら」


 山と深い森に抱かれた東葉とは違い、西葉は地平まで沃野が広がる。素直に美しく豊かな光景だと認めることができる。東葉とは全く異なる美しさだった。


「戦となれば農地も村も街も焼かれましょう。巻き込まれずにすむ者などおりますまい」

「……そうですね――でも、それは避けられないことでもありましょう」

「多少の戦火は避けられないでしょう。ですが、それもやりようによっては最小限に抑えられるはずです」

「……そのためにも嵜州公を味方につけねばなりませんね」

「ご案じ召さることはないでしょう――少なくとも私はそのように思います」


 盾の候補を希望した嵜州公に青蘭と袁柳は警戒心を抱いたが、袁楊はそうではないというのか。 

 被衣かずきの陰の怪訝な様子を察してか、袁楊は微笑した。


「お会いになればお分かりになりましょう」

「――そう」


 青蘭は心もとないまま肯くしかない一方で、袁楊が不確かなことを口にする人間だとも思えなかった。




 岑家の邸を発って三日目の夕方、軒車はようやく目的地に到着した。

 嵜州の州都でもある街外れの高台に、その城はあった。城としか言いようのない規模だった。岑家の本邸とは比較にならない。

 軒車は門を潜り、木々の間を抜けてようやく止まった。

 その頃にはすでに日は暮れ、前庭には篝火が焚かれている。

 先に袁楊が軒車を降りた。開かれた軒車の扉の向こうからやりとりする声が響いてくるが、その内容までは分からない。じきに降りるよう恭しく呼びかけられ、青蘭はゆっくりと腰を上げた。

 降りる際に手を貸してくれたのは袁楊ではなかった。暗がりで細部まではわからないが、身につけているものは喪服のようだった。この三日の間にまた新たな被害者が出たのだろうかと、青蘭は被衣の陰で眉をひそめた。


「足元にお気を付けください」


 囁く声は低く心地よく響く。発音に訛りはなく、それなりの身分にあるものらしい。かすかに頷き、片手を彼の手に預けたまま玄関に向かう。

 磨きこまれた石段をいくつか上がると、大きな扉が開かれたままになっており、そこから灯りが漏れている。その明るさに目を細める。足がもつれそうになったが、相手に悟られずにすんだようだった。

 天井からは無数の蝋燭に火が灯されている。その明りの下、ずらりと並ぶ人々は皆服喪の証に身を包んでいる。

 それまで預けていた手が恭しく下ろされ、ここまで導いてくれた男が改めて青蘭の前で膝をつく。他の者たちも一斉にそれに倣う。その中には袁楊の姿もあった。


「ようこそお越し下さいました。私は嵜州公・嵜葉きよう里桂りけいと申します」


 その男こそが嵜州公その人だった。

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