第6章 西葉 6
翌日も、朝から青蘭は岑家の当主達と頭を突き合わせていた。
彼らの間で交わされる会話の聞き役に徹するのが専らで、挟めるような意見を持ち得ようがない状態だった。
聞いているだけで、決して状況が甘いものでないことは知れる。だからといって、打開策をひねり出せるわけではない。そのあたりは当主達を頼りとするしかない。下手に口をはさめば妨げにしかならないため、どうしても問わなければ理解できない折にのみ口を開いた。
青蘭が言葉を発する機会はほとんどなかった。雪蘭と共に学んだ知識がなければ状況を理解することもできず、説明を求めることもなどとてもできなかっただろう。
袁柳達は自分たちだけで議論しているようでいて、青蘭の存在を忘れることはしなかった。青蘭の表情を読み取って、適宜補足していく。説明を求める必要がなかったのは、彼等のこまやかさのおかげもあった。
西葉王都からもたらされ続ける報せは、蒼杞の振舞いが残虐さを増していることを物語っていた。
常軌を逸していたのは今に始まったことではないが、隠蔽しようとする父王の意志もあり、東宮にまつわる暗い噂にとどまっていた。その重石が外れてしまった今、もはや誰にも彼をかばうことはできず、ましてやその行動をとどめることなどできるはずもない。
東葉での彼による戦禍のすさまじさは、すでに西葉でも知れ渡っている。彼を敵に回すことを考えただけで、背筋の凍るような想いをした者は多い。
彼は狂気に支配されているのか、それともただ残虐なだけなのか。青蘭にもそれは分からない。十代のはじめから妹の命を狙うなど、権力への執着は早くから明らかだった。正気を失っているわけではないのだろう。
この状況は青蘭には有利に働くだろう。現状では兢々としながら蒼杞の機嫌をうかがっている貴族が多いが、青蘭の存在が明らかになればこちらになびく者も少なくはないだろう。
だが、袁柳達はあくまで慎重だった。見込みでは動かない。そんな彼らの一番の懸念は、岑家が青蘭を担ぎ出すことそのものだった。
「雪蘭が私に女官として仕えていたことは知られているのだから、今さら“青蘭姫”と岑家のつながりを疑う余地はないはずでは?」
「そこが問題なのです」
袁柳は腕組みをして、袁楊へちらりと視線を流した。
彼は一回り以上年上の袁楊を頼りとしているようだった。上級貴族の中でも名家としての家格を誇る旧家の当主となるには、袁柳はいささか若すぎる。年のころは碧柊と同じくらいだろう。経験が足りているとは考えられない。
袁楊は本家の主と己の立場、そして状況を弁えているようだった。あくまで本家の当主を盛りたてようとする姿勢を明らかにしている。
袁楊が話の続きを請け負った。
「雪蘭殿は我らが身内です。そして殿下とは従姉にあたります。岑家が意のままにできる雪蘭殿に王女の身分を騙らせているだけで、翠華の“青蘭”さまこそが本物ではないかと指摘されかねない――青蘭殿下が確かに王女だとする証がないのです。裏を返せば王女ではないという証もないのですが。その上、雪蘭殿の“青蘭姫”もおられる。確かに葉の女王たり得るのは殿下お一人ですが、この状況では疑心暗鬼が先に立ちます。殿下を主として戴くということは、一族の命運をかけることに他なりません。確たる根拠をお持ちにならなければ、動きたくとも動けぬ者も出てくるでしょう」
「私が王女だという確かな裏付けが必要になるわけ、ですね」
「おそれながら」
青蘭は思いもしなったことに少なからず困惑していた。
自分が王女であることは間違ない。すべてを知る袁柳達も疑ってはいないだろう。だが、確かに真相を知らぬ第三者から見れば詐称を疑われても仕方がない。
考えみれば確かにそうで、納得もできる。だが、ではどうすれば良いかと問われればさっぱり分からない。
険しい顔で沈思する青蘭に、若い当主達は目配せを交わす。そこにはいささかならず後ろめたく感じているような気振りがあった。
「手立ては二つあります――一つは神殿に認めさせることです。幸い聖地は隣の王領にあります。総本山の大神官の言質を得ることができれば、これ以上の裏付けはないでしょう。大神官のお認めであれば、ゆくゆくは東葉でも通用するはずです」
青蘭達も越えた峠を通って、わざわざ参詣に来る東葉の民も少なくない。
西葉と比べて現実的な国民性の東葉でも、信仰そのものが揺らいでいるわけではない。むしろ敬虔な信者は東葉にこそ多い。それは“祖国”である“葉”から切り離されているという感覚が拭いきれないためもあるのだろう。
「――そうね。では、もう一つは?」
青蘭の問いに、袁柳はいったん眼差しを落とし、それから思いきるように口を開いた。
「嵜州公をご存知ですか?」
「ええ」
嵜州とは岑州の隣にある王領で、先ほど話にも出た聖地のある州だった。
王領州は王家の直轄領だが、実質的な管理は王統家と呼ばれる準王族に委ねられている。王統家は八つの王領に八家が存在する。
王統家の役割はもう一つある。西葉王家で直系の王女が絶えたことはないが、その配偶者となるべき男性王族が不在となることは何度もあった。その場合、王統家の男子が準王族から王族に格上げされ、王配となる。
現在の嵜州公もその一人で、年のころは三十前後、特に良くも悪くも取り沙汰されることはなかったはずだ。それ以上のことを青蘭は知らない。
「嵜州公は王統家八公のなかでも上位に位置する方です。嵜州公の承認を得られれば、王統家の多くをこちらに引き込むことができるでしょう」
「王統家が動けば、他の貴族も動きやすくなるわけね」
「はい」
「では至急、大神官と嵜州公に会いましょう――ここに呼びつけるわけにもいかないのでしょう?」
「はい、仰るとおりです――それと、もう一つ申し上げたきことが」
先ほどからなにか云い渋っていることには、青蘭も気づいていた。頷いて続きを促す。
袁柳は小さく息をついた。
「嵜州公とはすでに密かに話がついております――彼は、盾の候補としての名乗りを希望しております」
「――盾として?」
青蘭の顔が険しくなる。尖った声に、袁柳はただ黙って首肯する。
王統家であれば、即位のおりに盾の候補となる資格はある。
「私に盾として選べといっているの?」
「そういうわけではありません。盾をお選びになるのはあくまで殿下のご意志です」
「王配となることを引換に承認すると云っているわけではないのね?」
「明言はしておりません」
だが、暗に要求しているのと変わらない。
青蘭は唇を噛んでしばらく考えていた。
「――碧柊殿のことも知っているの?」
「碧柊殿下のことを知るのは我らのみです」
「――では、好きにさせなさい。即位してしまえばこちらのものです」
口の端を歪め、艶然と微笑んでみせる。
岑家の当主達はそんな青蘭に少なからず驚いたようだが、じきに微笑して頭を垂れた。