第6章 西葉 4
青蘭は冷ややかに三人を見下ろす。
「私になにを求めるのです」
「われらが王に――葉の女王におつきいただきたいのです」
茶番だった。
青蘭から支持を乞うのではなく、即位を要請されそれに応じることで力関係がはっきりする。推戴されたという形が最も理想的だ。それを彼等も分かっている。
「西でも東でもなく、“葉”の女王に」
袁柳は繰り返す。“王”により骨に抜きにされ徐々に形骸化していった女王の位。
だがそれは古に立ち返るのではなく、新たなはじまりでなければならない。
古来、女王は顔を隠し、自ら声を発することもなかった。存在の曖昧な、王権の象徴としての存在だった。それ故に次第に力を失っていくこととなった。
けれど青蘭は被衣を取り、自らの意志でここに立ち口を開いている。それは雪蘭が教えてくれたことでも、碧柊を授けてくれたものでもない。
「そのためにそなたたちは如何する? 」
「心よりの忠誠を。わが一族、領民をあげてご尽力させていただきます」
「宝印に誓えますか?」
「もちろんでございます――すでに用意しております。これを、陛下に」
袁柳は懐から折りたたんだ紙を取り出し、捧げるように差し出した。
青蘭はそれを受け取り、広げる。それが宝印だった。
本来宝印は神殿が発行する護符だが、その裏に誓約文を認めて主に差し出すためにも使われる。神の名を記した護符を用いることで、神にかけて誓約する証となす。万が一それを破れば、たちどころに神罰が下るという。宝印を焼いた灰を飲ませれば、誓いを破ったものはもだえ死ぬとも言われている。
青蘭も額面どおりに受け止めているわけではない。だが、これを差し出すということは一族の命運をも差し出すという確かな証であり、これ以上のものはない。
新王が即位する時、貴族たちは皆これを提出する。決して破られることのない忠義の証とするために。そして彼ら三人は当主となったばかり。王として青蘭を選ぶという確かな意思表示でもある。
「――分かりました。受け取っておきましょう」
丁寧に畳み、懐にしまう。そして三人に席に戻るよう促した。
「しかし、私は王位を担うものとしての教育を受けてはおりません。この先、如何様にして事を成すのか。そなたらに考えはあるのですか? 」
自分の無知と無力は隠しようがない。
毅然としつつ、自分の持ちえないものは率直に他に求める。それ以外のやり方を青蘭は思いつくことができなかった。
袁柳達はその言葉にはっきりと頷いた。彼の顔に一瞬浮かんだ表情に、青蘭は自分の方法が間違っていないことを確信する。
一人ではしょせん無理なのだ。それを素直に認めることは、決して逃げでも愚かなことでもない。
「その前にもう一つ申し上げたき議がございます」
「雪蘭の、いえ、東葉のことですね」
「左様でございます」
「苓公も即位の準備を進めているのでしょう? 」
「いえ――苓公は雪蘭さまを“葉”の女王として擁立しようと動いているようです」
袁柳は言いよどんだ末、青蘭をまっすぐに見つめて告げた。
「なっ……」
青蘭は絶句する。
思いもよらなかった。だが、碧柊も同じ結論にたどりついたのだ。怜悧な明柊であればなおさらだ。そして、それこそが彼が雪蘭の正体を疑っていない証でもある。
「……いえ、驚くまでもないことですね――雪蘭はなんと ?」
「ぎりぎりまで苓公の指示に従うとのことです」
そして、一番効果的な段階でその身分を明かすつもりなのだろう。
「――私と碧柊殿が無事だったという報せは? 」
「雪蘭殿の手元まで届けるには、最短でも三ないし四日かかります。早くても明晩か、明後日になるかと」
「そう……いざという時になって、彼女を救出できる公算は? 」
「正直に申し上げると難しいでしょう」
袁柳は心持ち伏し目がちに応えた。彼は雪蘭にとって義理の兄にあたる筈だった。雪蘭が幼いころを語るとき、彼の名前もしばしば口にのぼった。楽しく懐かしい記憶と共に。
雪蘭は自分の死を覚悟している。それを悟り、青蘭は堪え切れずに俯いた。
袁柳が救助は難しいと言っている以上、青蘭に出来ることはもはやない。さらにそれに追い打ちをかけるのは、青蘭の即位に他ならない。それでも、やらねばならない。
一番大切なのは故国だと、青蘭に言い聞かせてきたのは他ならぬ雪蘭だった。それは今や西葉のことだけではない。ましてや青蘭は“葉”のために嫁ぐはずだった。それは今も変わりない。
思いが揺らぐ。
瞑目すれば、脳裏に雪蘭の姿が浮かぶ。
きっとここに彼女がいれば、青蘭を叱りつけるだろう。躊躇っている猶予はない。ここで迷っていたところで、結果はおそらく変わりはしない。可能性は失われていくばかりだ。
青蘭は唇を結び、毅然と顔を上げた。眦は熱を帯びるが、潤むことも許さない。
「分かりました――何事も無駄にせずに済むよう、最善を尽くしましょう。引き続き、雪蘭とは連絡を密にとってください。おそらく、一番手強い敵は苓公となるでしょう」
苓公明柊のもとにいる雪蘭が一番の情報提供者となってくれる。望んだわけではないが、それだけの危険に彼女が身をさらしている以上、青蘭は絶対に負けるわけにはいかなかった。
「まずは、西葉の国内情勢とそなたたちの考えを聞かせてください」
まずは足元を固めることから始めなければならない。
密議は夕刻まで続いた。
青蘭は疲労と精神的な衝撃から回復しきれておらず、途中で何度か気が遠くなりかけた。青蘭の身を案じる岑家の男性陣が中止を申し出たが、時間が惜しいと続けさせた。判断力が鈍るかもしれないという恐れもあったが、青蘭が自らそれを下す必要はほとんどなかった。
権力闘争の裏の裏までかくような真似をしたことのない青蘭には、彼らの話を理解するだけでせいいっぱいだった。裏と表を使い分けるのは貴族の基本だが、そこに怪奇じみたものが渦巻いていることを知らずにいた。
王族というものは基本的に利用されるものであって、排除される対象ではないため、貴族より詰めが甘いのは確かだ。
蒼杞の狂気じみた振舞いのため、当主を失う貴族が急速に増えている。こちら側に引き入れられそうな貴族は確実にその数を増やしている。
すでに岑家と姻戚関係のある貴族を抱きこむことには成功しており、さらに青蘭の生存と無事が明らかになれば態度を明らかにする貴族も増えそうだった。
問題は、いつ青蘭の無事と共に女王として即位する意思を明らかにし、どこでどのように即位するかという時機だった。早すぎても遅すぎてもいけない。
そして、その登極のさいに誰を盾として選ぶか。
一人になった青蘭はようやく深々と溜息をついた。目の前には静かに呼吸を繰り返す青年が横たわっている。
手を伸ばし、そっと頬に触れる。髭が伸びかけているのか、ざらざらとした手触りは温かい。寝顔は穏やかだった。夢を見ているのだろうか。それとももっと深い眠りなのだろうか――眠りですらないのかもしれない。
青蘭は迷うことなく彼を盾として選ぶことを告げた。袁柳もそれについては賛成してくれたが、問題は彼がいつ目覚めるか――目覚める日が来るのか、ということだった。
眠り続ける人を夫として選ぶことはできない。そして、盾の選定は即位と切り離せない。
いつまでも待ち続けることはできない。
青蘭は碧柊に覆いかぶさるようにして、その頬に頬を寄せる。恐々と逞しい背に腕を回した。
「お願い、早く眼をさまして――私は他の人を盾に選ばなければならなくなる……それだけは絶対に嫌です」
涙がとめどなく頬を伝い、彼の髪を湿らせていく。それでも、応じてくれることはついになかった。