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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第6章 西葉 3

 その部屋まで青蘭を案内したのは、袁柳えんりゅうだった。

 扉を開けると恭しく頭を垂れ、どうぞと入室を促す。青蘭は浅く首肯すると、滑るような足取りで扉をくぐった。

 さほど広い部屋ではない。だが、眺望は素晴らしかった。

 天井までの高さのある壁一面の窓の向こうには、夏の緑野が広がっている。

 山の中腹に建つ立地を十二分に活かした眺めだった。秋になれば一面稔りの金色こんじきの野に変わるのだろう。この領地からどれだけの収穫が上がるかを、一目で知らしめるかのような風景だ。

 その部屋の中央には焦げ茶の卓が一つ置かれ、その縁には輝石を用いた装飾が施されている。その石を産出するのは間違いなく東葉だろう。

 卓の周りには二人の男がいた。扉が開くと同時に立ちあがり、頭を垂れて王女を迎える。

 背の高い方は三十代半ばくらいか。袁柳より頭半分ほど背の低い男性は、青年というより少年と称する方がふさわしいような幼さの残る顔立ちだった。二人ともに服喪の出で立ちだった。


「わが一門の分家の当主達です。あちらはしん袁楊えんよう、こちらはしん袁棋えんきと申します」


 年配の男が袁楊で、少年が袁棋だった。二人はそれぞれ紹介されると恭しく頭を垂れた。青蘭は小さく首肯する。

 二人は王女が素顔をさらしていることに驚いたそぶりも見せなかった。表情に出さない。容易く真意を悟らせない。

 侮りがたい一門には違いない。あの雪蘭を育て、送りこんできたのだ。

 紅桂こうけい亡き後、彼等がどんな思惑で雪蘭を通して自分に関わってきたのか。これまで考えたこともなかったことに気づき、愕然とする。

 もちろん、青蘭だけに賭けているはずはない。貴族内での権力争いは陰湿を極めている。いくら権力闘争から遠ざかろうとしても、油断すれば陥穽に落とされる。積極的に敵をはめるより、徹底的に守りに徹した方が結果的には生き残れる。西葉はそういう国だった。そのために、したたかな貴族ほどいくつもの抜け道を用意している。

 袁柳が椅子を引いて着座を促す。青蘭は優雅に腰かけた。

 王女が凛と背筋を正すのを待って、三人も席に着いた。


「では、袁楊、そなたから説明を」


 袁楊は青蘭に黙礼し、ゆっくりと口を開いた。


「まずは今回の事態についてです。殿下はどこまでご存知でいらっしゃいますか?」

「兄――いえ、東宮とれい公が仕組んだこととのみ」


 もう、蒼杞を兄とは呼ばない。彼はもう明確に敵なのだ。


「苓公ともお会いになられたことがおありですか?」

「ええ。彼は苓南れいなんの砦で西葉東宮を討つと称して兵を整えておきながら、結局は碧柊殿に刃を向けました」

「それで辛くもお二人だけが逃げ延びられたのですね」


 青蘭は小さく頷いた。

 あの砦で自分たちをかばい逃してくれた近衛たち。はたして幾人が無事に逃げ延びられたのだろうか。碧柊の衣をまとい、名乗りをあげて注意を惹きつけた綾罧りょうりんが無事でいるとは考えにくい。

 それでも、考えれば心が乱れる。無事を願わずにはいられない。

 なるべく顔に感情を出さないようにしよう。そう思いながらも、ついつい沈み込む心は隠しきれない。だが、いつまでも思い煩っている場合ではない。

 青蘭は続けるように目線で促す。袁楊は目礼で応じた。


「苓公には、お二人が入れ替わっておられることに気づいた様子はありましたか?」

「いいえ、私のことは雪蘭だと思っているようでした――雪蘭からも報告が寄せられているのでしょう?彼女は無事なのですか? 翠華すいかはどのようになっているのです」


 雪蘭のこととなると容易くたがが外れてしまう。青蘭はなるべく声の調子を押さえつつも、問わずにはいられなかった。


「雪蘭さまはご無事です。詳しいことは後ほどご説明申し上げます」

「――分かりました」


 本当はもっと詳しく聞きたかった。だが、物事には順序というものがある。侮られないためにも、どうしても知りたかった安否がはっきりしただけでも良しとするしかない


「続きを」

「はい――先の敗戦後の我が国の軍の解体の責任者は苓公でした。その時点から東宮殿下は苓公と接触を持たれておられたようです」


 先に持ちかけたのはおそらく明柊めいしゅうからだろう。あの自尊心だけは人一倍高い蒼杞から近づいたとはとても考えらえられない。


「それで?」

「東宮殿下は青蘭殿下の御輿入れに乗じて兵を動かされました。東葉側の国境警備をわざと手薄にしたのは苓公のようです。ご婚儀前夜の宴でことを起こす手筈となっていたのでしょう。それに間に合うように軍は越境し、翠華の近くまで迫っていたようです。宴において西葉国王を殺害し、同時に碧柊殿下のお命も狙うことになっていたようですが、こちらは替え玉を出席させて、ご本人は現場に居合わせておられなかった――青蘭殿下も雪蘭さまと入替り、宴には出席なさらなかったのですね」

「――ええ」


 雪蘭に唆されたのだと言い訳しそうになったが、我ながら見苦しいと口を噤んだ。


「雪蘭さまが異変を悟られたのは宴の直前だったため、青蘭殿下にお知らせる余裕がなかったようです。密かに青蘭殿下だけをお逃しする手筈となっていたのですが、何故か殿下は碧柊殿下と共に落ち延びておられた」

「私を逃すはずだった雪蘭の手の者は、運悪く碧柊殿の配下の手にかかったそうです。私が碧柊殿と逃れることになったのはあくまで偶然です――あの方は私と雪蘭の顔もご存知なかったのですから」 


 三人は一瞬怪訝な顔をみせた。

 婚約時に肖像画の交換がなさるのはごく当たり前のことだ。容姿に不足があった場合、肖像画に多少手心が加えられることもあるにはあるが、青蘭の場合その必要は全くない。肖像画を見ていれば一目でそうとわかる筈だった。青蘭も雪蘭も、共に稀なほどの麗人だ。

 青蘭はいちいち碧柊の信条を説明するのも面倒なので、彼のための釈明はしなかった。


「――苓公は宴の直後に翠華を脱出しています。表向きは逃れてということになっていますが、すべて偽装です。それについては雪蘭さまが、東宮殿下と苓公の口から直接お聞きになっておられます」

「――」


 蒼杞ならあり得そうなことだ。いい気になってぺらぺらと話したのだろう。

 だが、明柊までがそうしたということは意外だった。本物の青蘭姫だったならともかく、雪蘭を謀るのは難しいだろう。それを悟って彼は明かしたのか。それとも単に翻弄するためか――おそらく、後者だろう。雪蘭でも、明柊だけは手に負えないのではないだろうか。


「碧柊殿が隠し通路と古道を使って逃げるだろうと踏んだ苓公が守備隊を動かし、苓南の砦へと導くように手配したのでしょう」

「おそらくは殿下のおっしゃる通りかと――そして、苓公は碧柊殿下を討とうしたが失敗した。そのまま砦を発つと北上し、東宮殿下と戦火をまじえてみせた。東宮殿下は敗退と見せかけて東葉より軍をお引きになった」

「――そして父上を討った……どのような名目であろうと、親殺しは大罪です。それだけでも王位を継ぐ資格のないことは明白」


 祖先を尊ぶ風習の強い葉において、尊属を害することはどのような理由であろうと死罪とされる。そのため実際に尊属殺人を犯したとしても、表沙汰には絶対にしない。それをあえて明らかにしたのは、蒼杞らしいことではあった。

 そして、同じ罪を碧柊にかぶせようとしているのは明柊だ。


「ですが、即位式の準備を進めておられます――それに諫言したために、われらの先代当主は命を落としました」


 そう告げて、袁楊はじっと青蘭を見つめた。そこに表情はない。袁柳も同様だった。袁棋のみがわずかに唇を引き結んでいる。


「――では、あなたがたは?」

「われらは東宮殿下の出陣後、父の厳命で国元に帰されました。父たちになにかあれば、喪にかかわらずすみやかに跡を継ぐようにと――われらも父同様、東宮殿下の王位を認めません。正当な王は間違いなく青蘭殿下であらせられます」

「――」


 三人は椅子を立つと青蘭のすぐそばまで歩み寄り、膝をついて恭しく頭を垂れた。


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