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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第6章 西葉 2

 顔や体の泥は拭われ、足と頬の傷も丁寧に手当てされていたが、髪にはまだ泥がこびりついていた。青蘭の安静を優先してくれたのだろう。

 侍女に手伝ってもらいながら手早く湯浴みをすませ、衣装を整える。本当はなりふり構わず碧柊の枕元へ駆けつけたかったが、蓮霞れんかにやんわりと釘を刺された。

 青蘭が下した結論は、先に岑家へ伝えられていた。

 青蘭は女王として王権を取り戻すために故国の土を踏んだのだ。それに相応しい振舞いを要求される。ことはすでに動き始めている。碧柊の意識が戻るまで待つことはできない。

 青蘭は虚ろな目で鏡に映る己の顔を見つめていた。

 もし、このまま碧柊が目覚めることがなかったら――万が一、命を落とすようなことになれば……

 ともかく、一刻も早く顔が見たかった。そのためにはなるべく侍女たちの手を煩わさないようにするしかない。

 蒼杞そうきが父西葉王を弑した今、青蘭は喪に服さなければならない。装いは白地に黒と色が定められ、飾りも銀細工のみの装飾性の低い歩揺に限られている。

 短くしてしまった髪を結いあげるのに少なからず手間取った。かもじの用意もなく、飾りで誤魔化すこともできないため、服喪の際に着用する透かし織りの黒の被衣かづきの、織りの細かなものを選んでなんとか取り繕う。

 再び被衣で面を蔽う生活に戻ることに、青蘭はより憂鬱を深めていた。


「では、私がご案内いたします」


 そう云って、青蘭の手を取ったのは蓮霞だった。

 長い廊下は複雑に入り組んでいた。

 山の背の裾野に建つ岑家の城は、その傾斜に合わせて設計されている。一見まっすぐな廊下でつながっていても、場所によってはそこが2階だったり1階だったりする。

 虚ろな目で力なく歩く青蘭の手を、蓮霞はそっと包み込むように握る。


「大丈夫ですわ、姫さま」


 優しい囁きに、青蘭はかすかに首をかしげる。

 この人は何をどこまで知っているのだろう。


「そうでしょうか……」

「ええ、姫さま――私の勘は当たるのです」


 目を細めてふわりと包み込むように微笑む。同じ笑い方をする人を知っている。その人は母親と同じことをよく口にした。私の勘は当たるのよ、と。

 嫁ぐ前にもそう云っていたけれど、果してそれは当たっているのだろうか。

 まだ、意識は回復していない。そんな彼の枕元を訪れたからと言って、その事実が変わるわけでもない。それでも、一刻も早く駆けつけたい。せめて、その顔だけでも見つめていたい――こんなに苦しくて辛いばかりなのに、それでも雪蘭の勘は当たったと言えるのだろうか。




 大きな窓には紗の帳がおろされ、室内はやわらかな明るさに満たされていた。

 その光の届く寝台で、彼は眠っている。

 部屋につくと蓮霞はそっと青蘭の手を放した。それにも気付かず、青蘭は引き寄せられるように寝台に近づく。駆け寄りたいのに、まるで恐々とした様子だった。

 今にも崩れそうな古い床を歩むように慎重に歩み寄り、ようやく傍にたどりつく。胸の前で両手を握りしめ、息をつめて見つめる。

 血や汚れは拭われ、髭も綺麗に剃られていた。日に焼け、少しやつれたような端正な寝顔。やはり彼は貴公子然としているほうがそれらしく見える。

 頭部には包帯が巻かれ、その白さが目にも心にも突き刺さるようだった。

 静かに上下する胸を見つめながら、そっと腕に触れる。手首の脈を探し、そこに確実な脈動を感じるとようやく安堵したように肩の力を抜いた。


「頭部の打撲の他に特に大きな傷は負っておられません。あとは意識を回復なさるのを待つのみです」


 寝台の反対側に医師がいたことに、はじめて気づいた。

 青蘭は小さく頷き、じっと碧柊の端正な顔を見つめる。

 はやく眼を開けて自分を見つめてほしい。皮肉っぽく笑いながら名前を呼んでほしい。節くれだった武骨な指に絡める指を握り返してほしい。  


「いつ、とは分からぬのですね」


 不思議と落ち着いていた。取り乱し、泣き伏せてしまうかと恐れていたが、穏やかな寝顔を見つめていると奇妙なほど心は鎮まった。


「はい」


 医師も言葉を選ぶことはしなかった。


「そうですか」


 静かな声はわずかに震えていた。蓮霞がそっと動く。医師の背後に控えている青年に目配せし、壁際に立つ侍女たちにも促して部屋から立ち去る。


「我等はしばらく退出させていただきます」


 厳かに告げ、返事を待たずに扉を閉めた。

 誰もいなくなった部屋で、青蘭はようやく涙をこぼした。

 ぽたぽたと涙が掛け布に染みを作る。

 そっと手を伸ばし、精悍な顔に触れる。壊れものを扱うように恐る恐る。両手で頬を包み込むようにし、親指を滑らせる。早くも髭が伸びかけているのか、ほんの少しざらざらしている。

 何度も何度も飽きることなく繰り返す。時々、か細い声で名を呼びながら。けれど、いっこうに目の開く気配はない。頬から唇へ指先を滑らせる。唇は乾いてひび割れかけていた。

 身をかがめ、顔を近づける。

 瞼や頬に雫がはじける。けれど、反応はない。

 そっと唇を近づけ、束の間重ねる。

 瞼は動かない。

 頬に頬で触れて、耳元に囁く。


「私のために戻ってきてください――」


 そして、想いを打ち明けた。




 青蘭は部屋から出ると、廊下では蓮霞と一人の青年が待っていた。少し離れて侍女たちが控えている。

 青年は昨日、青蘭を抱きとめたあの人物だった。

 青蘭と同じく、服喪を表す衣に身を包んでいる。東葉王の喪に服しているのか、それとも彼自身にも何かあったのか。

 

「私はしん家当主袁柳えんりゅうと申します。昨日は大変失礼いたしました」

「いえ、かまいません。昨日はお互いにそれどころではありませんでしたから」


 落ち着いた様子で穏やかに応じると、袁柳は恭しく一礼した。

 昨日、一瞬にして青蘭を狼狽から引き戻した底知れない静かな眼差しは同じだった。端正というほどでもないが、有力貴族の若き当主らしい品格ある風貌の持ち主で、穏やかというよりは怜悧な印象を人に与える。

 試されている、と青蘭は悟った。

 やむを得なかったとはいえ、若い男女が二人きりでしばらく道行きを共にしていたのだ。それを勘ぐるなという方が無理だろう。元々婚約していたとはいえ、青蘭はその道中に彼を夫とすることを改めて決心した。そんな彼女が女王として王権を奪還するために故国に舞い戻ってきたのだ。

 それが敵国王子にほだされた挙句唆されてのものなのか、それとも本人の意志に基づくものなのか、そしてそれに賭けるだけの器があるのか。

 青蘭を迎え入れるということは、岑家の命運を彼女に委ねることになる。それだけの価値があるかどうかを判断するのは、当主として当然のことだ。

 正統な王女だからというだけで考えなしに担ぎあげられてしまうよりは、値踏みの末に支持された方が確実に勝利を掴むことができるはずだ。

 ましてや今、碧柊はいつ目が覚めるとも知れない。青蘭は一人、自分の意志で行動を示さなければならない。

 もし、彼が無事であれば青蘭は頼りきってしまっただろう。こうして独り立ちを余儀なくされたことは、青蘭にとってはむしろ良かったのかもしれない。

 もう、誰かに頼りきりになるのはやめようと決意していた。碧柊に守ってもらうのではなく、彼と支え合っていくためには、まず青蘭が一人で立てなければならない。

 青蘭は被布を外した。自分の目でしっかり見定めなければならない。


「では袁柳殿、まずは現状を教えてください。それから次の手を考えましょう」


 白皙の秀麗なかんばせ)をあらわにし、青蘭は悠然と告げた。       



<続く>

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