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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第5章 峠 9

 幌をあげ荷物に凭れて後方に広がる下界を眺めていると、汪永おうえいが顔をみせた。

 荷馬車は傾斜が増してきたこともあり、さらにゆっくりと進んでいる。歩いたところで追うのは容易い。

 沈んだ様子の青蘭をどう見たのか、再び御者台に誘う。特に拒む理由もなく、青蘭はそれにのった。

 汪永は相変わらず見事な手綱さばきで馬を操る。その隣に腰かけ、頭巾の影から青蘭はぼんやりと彼の手並みを眺めていた。

 考えるべきことがあることは分かっているが、一晩考えてみても結局結論は出せそうになかった。

 思いは同じところをまわる。

 碧柊にも問われたが、これはあくまで青蘭が自分一人で結論を出さなければならないことだ。

 理由の一つで雪蘭との約束であることが、間違っているとは思わない。が、約束を守るために決心をするのでは、本末転倒だ。雪蘭の意志はそんなところにはないと分かっているし、それは青蘭も同じ思いだ。

 だが、思ってもみなかったことに変わりはない。

 雪蘭とてこんな事態まで思い至っただろうか。だが、血筋を伝えていくだけの器に過ぎない王女である青蘭に、雪蘭によってもたらされたあらゆることは先例のないことばかりだった。

 すべては雪蘭の亡き父紅桂こうけいの遺志に基づくらしい。青蘭の父に西葉王位を譲った伯父。

 見知らぬ伯父を青蘭は思う。

 彼はなにを意図して愛娘を、奥の宮の姪のもとへ送り込んだのだろうか。一時は王太子であり東宮でもあった彼が、葉の代々の王女のあり方を知らなかったはずはない。だからこそ、思うところがあったのかもしれない――おそらくは青蘭の父には考えもつけなかったようなことを。

 伯父が娘に託したものを、姪である青蘭は受け取れたのだろうか。

 だが、そもそもその彼は自ら王位を捨てたのだ。今、青蘭がしようとしていることと逆ともいえる。

 雪蘭の母は東宮につかえるはしためだったという。彼女を妻とするために、彼は王位を捨てた。それまで青蘭の母は紅桂と婚約していた。彼が去ったのち、青蘭の両親は結婚し、父が王位を継いだ。

 紅桂は王位を捨てたのだ。混乱を避けるために王都を去り、遠く離れたしん州に移った。

 だからと言って、国を見捨てたわけではなかったのだろう。だからこそ、雪蘭になにかを託した。

 伯父は王都で亡くなったと聞いている。確信はないが、おそらく兄・蒼杞そうきが絡んでいるのだろう。雪蘭にも、彼女についてきた香露こうろにも直接問うたことはない。そうだといわれるのが怖かったし、そうであったとしても決してその疑念が肯定されることのないことも悟っている。

 だが、それでもその推論は当たっているだろう。そんな強い想いがいつの頃からかあった。

 青蘭は雪蘭の敵の妹であり、彼女自身の従妹でもある。実の兄を疎ましく思い、父に親しみを抱くこともできず、ただひたすら従姉だけを姉のように慕ってきた。その想いに嘘はない。ひとつだけ真実があるとすれば、それだけだ。

 雪蘭も実の妹のように大切にしてくれた。そこに偽りのないことを青蘭は知っている。雪蘭の心を疑ったことはないが、それでも青蘭ほどに従姉妹だけがすべてでないことも知っている。

 青蘭は自分が王女でなければ誰も傍にいてくれないことを、幼いころから忘れたことはなかった。

 だからこそ雪蘭の期待に応えようと懸命だった。そんなことをせずとも、彼女の心に変わりのないことを承知していながらも、そうせずにはいられなかった。そうしなければ自分自身が安心できなかった。

 その一方で、何事につけ優れている従姉と自分を比べて、強い劣等感も感じていた。いくら努力しようと従姉にかなうわけはなく、そんな彼女は誰にも認められ愛される。引き換え、自分にそんな価値はない。けれど、そんな自分でも彼女は愛してくれる。

 矛盾した想いだが、それはごく自然に長年にわたり青蘭を支配してきた。

 同時に雪蘭の敵である兄への憎しみと、彼の妹であるという負い目も知らぬ間に積み重なり、強くなっていった。

 だが、今ここで碧柊に求められていることは、それを理由に決めることではない。それも分かっている。そしてそれはおそらく雪蘭の真意であることも。

 だからこそ、雪蘭は父の敵を一言も語らなかった。時々、言葉少なに懐かしい思い出を語るのみだった。ただそこには親しみと肉親の愛情がにじみ出ていた。それはごくごく自然な隠しようのないもので、それ故に青蘭の胸にも響き、蒼杞への憎悪をいっそう煽った。

 青蘭はそれらすべてを切り離して決めなければならない。

 今こそ、王女として、青蘭姫として自分に出来ること、すべきことを見定め、道を選び取らなければならない。


「迷っておられるようですね」

「――ええ。あなたも話は聞きましたか?」

「はい」

「私に――できるでしょうか」

「それは誰にもわかりませんよ」 


 汪永は手綱を軽く引きながら、やわらかく否定した。

 馬の歩みが遅くなる。少しずつ前の荷馬車と距離を開けるつもりらしい。


「碧柊殿にも同じことを言われました」


 そう云って、青蘭は薄く笑う。


「殿下とてご本意ではないのでしょう――姫さまにこのような重荷を背負わせてしまうような選択は」

「……そうなのでしょうね」


 この考えを切り出した時の彼の様子は、とても乗り気とはいえなかった。それでも、これしかないと分かっているのだ。


「しかし、もう殿下お一人の手に負える事態ではないことも確かです」

「そうね――一人では無理だわ」


 一人では無理。そう悟ったからこそ、彼はこの提案をしたのだ。力を貸してくれとは言わず。そういわれれば、青蘭は手を貸さざるを得ない。だからこそ、自分で考えるように仕向けてくれた。


「けれど、私でも一人では無理です」

「それは勿論そうでございます――しかし、そうではございません」

「そうね、一人では無理――二人でも難しいわ。もっと手が要る」

「お二人なら可能でしょう」


 ふたり、と青蘭は声に出さず呟く。

 頭巾の影から隣に座るずんぐりとした丸い体形の男を見る。年のころはいくつくらいなのか。さっぱり見当もつかない。


「まずは岑家の力が必要です」

「ご心配いりません――そもそもそのおつもりで殿下をここまでお連れになったのではないのですか?」

「そうでした――まさか、自分が押し出されるとは思いもしなかったけれど」


 そう云って、青蘭は苦く笑う。

 一人では無理だが、二人なら――

 すべきことがあり、力を貸してくれる人がいて、自分の力を欲してくれる人がいる。あとは成すか、成さざるか。それだけだった。

 雪蘭を想う。

 なにがあっても一番大切な人は彼女に違いない。けれど、自分は“青蘭姫”なのだ。

 成すべきことは成すべきだと、そう教えてくれたのは雪蘭だった。

 それを青蘭も正しいと思っている。




<続く>

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