第5章 峠 2
焚き火の向こうで膝を抱えて丸くなった少女は、先ほどから同じ仕草を何度となく繰り返していた。ちらりと視線を寄こしては、彼と目が合うのを恐れるようにじきに伏せてしまう。
なにか云いたいことがありそうな素振りは、昼ごろから見え隠れしていた。しかし彼女が言葉を持たないということにしてある手前、二人きりになるのを待つしかなかった。
夜警につくときは頭巾を下ろしている。はじめて会ったときは腰まで届くほどあった髪は、肩のあたりでばっさりと切り捨てられた。じきに伸びますと笑ったが、思い切ったことをするものだと少なからず驚かされた。
気丈なようでいて、そうでもない。容易く心を乱すかと思えば、怜悧な判断も示す。今にも折れてしまうのではないかと不安になるほど心もとないかと思えば、彼が秘匿している不安ごと救い上げてくれるほどのしなやかさで逆に包み込んでくれもする。惑わされるが、同時に惹きつけられる。
短くなった髪は首の後ろで束ねられているが、いくらかは白い頬に落ちかかる。見事な髪だとはじめて目にした時から思ったが、焚き火に艶を帯び、少しやつれて研ぎ澄まされた顔にかかるそれは妖しげですらあった。
街道に並んでとめられた荷車の方からはつい先ほどまで酔っぱらいの賑やかな笑い声が響き、夜の静寂を乱していた。それもやがてやむと、今度はどこからか大きな鼾が響いてくる。徐々に大きくなり、そして次第に小さくなり、また大きく響きはじめる。規則正しいそれは、ひどく間抜けだがほっとさせられる。
荷馬車がすれ違えるだけの広さをもつ街道は石を敷かれ、道端も草が掃われ十分に手入れされている。この先の峠はいくつもある峠越えの中でも最も悪路として知られている。それでもこれだけの手入れがなされているということは、密やかな交易がいかにさかんに行われているかという証左に他ならない。
西葉側はそもそも東葉との交易など認めておらず、東葉はその密貿易をむしろ推奨しているほどだ。だが、そこから上がる利潤のいくらかが王領にも落ちねば意味はない。税収が実態をどれほど反映しているかを思うと、苦笑するほかない。
道の両脇には深い森が広がる。だいぶ数は減ったとはいえ、人を襲う獣が未だに横行している。夜盗の類よりも、警戒すべきはそちらの方だった。
焚き木を足す。音を立てて焔が歪むと、少女はもはや何度目か知れない視線をよこした。わざと注視すれば、それを避けるように面を伏せる。
なにかを逡巡しているらしい。だが、それ以上のことは分からない。水を向けてやるしかないのかと思案しはじめたところを見計らったように、ようやくかすれた声が聞こえた。
ひどく緊張しているのか。ひきつった声は言葉にならない。
「――どうした?」
つとめて柔らかく問うてやっても、なかなか言葉にすることは難しいらしい。
そっと体を滑らせるようして、距離を詰める。
少女はぴくりと肩を震わせたが、逃げようとはしなかった。昨夜、足の傷を診てやったことでやや心を許してくれたのかもしれない。
今夜も傷の手当てをしたのは彼だったが、やり方を教えて欲しいと云いだしたのは彼女からだった。知っているに越したことはなく、碧柊は丁寧に説明しながら傷を洗い膏薬を塗りなおしてやった。片足を済ませると、もう一方の足は自分でやってみるように云ってやるとほっとしたような気振りをみせ、彼に複雑な思いをさせた。
昼間も戻ってみれば、どういうわけか昨日の女と仲良く肩を並べて眠っており、呆れさせられた。自分の知らないところで下手に男と親しくされるよりはましだが、性別を偽っているという意味を分かっているのかどうか。
あとで女にとって自分は弟の代わりのようだと明かし、その後もおとなしく世話をやかれるにまかしていた。
それをどういうわけか面白くない気分で見ている自分がいることにも気づいていた。
警護を担当している以上、ずっと彼女の面倒を見てやることはできない。手を出してこないのならば、これ以上安心して委ねられる手はないに違いないのだが。
「辛いなら今無理に話す必要はない」
ひどく思いつめた顔をしている。
彼女が以前からなにかしら胸の奥に秘めていることを、彼はなんとなく察していた。時折、過剰なほどに自分を責める。その理由は想像もつかない。
今、切羽詰まったような表情で逡巡に揺れているのは、それが理由なのだろうか。
きつく両手を握りしめ、唇をかみしめている。
そんな様子は痛々しく、奥底に隠している事情も気にはなるが、それ以上に優しくしてやりたくなる。
けれど、手を伸ばせば身を強張らせる。それは自分が招いた結果だが、これ以上彼女を傷つけたくはない。
どうにかしてやりたいが、どうしてやればいいのか見当もつかない。
彼の言葉に少女は力なく首を振る。赤い眼をしていた。眦が潤んでいる。
「どうしても聞かねばならぬか?」
静かな問いかけに迷いなく頷く。
覚悟を決めたような眸の光に、碧柊は小さく笑った。
「分かった。では、そなたが自分で云うんだ。いくらでも待ってやる」
そっと手をのばして頬に触れると、彼女はぴくりとわずかに肩を動かしたものの逃れようとはしなかった。
眼を合わせるのは辛いらしく、視線はさまよう。結論は出ているが、口にするにはひどく勇気を要するのか。硬い表情で唇をかみしめる。親指でその口元を押さえると、驚いたように目をあげた。目と目が合うと瞬時に耳まで赤く染まる。何とも切ない顔で目線を伏せる。そんな様子を見ているとひどく守ってやりたいような心地になるが、その衝動をなんとか堪える。
言葉を待つといったのは、他ならぬ自分だった。
抱き寄せるかわりに髪を撫でてやる。しばらく俯いてその優しい仕草に身を任せていたが、やがてゆっくりと身を引き、まっすぐに顔を上げた。
大きな瞳に焚き火の焔が映え、揺れていた。
「私が――青蘭なのです」
噛みしめすぎてうっすらと血の浮かんだ唇が、そう紡いだ。
<続く>