第4章 宿場 11
相変わらず軟禁状態は続いていたが、雪蘭は外部と遮断されているわけではない。
明柊が入城したその日のうちに、蒼杞は表向き敗退しおちていく西葉軍のあとを追って帰国した。
そういう事態の変化を、明柊は雪蘭に逐一知らせてきた。覗見の報告もそれを裏付けるものばかりで、彼に彼女を謀る気がないのか、それとも独自に情報収集をしていることを見抜かれているのか。その見極めは難しい。
明柊は花や装飾品、絵や書物とあらゆるものが贈りつけてきた。本人も日に一度は顔を出し、賛辞を並べ立てては雪蘭を閉口させる。
それから数日後、明柊は彼女を外に誘った。
最初に連れてこられた時は夜だったせいもあり、城内の様子はさほど印象に残っていない。
明柊は自ら恭しく扉を支えて、彼女が廊下へ出るのを見守った。守衛の二人も後方に控えている。
扉口までついてきた女官長に、彼は安心して任せるよう艶めいた笑顔で囁いた。彼女は少女のように頬を赤らめこそしなかったが、苦笑しつつ主に目配せを寄越した。
いい加減、彼いわく“日々求愛こそ人生”に慣れてきた雪蘭は肩をすくめる。
最初の対面で兄には恭順してみせつつ、彼には昂然と応じてみせた“青蘭姫”をお気に召したらしい。
ご機嫌うかがいに足繁く通うわりに、いくら従妹のことをほのめかしても薄く曖昧な笑みを浮かべるのみで答えてはくれない。
詳しいことは分からずとも、明柊が青蘭を知っていたというだけでも得難いものだった。
雪蘭は苓州周辺に覗見を放つよう指示を下した。もしそのあたりに青蘭がいるなら岑州を目指すかもしれない。同時に碧柊の逃亡も耳にしていたため、その力となるよう付け加える。二人が共にいることまでも一応念頭にはおいたが、事情が分からないためそれ以上手の打ちようがなかった。
雪蘭にあてがわれた部屋は最上階の一番奥まったところにあった。後宮そのものが高い塀に囲まれ、さらに四角い塔として聳えている。出入口は一ヶ所しかない。もう一つあるにはあるが、そこをくぐるのは人の世から去ったものに限られる。
中庭を囲む形で設けられた回廊は、雪蘭の居室と同じく凝った飾り窓に視界をさえぎられていた。風だけが吹き抜ける。
明柊は時折傍らを歩く雪蘭へ眼差しを送りながら、素面のくせにまるで酔っぱらいのように浮かれた様子で、調子のいいことを並べ立てる。
雪蘭はそれを風の音と同等に聞き流し、適当に受け流す。まるで気のないその様子に聞いていないのではと訝しんだ明柊が突っ込むと、的確な返答で応じる。
手強い方ですねと可愛げのなさをそれとなく指摘されても、雪蘭は嫣然と微笑むだけだった。
思いがけず強い風が吹き抜け、結いあげた髪がやや崩れる。顔に落ちかかる髪を押さえようと足を止めた雪蘭に倣い、明柊も立ち止まる。乱れた艶やかな黒髪は濡れたような光沢を帯びる。彼がそれをそっと指先ですくい上げると、びくりとはじめて彼女は明らかな反応をみせた。
「見事な髪だ。触れると真に極上の絹糸のようだ」
「――これより上等な絹糸をご存知でしょう」
まるで双子の如き従姉妹たちだが、その髪質だけを比較すれば青蘭の方が濡れたようにしっとりとしている。
「俺はこちらのほうが好みですよ」
雪蘭が引き合いに出した、もう一つの“絹糸”を知っていることを隠そうともしない。
真意をはかりかねて、雪蘭は一歩退こうとする。しかし、明柊はその髪を放さず、逆に一房に口づける。雪蘭はそれを無感動な目で見つめる。
「――やはりこれしきのことで動じたりなさいませんね」
「そのような可愛げは持ち合わせておりません」
淡々と言い切れば、彼は愉快そうに瞳を揺らしてその手を放した。
「同じ蘭の花でもまるっきり逆でいらっしゃるらしい」
「蘭は多彩な花ですから」
「そうですね――あなたは凛とした雪のような蘭を思わせる。もう一つの花は可憐で小さな愛らしい青き蘭――まるであなた方は正反対だ」
囁く声は嘆じるようでいて、まるでなにもかも見とおしたようにからかうような響きをも含んでいる。
雪蘭は小首をかしげてさも愛らしい仕草で微笑む。
「名が体を表すとは限りませんわ」
「それならそれで一興――楽しみの幅が広がるというもの」
明柊は艶やかに微笑すると、そっと雪蘭の手を取った。
「では翠華の城をご案内いたしましょう」
後宮と外をつなぐ唯一の扉はすぐ目の前にあった。
雪蘭は彼の手を振りほどこうとはしなかったが、握り返すこともなかった。
新たな後宮の主を前に、衛兵が引きさがり膝をつく。
その扉に手をかけつつ、明柊は振り返った。
「西葉の後宮はどのような様子ですか?」
問いかけの真意を読めぬまま、雪蘭は言葉を額面どおりに受け取る。
「後宮に西も東もありませぬわ」
事務的に応じれば、彼は何故かわずかに苦笑した。
「目的は同じ故、そうかもしれませんね」
その口ぶりに、珍しく感情がにじむ。ただ、それがどのようなものか読み取れず、雪蘭はまっすぐに苓公を見上げる。
まるで星明かりのない夜の底のような眸に、明柊はそっと息をつく。
碧柊と明柊も父母共に兄弟姉妹という血の近さ故に似通った顔立ちをしていながら、持前の気性故にまとう空気はまったく異なる。
ましてや双子かと見誤るような二人でも、その気質によってはまったく異なる魅力を帯びる。彼の囁きに目を白黒させ、むしろ愛らしかったもう一輪の蘭に比べ、ここに咲く花は氷から研ぎだしたように冷やかに煌めいている。
「だが、俺は華を隠し部屋で密やかに愛でるつもりはありません。華は愛でられてこその華。白い蘭は咲き誇るのがふさわしい」
うやうやしくその白い手をとると、甲に口づける。
雪蘭はその手を振りほどくことはせず、ただ冷淡になんの感情も見せなかった。
<つづく>