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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第4章 宿場 8

 日が暮れてから、彼は二人の客人を迎えた。一人は無精髭を生やした青年。もう一人は夏にもかかわらず外套ですっぽりと全身を覆い、頭巾を目深にかぶった少年だった。

 小さな宿場町でも一番上等な旅籠。その中でも最上の部屋は、もっぱらその広さと清潔さに値がおかれているらしく、調度はたいしたものではない。それでも、碧柊が押さえたどちらかは床で眠らなければならない部屋よりははるかにましだ。

 簡素だが座り心地の良い椅子に、二人は黙って腰をおろした。少年の方は唖だという話だった。従者らしく主が先に腰かけるのを待ち、小さく促されてようやくその隣にかけた。 


「そちらが従者の少年ですか?」


 穏やかな物腰と善良そうな面にかすかな笑みを浮かべて問えば、青年は小さく頷く。

 昼間は警戒を解かないながらも温和な雰囲気を漂わせていた青年だが、今は心なしかとげとげしくもある。それは宿の訪ねてきたときから漂っていたため、今の状況が理由ではないのだろう。

 頭一つ半は背の低い連れの少年への気遣いのぞかせながらも、最低限しか声をかけない。その声も気のせいかこわばって聞こえた。

 さてはここへ来るまでになにかあったようだと伺い見る。

 頭巾の奥から観察するような眼差しを感じ、彼は穏やかに笑んでみせた。それに返ってくるものはなかった。


「失礼ですが、昨日共に宿へ入られたのは女性のようでしたが」


 居酒屋の片隅で彼らを見つけたとき、すでに連れの“少年”は泥酔していた。顔こそ見ていないが、その体つきは女性だとしてもまったく違和感はないようだった。だからこそ、慎重に注観察させたのだ。手配されている王太子は、少年を連れているかもしれないということだった。女性連れだとは聞いていない。


「女装させていたのだ。吾は小姓の少年連れだという話だったのでな」

「――それは賢明なことです。しかし、では何故またそれをお止めになったので?」


 この二人が連れ同士だということが分からなければ良いのだから、それはどうでもいいことでもあったのだが、何故か引っかかりを感じて彼は問う。

 青年は片眉をあげ、肩をすくめた。


「これでも剣の腕は役に立とう。女に剣を振り回させるわけにもいくまい」

「確かにそうですね」


 嘘をつくのが下手なわけではないが、しれっと誤魔化せる性分でもないのだろう。青年に関してはいささか融通のきかない堅物だという評判もある。それがこういうことかと思いながら、それよりも気になるのは連れの少年の方だった。


「ところで彼の身元は?」


 把握しておく必要はあった。なにが鍵となるかは知れない。


「吾の乳兄弟である嶄綾罧さんりょうりんの縁者だ……綾罧は吾をかばって生死も知れぬ。せめてこれだけは生き延びさせてやりたい」


 青年の乳母子めのとごさん家の長子であることは彼も知っていた。その役割が王太子の影武者でもあることも。そうであれば、彼が少年を気にかけるのも無理からぬことである。

 ようやく納得し、彼は「分かりました」と微笑む。


「では御兄弟ということで如何ですか? ええと、彼の名は?」

白罧はくりんだ」

「そのままの名ではまずいかもしれません。念のために殿下は碌罧りょくりん殿、弟御は晴罧せいりん殿でいかがですか?」 

「良かろう」


 分かったなと問いかけるような仕草を受け、少年も小さく頷く。


「では、そういうことでよろしくお願いします、碌罧殿」

「ああ」

「それではお部屋へご案内いたしましょう。今後は失礼ながらぞんざいな言葉づかいをお許し頂けましょうか?」

「ああ、構わぬ」


 先に立ちあがった彼に従い、青年も席を立つ。

 少年もその後に続くのを確かめて、扉の前で彼は足を止めた。


「碌罧殿、その言葉づかいももっと砕けた調子でお願いいたします」

「承知した――いや、そうだな」


 青年ははじめて薄い笑みを浮かべた。 

 



 二人は階下の一室に案内された。二人部屋は先ほどの主の部屋とは比べものにならないが、狭いながらも居心地は良さそうだ。板張りの床がきしむことはなく、裏庭に面した窓には硝子もはめられている。開け放した窓からは、温い夜風と灯りにつられた羽虫などが入ってくる。

 雇い主が去ると、当然ながら部屋に二人きりで残される。

 彼女は頭巾を上げることもせず、彼の後ろでじっと立ち尽くしている。

 居たたまれず、彼は手近の寝台に腰をおろした。


「便宜上だ。仕方あるまい――もう手出しはせぬ。信用せよと云うても無理かも知れぬが」


 言葉を紡げば唇がひきつれる。痛みを感じて無意識に指がふれる。それは彼の無体な振舞いに、彼女が抗った証だった。これを商人がどう見たか、それを思うと苦笑いするしかない。

 二つの寝台の間には小卓があり、その上に置かれた燭台にはすでに火が灯されていた。

 微かな風に焔が揺れると、壁に落ちる二人の影も歪む。

 苓南れいなんの砦の王太子の居室はこれよりも狭かったが、そこに二人でいることにさほど思うことはなかった。

 彼女は返事もせず、身じろぎもしない。扉の前にまるで彫像のようにいる。

 頭巾をずらしてその面を確かめたい衝動を堪え、碧柊は手にしていた外套をひとまとめにして小卓にのせる。剣帯も外して枕元に太刀ごと置くと、ごろりと横になり、彼女に背を向けた。


「――俺は先に寝る」


 食事はこの宿へ移る前に居酒屋ですませていた。とはいっても、その直前のいざこざで二人とも食事どころではなかったが。彼女に食事をとるように強くいった手前もあり、無理矢理腹を満たした。

 風が吹いたのか。火影ほかげがゆるりと揺れる。

 吹く風はぬるいが、寝苦しいほどではない。野宿が続いた身にとって、寝台での眠りは有り難いはずだった。

 だが、いっこうに眠りは訪れない。

 しばらくなんの気配もなかった。まだ立ち尽くしているのかと肩越しに確認しようか迷ったころに、ようやく床を踏む靴音が響く。

 外套を脱ぐらしい衣擦れの音がやけに響く。遠慮がちな物音がしばらく続いたあと、寝台がわずかに軋んで灯りが消された。 

 穏やかな寝息はいつまでたっても聞こえてくることはなかった。 


<つづく>

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