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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第4章 宿場 4

 ひくりとしゃくりあげると、宥めるように髪を撫でていた手が肩に置かれる。


「落ち着いたか?」


 碧柊の腕のなかで、青蘭は小さく頷いた。

 厳しい表情で少女を抱き寄せていた彼は、ようやく腕の力を緩める。渾身の力ですがりつくようにしがみつき、面を伏せていた彼女も、すすりあげながら小さく息をついた。


「……申し訳ありません」

「そうではなかろう」

「――?」


 顔をあげ、かすかに首を傾げる仕草。それに碧柊はかすかに笑う。


「胸を貸してやったのだ」

「……ありがとう、ございます?」


 小首をかしげながらの頼りなげな呟きに、もう一度その小さな頭をそっと抱き寄せる。


「それでよい――少しはすっきりしたか?」


 青蘭は広い胸に額を預けながら、泣き疲れてぼんやりした頭でもう一度頷いた。背と髪と額に感じる温もりの優しさに、気が遠くなりそうだった。


「吾らの生は他者の死の上にある――だからこそ、生き延びねばならぬ」 


 王太子の装いで、剣戟の向こうに消えた綾罧りょうりん

 香をたき、その場で崩れた女官。

 毒見役の顔ぶれがどれほど変わったか。

 運び込まれた花の棘や、仕立てられたばかりの衣装に仕込まれた針に倒れたもの、自死として片づけられたものの不審を拭いきれなかったもの。

 向けられた刃から身を呈して守ってくれたもの。

 商人の持ちこんだ商品から選んだかんざしにすら、毒が仕込まれていたこともあった。

 青蘭はきつく眼を閉じる。眼裏まなうらに甦る、いくつのも死に顔。

 そして、砦での近衛たちの奮闘。あの中からいったい何人が逃れられただろう。

 積み重なった屍の上に立っているのは、ともに同じ。

 青蘭はなんとか踏みとどまり、きつく彼の衣を握りしめ、小さく肯く。


「――はい」


 涙声で、それでもはっきりと頷けば、碧柊がそっと頬に指先を滑らせて顎を捕える。

 頬を伝う涙はまだやまない。それは悼みの涙ではなく、覚悟の涙だった。

 彼の唇がそれをすくい取る。


「見事に生き延びてみせますわ」


 頬に感じる温もりに肩をすくませながらも、青蘭はしっかりと誓う。 


「――その意気だ」


 碧柊は小さく笑いながら耳朶のそばで囁き、震える唇を指先でなぞるとそっとその額に口づけた。

 額に唇を寄せられても、青蘭はじっとしていた。頭の芯がぼんやりしていて、なにをされているのかはっきりと理解できない。

 碧柊はそっと唇をはなすと、そのついでに青蘭の胴に腕をまわし立ち上がるついでに彼女も立たせる。


「さぁ、行くぞ。宿を手配してきた故、早く戻らねばな。腹も減ったろう」


 そう言い残して、碧柊は馬をつれに行く。

 青蘭はかがんで小太刀を拾い上げ、再び裳の腰に押し込む。

 同時に空腹感を覚える。そういえば、今朝から一滴の水すら口にしていない。急に喉が渇くのと同時に、腹がその存在を訴える。

 夜の静寂しじまにあまりに分かりやすい音が響き、青蘭は顔を赤くして腹を押さえる。そうしたところでその所業はおさまらない。ままならない自分の体に困り果てていると、馬の轡とって王太子が戻ってきた。


「その調子なら大丈夫だな」

「――聞こえてましたか?」


 馬は少し離れた所につながれていたはずだ。


「腹は減れば鳴るものだ、当然だろう。恥ずかしがることではない」


 鐙に足をかけて身軽にまたがり、そのついでのように軽々と青蘭を抱きあげる。

 青蘭はそういう問題ではないということを、彼に説くべきかどうか迷った末、諦めた。それに費やす気力は残っていなかった。

 鞍に横座りにした少女が素直に体を預けてくると、碧柊は支えるように胴に腕をまわす。彼女の腰元の小太刀に気づくと、無言で受け取って剣帯にさした。

 そうして町へ向かいながら、内心ではひどくほっとしていた。

 他意はなかったとはいえ、どさくさまぎれに口づけてしまった。

 抱き寄せたまでは仕方ないとしても、それ以上の行動はそうとは云い切れない。

 そのようなつもりはなかったのに、気がつけばあのざまだ。慌てて、だが出来るだけ自然に取り繕ったおかげか、彼女は今のところ彼の行動を気にとめていないらしい。それにほっとしながらも、自重の必要性を切実に感じていた。




 森の外れから街道に出ると、ほぼ正面に町の明かりが見えた。

 とはいえ、東葉へ嫁ぐ途中に目にしたいくつもの大きな都市とは比べものにならないほど、その灯りはわずかなものだった。

 道すがら、碧柊は町で仕入れてきた情報を青蘭に説明した。

 宿が数軒と、居酒屋が1軒あるだけの小さな町だという。

 王領とれい州の境に近く、西葉への峠道へも通じている。

 居酒屋で仕入れた情報とは、青蘭が見越したように国王殺害と西葉と通じた罪で碧柊の手配が回っているということだった。


「供に少年を一人連れている可能性もあるという話だった。女連れだとは出回っていないらしい――明柊はなにを考えておるのか」


 明柊は嶄白罧さんはくりんと名乗った小姓が女性だということはもちろん、彼女が青蘭姫に仕える女官にして従妹でもあることを知っている。

 それを明らかにしないのは何故なのか。

 明柊は雪蘭のことをどこまで把握しているのか、それは分からない。

 花嫁に随行する人間のことは、事前に東葉側に通知されていた。だが、碧柊はそのなかに姫の従姉が混じっていることを知らなかった。

 碧柊は知らなかったが、明柊は知っていた。

 雪蘭が王族に連なることはその名を見れば一目瞭然だ。

 少し調べれば、雪蘭の養家が王兄紅桂こうけいの乳母の一族であることも判明するだろう。王位よりも女をとった彼が、愛娘を奴婢の階級に落としておくわけがないことも想像は容易い。だからといって、雪蘭自身にはなんの力もない。王族ではなく、養家の後継者でもない。ただの貴族の娘に過ぎない。

 ましてや現王と王位を争った紅桂の遺児であり、母は奴婢に過ぎない。ただの日陰の存在にすぎない。その彼女が握るものを、蒼杞そうきすら知らない。

 明柊は彼自身が云っていたように、素顔をさらすことのない青蘭姫への好奇心だけで雪蘭に興味を抱いたのだろうか。

 それとも何処からか、この従姉妹たちが実の姉妹のように仲睦まじいことを知り、何かの役に立つと考えたのかもしれない。雪蘭と親しくなれば、行く行くは王妃となる青蘭に近づくことも容易くなる。

 彼ならば有り得そうなことだ。反面、碧柊ではそういうことは考え難い。

 碧柊は切れ者という評判を裏付ける雰囲気をまとってはいるが、その実、嫡出という生まれのためか詰めの甘い印象を青蘭は抱いていた。


「色々とお考えなのでしょう」


 それ以外に言いようがなかった。彼がなにも考えていないはずはない。明言できるのはそれだけだ。


「その供が少年を装った少女かもしれないと付け加えれば、それだけで片はつこうにな――あれはなぶるくせにとことん追い詰めることはしない。どこかに逃げ口を用意しておくのだ」


 淡々と語る口ぶりに、滲むいろがある。それが明るいものなのか暗いものなのか、青蘭には判断できなかった。


「だから、最後までお疑いになれなかったのですか?」

「……そうやもしれぬ」


 砦での二人のやりとりから察すれば、幼い頃から少なからず交流があったことはわかる。明柊の口ぶりではいたって子供らしい無邪気な時期もあったようだが、いつまでもそういうわけにはいかなかったのだろう。

 二人の間には玉座があり、それぞれに抱える桎梏やしがらみがある。 

 西葉とて似たような事情だが、分かりやすく妹の命を狙った兄の態度は、ある意味ではありがたかったのかもしれない。青蘭の兄への想いに揺らぐ余地はない。

 気欝な沈黙のまましばらく馬を進めると、町の入口の前で火が焚かれているのが目に入った。


「この先、顔を上げるな。宿につくまで声も潜めておれ」

「なにが……」


 乱暴に後頭部を押さえこまれる。

 抗おうとすると、厳しく静かな声がそれを封じた。


「兵が見張っておる。注意を引くようなまねはするな」


 びくりと肩を震わせ、青蘭はそっと前方を見る。少しずつ近づいてくる町は、低い石壁に周囲をぐるりと囲まれているようだった。その入り口である門は開かれ、その前で篝火が焚かれ――その灯りを受けて曝されている影は吊るされた人間のようだった。


「!?」


 青蘭はとっさにそれがなにか分からず、碧柊を見上げた。王太子の表情はほとんど見えないが、そこに答えはあった。


「捕えられた近衛の者だ。縛り首にされ、曝されておる。見せしめだ」


 近衛には入れるのは最低でも下級貴族からと身分は固定されている。貴族にとって、一番屈辱的な処刑方法が絞首刑だった。

 武人を基本とする彼等に処刑はない。死を言いつけられた場合は、己の愛用する太刀で自死する決まりだ。それは男に限られたことではなく、女であっても作法は同じ。

 絞首刑はよほどの大罪を犯さなければ行われず、事実上その例は数えるほどしかない。

 青蘭は口を押さえて顔をそむけた。


「――誰なのですか?」

「そなたは知らぬだろう」


 淡々とした口ぶりで応じながら、碧柊は青蘭の腰に腕をまわして抱き寄せる。凭れかからせて、眠っているふりをしろと耳打ちした。

 青蘭は唇を噛みしめつつ小さく肯き、ぎゅっと彼の胴衣の裾を握った。

 碧柊は強い力でその体を抱き寄せ、震える青蘭の手を包むように手を重ねた。


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