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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第2章 砦 14

 結局、青蘭には袖のない鎖帷子が渡された。

 鎧を着てみたものの、立てはするが走るのも難しいような状態で「体のいい鴨だな」という王太子の一言で片付けられてしまった。

 鎖帷子も袖があると、せっかくの敏捷性が損なわれてしまう。消去法で袖無しとなった。

 王太子に従っている以上、陣頭に立つ可能性は低い。刃より流れ矢の危険性の方が高いだろうというのが彼の意見でもあった。

 状況はかなり不利なため、陣が崩れていっせい潰走の可能性もある。彼は逃げやすいのが一番だと笑ったが、青蘭には笑えなかった。

 胴着の上に鎖帷子を着込むと、鎧よりはましとはいえずしりと重く、肩に食い込む。試しに抜刀してみたが、やはり動きにくかった。


「いたずらに太刀を抜くでないぞ。たいした腕前でもないのだ、そんなものを振り回す暇があったら、ともかく逃げろ」


 水をさされてややむっとしたが、彼の言うとおりだった。


「逃げるが勝ちとも申しますしね」


 意趣がえしの皮肉のつもりだったが、彼は大真面目に頷き、偉いぞと誉めるように青蘭の頭を撫でた。

 肩透かしを食らったようで、青蘭は気が抜けた。


「刃を抜けば相手と同等に己の命も危険にさらすことになろう。生きのびるには逃げるのが一番確実だ。逃げられず戦わなければならぬ状況は徹底的に回避すべきだ」


 諭すように言い含められて、青蘭はそこに状況の厳しさをひしひしと感じた。

 実際に彼は何度も戦場に立ってきたのだ――西葉やもう一方の隣国との戦で。死ぬわけにいかない立場は青蘭だけではない。

 ましてや東葉王が崩じた今、碧柊の生存は絶対だ。明柊に王座は渡せないと断じた根拠はなんだったのか。彼がただ玉座に固執しているためだけではないように、青蘭には思われる。

 考え込んでいるのもお構いなしに、次は馬のそばにつれていかれる。

 一人で乗るのはまだ無理だが、少しは慣れておけということだった。

 しかしこのような時に青蘭にばかりかかずらわっていて大丈夫なのかと問えば、王太子は指示を出すだけだからかまわぬという。ましてや青蘭が西葉内に影響力を持つと分かった以上、非常時に備えて傍から放さないほうが得策だとも付け加える。身も蓋もない言いざまに呆れつつも、それこそが彼の長所だとも思う。やり方としては賢いものではないが、信じようと決められた理由はおそらくそういう部分だ。


「なにが気にかかっておられるのですか?」


 問えば、ささいなことだと笑う。ささいなことなのにこれほど警戒するのかと重ねて訊けば、それがたちまち命にかかわることもあると返され、逆に己の不明を恥じることになった。

 気性の穏やかな馬だからと、とりあえずあぶみに脚をかけまたがる段階からはじまる。

 誰もがやすやすとまたがっていたため、初心者にはそれすら難しいとは思いもしなかった青蘭はしばらくそれだけに専心することにした。

 そこへ近衛がやってきた。王太子に用件があったらしく、しばらく青蘭は一人になった。

 孤軍奮闘していたが、あと少しのところで馬が身じろぎし、姿勢が崩れた。落馬する、と歯を食いしばったが、途中で抱きとめられた。


「ありがとうございます」


 てっきり王太子だと思って油断していた。


「君に一人でこんなことをさせるなんて、あいつは冷たいやつだね。君にはてっきり大甘なのかと思っていたけど。それとも愛の鞭かな? 馬に乗れなくては、小姓は勤まらないからね。かわりに私がてとりあしとりで教えてあげよう。私は優しいからそんなにかたくならずともいいんだよ」


 耳元で熱っぽく囁かれ、それが誰か悟った青蘭はおののいた。よりにもよって二人きりだとは。

 彼女を抱きとめた明柊はそっとおろしてくれたが、放してはくれなかった。背後からすっぽりと抱きすくめられ、逃れようもない。


「で、殿下、おはなしください」

「そんなに怯えなくていいんだよ。とって食うわけじゃない」

「信用できません」

「それはあいつがそう言ったからだろう? 何故あいつの言うことなら信じられるのに、俺のことは信じられないの? 悲しいな」


 切なげに嘆かれても同情できるはすがない。じたばたとあがいてみたが、拘束はゆるがない。


「王太子殿下を信頼すると決めたからです」

「根拠は?」

「ああいう方だからです」 


 それが理由になるかどうかは別として、いやに自信をもって断言してしまった。明柊は青蘭の耳元で、溜め息ともなんともつかない吐息をもらした。それから笑いだす。


「間違ってはいないと思いますが」


 笑われるのも分からないでもないが、実際に笑われるとばつが悪くなる。


「いや、これ以上はない正論だ。あまりに的を射すぎていてね、失礼、気を悪くしたかな? しかし、君は本当に碧柊が好きなんだね」


 くすくすと笑われ続けて、青蘭は段々頬があつくなってくる。それが何故か判らないにも関わらず、次第に動転してくる。それを誤魔化すように青蘭は反論に出た。


「れ、苓公殿下もそうではありませぬか」

「……確かにね。ああ、そうなると君は同志にして恋敵ということになるのだな。俺は君をめぐって碧柊と恋敵でもいいよ、それも魅惑的な選択だ。実に悩ましいところだ」

「好きになさってください」


 馬鹿馬鹿しくなって青蘭は投げ遣りになる。

 雪蘭だということは確実にばれているのだろうが、要はその正体が青蘭だと知られなければいいのだ。王族でもなく女官にすぎない姫の従姉が、態勢を左右するはずがない。王太子の従兄である明柊に、雪蘭であることまで隠す必要もないかもしれない。


「おっと、君の主人が戻ってきたよ。あれは怒り心頭だね。凛々しくて惚れ惚れするよ。彼は君に執心なようだね、俺を睨み殺さんばかりだ」

「苓公殿下が逆撫でばかりなさるからではありませんか?」


 厭味まじりに返せば、明柊は深々と溜息をつく。


「好きな子苛めは俺のさがだからね、愛が深ければ深いほどね」

「屈折しておられますね」

「愛の在り方は人それぞれだからね。愛の求道者の道程は辛く険しいものなのだよ」

「はぁ……」

「あきれてるね?」

「有体に申し上げれば」


 ついつい彼の調子に巻き込まれてあっさり肯定すると、明柊はくくっと喉の奥で笑った。


「気に入ったよ。碧柊は君に譲ってあげよう。頼んだよ」


 そしてやっと解放してくれた。青蘭は彼の手の届かないところまで逃れる。


「返答は?」

「よくおつかえいたします」


 よく分からないまま口答すると、彼は少し不服そうだったが、すぐそこまで険しい形相の王太子が迫っていたせいか肩をすくめて諦めたようだった。


「かわりに姫への伝言を聞いておきましょうか?」

「?」

「青蘭姫への伝言だよ。この軍の主力は苓家だからね。俺の指揮下にある。君より先に姫にお目にかかるだろう」

「ではじきに参りますと」

「承った――すぐに会えるかどうかは分からないがね」

「殿下?」


 青蘭はさらに問おうとしたが、先に氷のような冷ややかな声が降ってきてしまった。


「明柊」


 言葉と同時に青蘭は手を捕まれ、強引に碧柊の背後に押しやられてしまった。それでも碧柊は手を離してくれない。


「ずいぶんと暇を持て余しているようにみえるが」

「まさか。愛しい我が君に用があったからこそ、小姓殿とお待ち申し上げていたんだよ」

「で、その用件とは?」

「出陣の用意は整った」


 まるで舞踏会のはじまりを告げるように、明柊は艶やかに告げた。


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