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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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後日譚 幾重の時(碧柊と綾罧)

 長い回廊を、彼は感慨深そうな面持ちで歩いていた。

 到着後すぐに、長旅の汚れを落とすよう指示された。

 用意されていたやわらかな湯は、疲れを癒す薬湯だった。

 体のあちこちにあった傷はふさがったが、完全に回復したわけではない。後遺症が残った上に体力の落ちた身には、楽な道中ではなかった。

 風呂上がりにも薬湯で割った酒が供され、誂えられた衣も肌ざわりはやわらかく、軽く暖かいものだった。略装に気がつけば、問いかける前に女官が応じた。


「あくまで非公式なものですから、これをというご配慮です。一晩ゆっくりお休みいただくべきところを、無理をさせるのだからとの仰せでした」


 彼の主人は、今回の訪問についても無理をせずとも良いと、何度となく念を押してくれたのだか、いざ到着してみればその日のうちに顔を見せろと伝えてきた。それは彼にとっても願ってもないことだったのだが、こうして気遣いを感じると面映ゆくもある。情に流されやすい一面は相変わらずらしい。

 確かに正装は今の彼の体には堪える上に、疲労も増す。略装の許しはありがたかった。

 それと同時に、短期間のうちに彼らの関係が、以前ほど気軽なものではなくなってしまったことも痛感する。

 内乱に次ぐ建国にも相当する制度の一新で、彼は主人のそばに侍る資格をもつ役職を失ってしまった。

 改めて側近として遇されることは決まっているが、それは以前と同じにということではない。彼の主人の身分ももとのままではない。国の統一は両国の優れた人材の集結であり、女王の周囲にはこれまで名の知られることのなかった顔触れも散見する。

 小姓の手を借りて支度を終えると、控えていた女官が先導にたつ。彼女は女王夫妻の身辺に仕えているらしい。

 これまで女官は私的な生活の場を支えるもので、公に姿をあらわすことはなかった。東西どちらにおいても、王城におけるその線引きは厳密なものだったが、内乱で城でも多くの人材が失われ、どの部署も人手不足に悩まされている。

 これまでその存在を後宮に隠されてきた女王が、往古のように表舞台に立つこととなったため、彼女に仕える女官も公の場に姿をみせるようになったらしい。

 彼女もそんな変化の一端なのだろう。旧習にこだわり顔をしかめる老臣はほとんど粛正されてしまったこともあり、古いしきたりより合理性が優先されつつある。

 王城以外の場、王統家ですら女性も公的な場所に姿をみせる。やがては王城でもそれが当然となるのかもしれない。

 彼が西葉の王都を訪ねるのははじめてではない。

 戦勝国の将の一人として来たことが何度かある。しかしこうして城の奥深く、私的な空間を歩くのははじめてだった。無残な廃墟となった東葉の王城とは異なり、精練された美を誇る西葉王宮は彼の目を奪う。

 長い年月にわたり、改築と増築を繰り返されてきた王宮内部は複雑極まりない。女官は迷うことなく彼を主人のもとまで案内した。




 そこは私的な居住空間であるが、奥の宮ではなかった。

 代々の王が使用してきた空間を、女王夫妻も住まいとしている。非公式の私的な客はこちらに案内されるものらしい。警備は厳重だがものものしさはない。近衛たちの間を忙しそうに行き来する女官たちの姿が、その空気を和らげている。

 二人の近衛が扉の前に立っていた。女官の姿を確認すると、彼らは一礼し扉を開いた。

 通されたのは日当たりの良さそうな南向きの部屋だった。すでに夕暮れが迫っているため、窓の向こうは薄暗い。

 豪華さよりも居心地の良さがより強く感じられる部屋だった。中央に置かれた円卓と椅子には二人の姿があり、立ち上がった方が彼の主人であり兄弟同然でもある人物だった。

 彼は浅く一礼する。主は足早に歩み寄ると、そんな彼を軽く抱擁した。


「真に無事だったのだな」


 その声には万感の想いがこめられている。あまり感情をあらわにすることのない主だか、共に育った彼には手に取るように伝わってくる。


「はい、再びお目にかかることがかないました」

「疲れておるだろうに無理をさせてすまぬな。どうしても早くそなたの顔を見たいとおっしゃられてな」

「あら、人のせいになさるのですか」


 気がつけば傍らには華やかな姿があった。春を想わせるやわらかな色合いの衣を重ね、横の髪を小分けにして飾りを編みこんでいる。後ろの髪は長いままに背へと流されているが、通常の女性の髪としては明らかに短い。それで彼女が誰なのか、彼には一目で分かった。

 彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべて、二人を見つめていた。

 目があったとたん、彼は慌てて膝をつこうとした。それを二人が止める。


「そのようなことは不要です」


 いったん曲げかけた膝を、そのままの角度で保持することは今の彼には難しいことだった。そのまま前のめりに崩れそうなった体を、主が両腕で支える。その手を借りてなんとか立ち上がり、あらためて二人に頭を垂れた。


「不調法いたしました。申し訳ありません」

「無理をいたすな。そなたの状態は吾らも承知しておる。なによりそなたがその傷を負った責めは吾にある」

「なにを仰られます」

「はいはい、そこまでになさって」


 二人の間に割って入ったのは、女王その人だった。

 まだお互いに言い足りなさそうな二人を、円卓へ導いて椅子にかけるように促した。

 彼は恐縮しながらその言葉に従った。


「あなたに会うのを、今日にするか明日にするか、間際まで迷っておられたのは碧柊殿です。結局なんだかんだと今日中に会うための理由を並べたてられて、挙句に私のせいにしようとなさるのですから」


 女王はいかにも呆れたように溜息をついてみせる。

 これまでの経緯を暴かれてしまった夫の方は、なんともばつの悪そうな様子でいる。

 彼は思わず小さく笑ってしまった。

 以前、彼が彼女に会ったのは、半年以上前のことになる。そのとき彼女は身分を偽っていた。いかにも世慣れぬ様子で、しかも男装させられた上に主に振り回されていた記憶はまだ新しい。

 そんな彼女もいまや主と夫婦となり、ぎこちない乳兄弟の再会の不自然さを和らげようとしてくれている。それを思うと感慨は深まるばかりだった。


「お二人の睦まじいお噂はかねがね耳にいたしておりましたが、まさか尻に敷かれていらっしゃるとは思いませんでした」

「――綾罧りょうりん、口だけは相変わらず達者なようだな」


 女王の夫は不愉快そうに腕を組み、彼を見据えている。

 彼の主であり、乳兄弟であり、かつての東葉王太子でもあった碧柊へきしゅうは、今は青蘭せいらん女王の夫として彼の目の前にいた。


「じきに体の方もそうなります」


 碧柊の恨みごとに軽口で返し、綾罧はようやく以前のように笑うことができた。

 綾罧の方が季節を一つ先にして生まれた。それからあの争乱が起きるまで、彼は碧柊とは兄弟のように育ち、これほど長く離れていたことはない。表立っては主従の体面を守りながらも、信頼関係や絆は深い。人目がなければ、気安く口をきいていたものだった。

 それがこの半年ほどの間にすべてが大きく変貌し、碧柊と綾罧の立場も変わってしまった。だが、その絆までがそうなってしまったわけではなかったらしい。

 綾罧の前で、青蘭は女王である前に碧柊の妻としてふるまっている。それもまたその証左なのだろう。


「その様子なら心配するだけ無駄だったようだな」


 碧柊も苦笑しつつ、安堵したようすものぞかせる。


「はい、おかげさまで」


 綾罧も大げさにありがたそうな顔をしてみせる。

 青蘭は小さく笑っていたが、じきに立ち上がった。


「あなたのその様子を見て私も安心しました。あとはお二人で」


 積もる話もあるでしょう、と言外に付け足して、彼女は踵を返す。

 なにを思ったか、碧柊がそのあとを追い、肩に手を置かれて驚いたようすの妻の頬にさっと顔を寄せた。とたんに白く秀麗な横顔が朱に染まる。青蘭は反射的に綾罧を気にしてか視線を泳がせたが、じきに抗議するように碧柊を睨みつける。

 小声での応酬がなされたのち、怒りのおさまらない様子で青蘭は部屋を出ていった。

 戻ってきた碧柊は、まんざらでもない様子でいる。

 綾罧は呆れたように声をかけた。


「いったい何をなさったのです」

「なに、挨拶のようなものだ」


 いっこうに妻の怒りがこたえているようすはない。


「陛下はお怒りのようでしたが」

「仲が悪いと噂されるよりは良かろう――それでなくても色々と行き違いもあってな、苦労したのだ」


 もとの椅子に腰を落ちつけると、碧柊はそういってかすかに苦笑した。


「――あれから、ですか?」

「そう、あれからだ」


 碧柊は一瞬視線を落としたが、じきにまっすぐに綾罧をみる。彼もそれに応じるように微苦笑した。


「よく助かってくれた」

「――助かったのかどうか」


 綾罧は小さく首をかしげた。

 碧柊はその返答を予想していたように、小さく息をつき、肩をおとした。


「……やはり、明柊か」

「はい」 


 綾罧は言葉少なに経緯を語った。あの砦で碧柊たちを見送ったのち、綾罧は結局苓家の兵に捕らえられてしまった。その時点ですでに深手を負っており、意識朦朧だった。碧柊かとあえて苦労して生かさず殺さずで捕らえてみれば、乳兄弟の方だった。しかも半死半生で肝心の王太子の行く先を糾すこともできない。

 いっそ殺してしまえとの意見を、明柊はそれでは面白くないと容れなかった。そのまま砦の外に綾罧を放置し、去ったのだという。去りぎわにこう囁いて。

「せいぜいあがいて俺を楽しまれてくれ」と。

 綾罧も明柊とは幼い頃から面識がある。年下の幼い碧柊を共に遊ぼうといって池の畔までおびき寄せた。碧柊は案の定足を滑らせ溺れるはめにあった。助けたのは乳母たち側近だった。

 濡れ鼠になり肩で息をする碧柊に、明柊は「だから危ないから近づくなといわれてたんだよ」と笑ったのだ。溺れる碧柊を助けようとはしなかった。

 幼心にぞっとしたものだが、碧柊はなぜか明柊になついていた。長じるにつれ次第に意地悪くからかいからんでくる明柊を避け、表向きは嫌うようになったが、根本的なところではどうだったのだろうか。

 戦にあたって、碧柊は従兄の策を採用し、共によく戦っていた。戦場における信頼に偽りはなく、時に衝突することもあった。たいていは明柊が従弟の甘さを指摘し、された方も納得しながらも抗弁していた。傍で聞く者にはどちらも正論であり、つまりは考え方が異なりすぎていた。


「……あれは大人の目のないところで吾に無茶をさせることはなかった」


 同じようなことを思っていたのか、碧柊はぽつりとつぶやいた。


「あいかわらず苓公には好意的でいらっしゃる」

「少々の怪我や火傷で子供は死なぬ」

「あのかたのやり方を少々とは、いいかねます」


 綾罧の言葉に碧柊はただ苦笑する。乳兄弟の意見を否定もしないが、おのれの見解をあらためる気もないのだろう。何度も繰り返された問答でもある。


「どちらにせよ、事態に変わりはありません」

「わかっておる。あれが捕らえられればわれが処断する」

「本気でそのようにはお考えではないでしょうに」

「あれがたやすく捕まるような玉か」


 うんざりしたような口振りに、綾罧は思わず笑った。


「でしょうな」


 碧柊もそれにつられるように声もなく笑っていたが、やがてそれをおさめて呟いた。


「これからが本番だ、頼むぞ」

「もちろんです」


 綾罧は即答し、うやうやしく頭を垂れた。



<了>

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