後日譚 徒花のしずく(紅蘭)
救いのない後味の悪いお話です。事前にご了承ください。
私がお仕えした姫さまの御名は、葉紅蘭さま。葉王家直系の姫さまです。
お母上は先代女王葉青蓮さまの同母妹であられた、紅蓮さまです。
お父上も王族であり、お従姉にあたられる青蘭さまに次ぐ王位継承権をお持ちでした。
青蓮さまと紅蓮さまは姉妹そろって生来お体が弱く、姫君をご出産されると間もなくご逝去なさいました。
特に青蓮さまは第一子である男御子をご出産なさったあと、ひどく健康をそこなわれ、床に伏せておられることが多くなられたそうです。その状況が一年ほど続いた末に、第二子をご懐妊なされました。
ご出産までお命が保たないのではないかと周囲のものたちは心配しましたが、辛うじて無事に姫君がお生れになりました。
青蓮さまはその日のうちに息を引き取られたそうです。まるで今生の役目を果たし終えられたかのように。
紅蓮さまも同じような運命をたどられました。
ご懐妊を機に床につかれることが多くなり、紅蘭さまをご出産なされたのちは、枕から頭をあげることさえ難しいほどの衰弱ぶりでした。そしてほどなくして、お姉君のあとを追うように儚くなられました。
享年十八。まだ咲き初めの花のような乙女であられました。
「女神の血脈は、その親の血と肉と命をくらってはびこるのだな」
妻の死を看取ったのち、うまれたばかりあどけない娘の寝顔をみて、禍言を呟いたのは青蓮さまの背の君、翠桂さまだったそうです。
翠桂さまは兄君にあたる紅桂さまが王太子の地位を自ら退かれたため、急遽王太子となられました。
もともと青蓮さまは紅桂さまとご婚約なさっておられたのですが、紅桂さまの廃太子にともない、弟の翠桂さまとご結婚なさったのです。
そのような経緯にもかかわらず、お二人の仲睦まじさは王城では有名でした。
翠桂さまは、その後二度と青蓮さまの忘れ形見である青蘭さまのお顔を見ようとはなさらなかったそうです。
もともと青蓮さま以外の女性を身近にお寄せになられなかった翠桂さまは、後宮に足をお運びなさらなかったそうです。
前置きが長くなってしまいました。
葉王家直系の王女は、王城でお育ちになるのがしきたりです。紅蘭さまも父上とは離れて後宮の一角でお暮らしでした。
青蓮さまと紅蓮さま亡き後の後宮の主は青蘭さまでしたが、父上から見捨てられたような形の姫君は軽く見られがちでした。
それに引き換え、紅蘭さまはお父上から大切にされておられましたが、たとえ父親であってもそう度々後宮を訪れることは許されません。
お母上を早くに亡くされ、お父上とも頻繁にお会いすることもかなわず。紅蘭さまも親子の縁は薄かったと言えましょう。
私はもともと紅蓮さまにお仕えする女官でした。紅蓮さまが亡くなられたのちは、そのまま紅蘭さまのお世話をさせていただくこととなりました。
お仕えする身でこのようなことを申し上げるのは無礼なことかもしれませぬが、紅蘭さまは赤子の頃からたいそうお美しい姫さまでいらっしゃいました。
今やご即位なさった青蘭さまこそが当代一の美女という評判ですが、紅蘭さまも決して引けをとられぬはずです。
透けるように滑らかな白い肌は瑞々しく、たっぷりと背を覆う髪は漆黒でまるで濡れたような艶を保っておられます。くっきりとした二重の目元は涼しく、やや物憂げでもありますが、烏玉の瞳は底知れぬほど透徹です。お顔立ちやお容貌は、神殿を飾る遠つ御祖でもある女神の像に生き写しです。まるで古くからあるはずのご神像が、紅蘭さまのお姿を写し取ったようですらありました。
王家直系の姫君は、容易く縁づくことはできません。その高貴なお血筋に見合うお相手があれば幸い。その生涯を独身でお過ごしになることも珍しくありませんでした。
紅蘭さまには、青蘭さまの兄上にあたられる蒼杞さまというふさわしいお相手がいらっしゃいました。
それを幸いと言うべきかどうか。
本来はこのような身の私が申し上げるべきことではありませんが、紅蘭さまにとっては幸いとは言い難いことでした。
紅蘭さまと蒼杞さまのご縁組みはごく自然なものでありました。むしろ、青蘭さまと釣り合う王族のいらっしゃらないことが問題となっておりました。
当然のようにしてご夫婦となられたお二人ですが、少なくとも紅蘭さまにとっては幸せなご結婚ではありませんでした。
その初夜からして無残なものでした。
もともと口数の少ない内気で物静かな姫さまでしたが、蒼杞さまを背の君となさってからは、表情というものをいっさい失っておしまいになり、やがては生ける屍のようになってしまわれました。
蒼杞さまの周辺には怪異な噂が常に付きまとっておりました。
紅蘭さまのお命があっただけ幸いだったというべきなのかもしれません。
青蘭さまと同母兄妹であられた蒼杞さまは、まさしく麗しい若君でいらっしゃいました。目を奪われぬ者はなく、女たちはただただ溜息をつくしかないほどの男ぶりでした。
そのような蒼杞さまにとって、紅蘭さまの常ならぬ美貌も取るに足りぬものだったのかもしれませぬ。
毎夜のようにおとないがありましたが、紅蘭さまのご懐妊が明らかとなるとその足はぴたりと絶えてしまいました。
月満ちて、紅蘭さまは姫君をお産みになられました。
その報せに蒼杞さまはお喜びになられたそうですが、ただの一度もわが子の顔を見ようとはなさいませんでした。
ご出産ののちも、蒼杞さまが紅蘭さまのご寝所に足を運ばれることはありませんでした。
そのことに紅蘭さまにお仕えする者たちは皆、胸をなでおろすような次第でございました
それからほどなくして蒼杞さまは王権を狙って東西の葉を巻き込む争乱を企てになったものの、結局は妹である青蘭さまを奉戴する勢力に破れました。囚われの身となった蒼杞さまは、父である翠桂さまを害した尊属殺人と国を裏切った罪で、処刑されてしまわれました。
紅蘭さまは罪人の妻という立場に立たされてしまわれましたが、罪に問われることはありませんでした。そばにお仕えするものたちは、完全に蒼杞さまと縁が切れたことに安堵するばかりでした。
問題となったのは、お二人の間にお生まれになった姫さまの処遇です。
青蘭さまが王女をお産みになるまでは、次の世代の王位継承権を持つのは紅蘭さま所生の姫さまとなります。しかし、その父君は罪人である蒼杞さま。それでも直系の血筋であることに重きが置かれるのです。
けれど、その問題も間もなく青蘭さまが姫君をお産みになられたことで解決となりました。青蘭さまはその後も次々と姫さまをご出産なされ、王位継承にまつわる懸念は解消されることとなりました。
それでもなお、紅蘭さまとそのご息女である姫さまが王位に近いことに変わりはありませんでした。
罪を問われることがなかったからこそ、そのお立場は微妙なものとなり、ついには母娘ともども聖地に隠棲という形での幽閉ということになりました。
いよいよ王城をあとにするという前夜、その事件は起こったのでございます。
深更の頃でございました。
いつもはお子様と寝所を別になさっておられる紅蘭さまでしたが、その夜は珍しく枕を並べておられました。
いつものようにそおっと女官がお休みのご様子をうかがいに参ったところ、紅蘭さまはまだご起床でした。その傍らで幼い姫さまは熟睡なさっておられるようでしたが、実はすでにこと切れておられたのでした。
手を下したのは紅蘭さまでした。自らその罪をお認めになられたのです。
幼い姫さまは愛らしく、母君ゆずりの美貌のお美しい方でした。紅蘭さまにお仕えする女官たちは皆、その母君と同等に幼い姫さまを溺愛しておりました。
紅蘭さまの早まった仕儀を、女官たちは口々に嘆きました。
紅蘭さまはただ静かにこう仰せられたのみでした。
「誰がただ純粋にこの子を愛してくれるというのです。損得抜きでこの子を愛してくれるものがあるというのですか。この子にはただ、駒という以上の価値はないのです」
ご出産ののち、紅蘭さまがそのお腹を痛めたお子様を腕にお抱きになったのはただ一度、その稚いお命をその手におかけになったその時のみでございました。
<了>