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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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終章 22

 青蘭の登場で、蒼杞そうき方の西葉王家軍は戦意を喪失していった。投降するものも相次ぎ、蒼杞をかばうものもいなかった。

 青蘭は女神の太刀を手にし、それが本物であることを証すために権大神官までもが先導をつとめている。

 青蘭が聖地において即位したことは、広く各地に報せがもたらされていた。

 しかし、嫁ぐために東葉に入ったはずの青蘭王女が、突如嵜州において即位したことに、その真偽を疑うものも少なくなかった。

 蒼杞率いる西葉王家軍のなかにおいても、その知らせは密かに広まっていた。王家直属の軍に所属するとということは、軍人としてはこれ以上ない誉でもある。それ故に王家への思い入れの深い兵士たちは、正統な女王即位の報に戸惑いつつも、蒼杞への恐れもあってこれまで従ってきていた。

 そこへ権大神官を伴った青蘭が現れ、その正当性が確かなものとなれば、彼らがそれ以上蒼杞に従う必要はない。彼らが仕えるべきは正当な女神の娘である真の女王であり、それは間違いなく青蘭だった。

 蒼杞の妻である紅蘭くらん王女も直系ではあるが、正当な第一位の王位継承者である青蘭を東葉にさしだし、紅蘭が西葉王位を継ぐことに不満を抱くものも多かった。

 青蘭が女王として戻ることを歓迎するものは多くあれど、それを拒むのは蒼杞くらいものだ。

 よく通る声で静かに兄の罪を問うた青蘭の姿は、毅然として威厳に満ちたものだった。

 蒼杞に付き従っていた者たちは、その姿に圧倒されたように次々と膝を折っていく。

 じきにぽつんと蒼杞だけが取り残され、彼は呆然と妹を見つめる。


「お前は明柊殿の妻として、東葉の女王となったはず」

「それは私ではなく、私たちのいとこにして、あなたの手にかかった紅桂伯父上の娘、しん 雪蘭せつらんです。彼女は私の意を受け、あなたと明柊殿をあざむくために王女を演じたのです。それにあなたが騙されただけのことです」


 青蘭は冷ややかに応じた。

 蒼杞は秀麗な顔を歪め、凛としたようすで対峙する妹をねめつけた。


「――お前とあの娘はうり二つではないか。お前が雪蘭ではなく青蘭だという証拠がどこにある」

「私が青蘭だと言うことは、この太刀が証です。われらが遠つ御祖みおやである女神は、この太刀をふるってこの葉の国に安らぎと繁栄をもたらされました。これを手にできるのは、女神の娘のみ。あなた方の手によりこの国が乱されたこのとき、この太刀を手に取ることが許されるのは、私のみです」


 穏やかだが、揺るぎない自信に満ちた声だった。

 青蘭はゆっくりとした仕草で太刀を抜いた。白刃がさしこみはじめた朝の光にきらめく。よくよく見ればただの古風な一振りの太刀に過ぎない。しかし日の光に輝くばかりの小振りの太刀をかざし、凛とたつ女神と同じ出で立ちの青蘭の姿は、神威をまとっているようにすら見えた。

 その姿に気圧されたように、蒼杞は一、二歩後ずさる。よろめくような動きは、明らかに圧倒されているものだった。

 碧柊は彼女の背後に控えていた。西葉貴族を代表する嵜州候里桂がその傍らにある。

 いつ蒼杞が妹に切りかかるかわからない。彼の腰元には華美なつくりの大太刀が下がっている。その柄にいつ手がかかっても対処できるよう、碧柊は彼女のすぐ後ろについていた。

 その蒼杞の視野に嫌でも入るように、碧柊は青蘭の斜め前に進み出た。蒼杞にもそれが誰なのかはじきにわかったようだった。


「お前は……」


 とっさに名前がでてこないのか。口ごもる。

 碧柊はそんな蒼杞を一瞥もせず、ただ青蘭にむかって膝をつき、頭を垂れた。


「吾、よう碧柊へきしゅうは東葉と西葉を統べる葉の女王、青蘭陛下に臣従を誓う。誓紙を奉るにも手元にない故、そのかわりにこの言葉が確かなものとして、権大神官にも聞き届けいただこう」


 碧柊が顔を上げて権大神官を見上げると、彼は錫杖を静かに振り上げ地面に突き立てた。澄んだ音が響き、風にのる。


「確かに、我が耳をもって女神にもお聞き届けいただいた」


 厳かに碧柊の臣従の誓いを裏付け、青蘭に向かって頭を垂れる。神官も王族も互いに頭を下げる必要はないが、このときばかりはそれが誰の目にも自然に映った。

 青蘭は女神の末裔としてその神意を表すように争乱を終わらせ、同時に東西の対立の終焉も明言している。

 これは一つの儀式でもあった。

 青蘭は女神の依巫よりましとしてそこにあり、女神に仕える神官が彼女に頭を下げるのは理にかなっている。

 じきに里桂が碧柊に続いた。同じ誓いをたて、神官がそれを聞き届ける。

 その間、蒼杞はただ呆然と立ち尽くしたまま、その一幕を眺めているだけだった。

 二人の後に続こうとした者が数名あったが、青蘭はそれを押しとどめた。かわりに碧柊と里桂に立ち上がるように促した。


「蒼杞殿の身柄を」


 短い一言に、碧柊は無言でうなずく。太刀を抜くこともせず、手ぶらで歩み寄ってくる敵を、蒼杞は呆然と見つめている。

 碧柊は父の敵であり、この事態をもたらした元凶の一人である男をしばらく無言で見つめていた。 

 だが、結局は一言も発さず、険しいまなざしを向けることも、侮蔑の色を浮かべることさえせず、蒼杞の得物を取り上げ、付き従ってきた里桂の配下の者たちにその身を拘束させた。

 その一連の出来事は静けさのうちに成されたが、じきに大きな地響きがとどろいた。


「何事?」


 それは西葉王家軍の後方から響いてくる。その背後に控えていた東葉軍が動いたものだった。

 蒼杞の後方に明柊が控えていることは、青蘭たちもあらかじめ頭に入れていた。山を下りたところで東葉軍が動いたとしても、じきに天然の要塞である森へ逃げ込めるよう、その距離も計算されたものだった。

 いよいよ東葉軍が動いたかと青蘭も顔をこわばらせ、いつでもきびすを返せるように身構えたところへ、直に報告がもたらされる。


「東葉軍が退却していきます」


 その言葉に、青蘭をはじめ居合わせた者は皆唖然とした。ただ碧柊だけが、険しい顔で去っていく東葉軍をみつめていた。 


「後を――」


 里桂があわてた様子でまず碧柊を見、それから青蘭を振り返った。

 青蘭はどうすべきか判断できず、碧柊をちらりと見る。まだ二人の関係は公にされていない。明らかに特定の誰かに頼っているという姿勢は見せるべきではない。こいう時であっても、青蘭は必死に衝動をこらえていた。

 そんな青蘭の内心の動揺を見透かしたように、碧柊は里桂の傍らに近寄る。その動きはあくまで控えめであり、人の目を意識したものだった。


「まずは西葉の王家軍をとりまとめることが肝要。いたずらにはやったところで、ろくなことにはならぬであろう。それこそ明柊のねらい通りになるやもしれぬ」


 里桂にだけ聞こえる囁きだった。

 里桂は頷くかわりに目線で応じ、青蘭に一礼してその提案を自分の言葉として奏上した。


「わかりました。後の判断は任せます」


 青蘭にこの事態をまとめる力はない。軍事的なことは、里桂を通して碧柊に一任することを明言し、青蘭はそっと碧柊を見つめる。

 かすかに不安の揺れる眼差しに、彼はわざとらしく口の端を歪めてみせる。からかうようなそのいろに、青蘭は一瞬むっとしたが、じきに彼の意を悟って苦笑を浮かべた。こんなことで動揺していてはいけない。

 明柊が突然ここで背を向けたのは、ただの陽動とも思えない。共に長年戦ってきた碧柊が、そんな分かりやすい手に乗るとは、明柊も考えないのではないだろうか。碧柊は陽動かもしれないとは言っているが、本気でその心配をしているようではなさそうだった。

 里桂率いる青蘭方の兵たちは山を下り、すでにその背後に整然と待機している。主を拘束された蒼杞方の西葉王家軍には、いったいなにが起こっているのか事情が伝わっていないようだった。しかし、まだ戦意を見せるものもある。それでもたいていのものは姿を現したのが本物の女王らしいと悟り、すっかり戦意を喪失していた。

 里桂は蒼杞勢に向かって、正式に青蘭を女王にいただく王家軍への投降と、正当な女王に従うことを呼びかけるよう指示を出した。それでも逆らうものには容赦する必要もないと付け加えさせたのは、碧柊だった。青蘭は一瞬眉をひそめて碧柊を振り返ったが、厳しい眼差しを返されてわずかに怯んだ。

 蒼杞方の処分を里桂に託した以上、その舌の根が乾かぬうちに異論を唱えたのでは、混乱をもたらすだけだ。それに軍の統率に関して青蘭には心得がない。感情だけで口を開くわけにはいかないことを、苦く実感する。

 青蘭は小さく息を吐いて気分を落ち着け、碧柊に了解を示すようにうなずき返した。

 里桂の命令はすみやかに実行に移された。所々で小競り合いは起こったが、それはたいした騒ぎとはならなかった。

 そんな最中、ある一報がもたらされた。それは明柊が突然去った真の目的についてであり、さらに青蘭を驚かせたのはその報の送り主の正体だった。


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