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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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終章 20

 嵐は徐々におさまりつつあった。

 空が少しずつ明るくなりはじめる。

 その報告をうけた青蘭は、静かに立ち上がった。

 短い髪がその動きにつられてゆらりと流れる。州の城から届けられたばかりの真新しい衣に身を包み、腰には大神官から預かった神刀をさす。

 衣は染めも刺繍もなく、輝くような白絹から縫いあげられていた。装飾性のなさを補うために美しい襞がとられ、立ち上がれば肩から足首にかけて優美な曲線が流れる。それは華奢な女王の体をしなやかで繊細なものに見せる。丁寧に梳かれた黒髪の見事な艶と、彼女自身の美しさだけが装飾品だった。

 それは聖地にある女神の神像を思わせる姿だった。あえて似せているのだから、それも当然だ。提案したのは里桂だった。碧柊は青蘭の美貌を売り物にするようなやり方に眉をひそめたが、当人がそれを拒まなかった。


「このような見目が効果を上げるのであれば、いくらでもそれらしく振る舞ってみせましょう」


 と、婉然と微笑んだものだから、碧柊の方が意外そうに眉を上げた。


「ずいぶんと大胆なことを仰るようになられたものだ」

「仕方ありません。私の武器は血筋とこの外見だけでしょう。あなたのように戦に強かったり、雪蘭のように賢いわけでもない。他に取り柄もありませんから」


 相変わらずといえば相変わらずの自己評価だが、そこには開き直ったような明るさが感じられた。それ故か、碧柊も眉をひそめはしなかった。それでも訂正することは忘れない。


「――血筋と容色だけということはなかろう」

「そうですか?」


 不思議そうに首をかしげた彼女に、彼は生真面目な態度でうなずく。


「気が強いくせに気が小さく、妙に鋭いかと思えば鈍い」


 青蘭はこのような時にからかうつもりかと、抗議するつもりで碧柊をあらためて凝視した。しかし、彼は至ってまじめな顔をしている。だからといって、それで青蘭をけなしたりなじるわけでもない。


「……それは長所とは言いません」


 対処に困り果てて、やっとの思いで言葉を返せば、碧柊はいやいやと否定するようにそっと青蘭の頬に触れ、真正面から顔をのぞきこんだ。


「だが、吾にとってはだからこそ可愛くて仕方ないがな」


 瞬時に耳まで真っ赤になった青蘭。その場に居合わせた里桂が笑いをごまかすようにわざとらしい咳をした。


「……他に人のいるところであまりそういうことは仰らないでください」

「里桂殿なら我らのことを承知だ。支障なかろう」

「そういうことではなくて……恥ずかしくないのですか?」


 今度こそ抗議の必要性を感じて、青蘭は強い口調でなじった。


「なにを恥じる必要がある? 吾は明柊のように心にもないことを云ったりはせぬぞ」

「お世辞であろうが本音であろうが、そういう問題ではありません」

「なにが問題だ?」

「――もういいです」

「よくはなかろう。そなたの嫌がることはせぬと誓ったのだ。問題は明らかにせねばならぬ」

「だから、そういうことが問題だと」

「問題を解決しようとするのがまずいというのか?」

「そういうことではなく……」


 青蘭はちらちらと里桂の方を見ては、困惑した顔をする。それが碧柊には気に入らぬらしく、彼らしくもむきになってしまうらしい。

 青蘭からは救いを求められ、碧柊からは険しい眼差しで牽制され、里桂こそ困り果てているのだが。このようなときに夫婦漫才に興じてもらっていて、お困るのは皆だった。

 仕方なく苦笑しながら碧柊の方へ近づく。女王に近寄れば、その夫君の眉がぴくりと動く。表立ってこそいないが、碧柊もそれなりに悋気を見せるらしい。


「なにが問題かは、この戦に片が付いた後で、私から殿下に申し上げましょう」

「――そなたには彼女の云うところの問題が分かると申すのか」


 夫婦の問題に口を挟まれただけでも不本意なのに、さらにその“問題”を碧柊自身ではなく里桂が理解していることが不愉快らしく、碧柊は面白くなさそうに一瞥する。

 雲行きの怪しさに青蘭はいっこうに気づく様子はなく、里桂の仲裁を素直に待っているらしい。

 里桂はやはり途中で逃げれば良かったと後悔しつつ、「おそれながら――」と碧柊に申し開きをする羽目に陥っていった。 

 そんな経緯もあり、犬も食わないなんとやらを痛感した里桂は、己を振り返って夫婦喧嘩は人のいないところでしようと決心した。

 戦いを直前に控えた緊迫したときに、そんな脱力するような微笑ましい一幕もあったが、女神を思わせる衣装をまとい立ち上がった青蘭はひたすら凛々しかった。

 夜はとっくに明けている。

 嵐がおさまり、空が晴れつつあれば、戦場の霧も次第に晴れていく。

 そこへ雪蘭からの知らせがもたらされた。

 まずは青蘭が目を通し、ついで里桂と碧柊が読む。それは碧柊の予想通り、明柊に蒼杞と共に戦う気はなさそうだというものだった。

 青蘭が二人に小さく肯きかけると、里桂はちらりと碧柊に同意を求める。彼がそれに頷くと、里桂が知らせの内容を居合わせた諸侯に明らかにした。

 それを裏付けるように、霧が晴れてきても明柊軍に動きはみられなかった。


「共倒れを狙うにしてもやりようがあるでしょうに」


 あからさまなやり方に、青蘭は違和感を覚えたのか。小声で碧柊と里桂にだけ囁く。


「あからさますぎて、警戒すべきかどうなのかすら迷いますね」


 里桂がそう受け合うと、碧柊が物思わしげに自分の耳朶にふれながら付け加える。


「なにか仕掛けてくるつもりなら、もう少し巧妙な方法を採ろうとは思うが」


 それすら明柊のねらいかもしれないと、考えられないでもない。明柊とともに戦ってきた碧柊だからこその躊躇いもある。互いに相手の能力や発想の癖はある程度見当がつく。それだけにあえてそれを見越して、何かをたくらんでいることも否定できない。


「かえって面倒だな」


 碧柊は自嘲気味に呟く。共に戦ってきたからこそ、互いの手の内がわかってしまう。それが今は負の作用をもたらしていた。


「明柊殿の性分を承知なさっておられるからこそ、裏を読むのはかえって難しゅうございましょうね」


 そういう青蘭には、雪蘭の心づもりや覚悟が嫌というほど想像がついてしまう。共にあったからこそ、その関係がどのようなものであったにせよ、理解できてしまう部分もあり、だからこそ予想もつかない部分もある。


「それはお互いさまだろう」


 碧柊はそういって、苦く笑う。明柊はそういうことすら笑って楽しんでいるかもしれない。それとも碧柊の出方を、笑みを浮かべて待ちかまえているのだろうか。

 青蘭はさっと衣の裾をさばくと、くるりと振り返った。珍しく迷いをのぞかせる碧柊の顔を真正面から見つめる。それは逡巡を断ち切るような強い光を秘めていた。


「ここで考え込んでいても埒はあきません。嵐はおさまったのですから、予定通りに山を下りましょう。権大神官ごんのだいしんかん殿をここへ」


 青蘭は最後に祥香をちらりと目配せした。青蘭の傍らに控えていた彼女は、その意を受けると恭しく一礼し、部屋を出ていった。

 碧柊はその背中を見送り、それから青蘭に向かって無言のまま頭を下げる。里桂もそれに続くと、他の貴族たちもはっとしたようにそれに倣った。

 ほどなくして控えの間で休息していた権大神官が案内されてやってきた。

 すでに衣装を整えていたのだろう。その権威を示す正装の浄衣に着替え、神殿の象徴である女神の楯と剣をあしらった意匠の錫杖を手にしている。錫杖は磨きあげた銀に真っ青な宝玉が輝いている。


「これから戦場に降ります。先導をお願いいたします」

「承りました」


 権大神官は恭しく一礼した。白絹が衣擦れの音をたて錫杖がかすかに涼やかに鳴る。宝玉の下に鈴が仕込まれている。

 青蘭は腰帯にはいた神刀に触れ、きっとまなじりを決するとしっかりとした足取りで歩きだした。




 砦から山裾に続く道は、露を帯びた草や木の葉に覆われていた。細い道は何度なく往復した数多くの兵士たちに踏みしめられ、すっかりぬかるんでいる。

 足を滑らせないように気をつけながらも、青蘭はなるべく昂然と顎をあげるように心がけた。すっかり風は秋の気配を帯び、朝の空気は湿って冷たく感じられるほどだ。

 足元の軍靴はぬかるみを踏んで、じわじわと湿気が忍び込んでくる。衣の裾は草露に濡れていく。

 原野では未だに戦闘が続けられていた。霧が晴れ、嵐がおさまったため、蒼杞方は今このときとばかりに攻勢を強めている。

 青蘭方は未だに地の利を生かした戦いを続け、小競り合いの規模が大きくなったに過ぎない。

 青蘭たちが山道を降りてくると、静寂な動揺にも似た波がひろがっていった。

 高らかに笛が吹き鳴らされた。

 怒号と喧噪と指示する大声、悲鳴に空気を裂くような矢の飛ぶ音が飛び交っていたその場に、その鼓膜を直接刺激するような高音ののびに、思わず動きを止める者が相次いだ。それにかまわず戦いを続けていた者も、一種異様な雰囲気の静けさに飲まれたように手を止めた。

 ゆっくりと潮の引くように戦闘がやんでいく。それと共に静けさが広がっていく。

 その中心、波紋を投じたのは、浄衣の神官だった。

 彼の背後には笛を吹き鳴らした、次位の神官が控えている。

 雨に濡れ、雑草を切り払われた原野には、屍が転がり大量の血潮があちこちに水たまりを作っている。

 それらを気にとめることなく、彼らは静かに茂みから姿を現し、臆することもなく何事もなかったかのように歩みだした。

 その神官の手に握られた錫杖の意味を知るのは、聖地を訪れたことのある者のみ。貴族はもちろん、熱心な信者である一部の兵士たちもそれを悟る。

 ましてや嵜州候に仕える兵士たちにはなじみの深いものだった。

 聖地を訪れる信者たちの前で祭祀を司るのは、権大神官。さらにその上に大神官がいることを皆知っているが、なじみの深いのは直接関わる機会のある権大神官の方だった。 

 あわてて膝をつく嵜州兵たち。

 一方、蒼杞率いる東葉王家軍のものたちも、女神の末裔である王家に仕えているという誇りがあるだけに、信仰心も深い。それだけに彼がただの神官ではないことに気づく者は多かった。

 蒼杞方の中にも、膝を折る者が相次いだ。

 急に戦闘がやんだことに、その原因を知らない後方から訝しげなざわめきがかえってくる。

 やがてその原因を知った蒼杞が姿を現したとき、彼の前には妹が静かに立ちはだかった。


「お久しぶりにございます、兄上――いえ、蒼杞殿。あなたは尊属を殺害し、国を裏切った。その罪は重い。私はあなたを捕え、罪を明らかにし、償いを求めねばなりません」


 彼女は静かな声で兄の罪を問うた。


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