終章 18
暗い朝がくるころには、布陣はすでに整えられていた。
その骨子を提案したのは碧柊だったが、彼はあくまで客将として嵜州公の背後に控えている。旗頭は女王である青蘭であり、指揮をとるのはあくまで王統家八門筆頭の嵜州公 里桂だった。
中核ともいえる里桂の傍らに、東葉王子のいることに異を唱えるものもあったが、西葉貴族よりもはるかに多くの戦歴をもつ彼をのぞくことは非現実的だった。
青蘭自身がこれは西葉一国の問題ではなく、両国に根深く関わる戦いであり、このまま『葉』の統一をめざすと宣言した。
それに続き碧柊が、東葉王太子として青蘭が両国に君臨することを認め、心からの臣従を誓った。それを青蘭も快く受け入れた。これにより彼は西葉貴族と同等か、それ以上の王統家と同列の女王の臣下として正式に認められたも同然となった。
東葉南部勢をまとめつつある、碧柊の乳母子嶄綾罧の存在も大きい。
蒼杞だけでなく、東葉軍を率いる明柊をも敵にまわしている状況は、圧倒的に不利といえる。その上、西葉は全体的に軍備が不足している。李州侯率いる南部勢が合流を果たせても、劣勢は覆せない。
そんな状態で頼みの綱となるのは、真相を明らかにし、東葉南部をまとめることを託された綾罧しかいない
王族にとって乳母子は兄弟同然か、それ以上の存在である。その存在は軽視できるものではない。
西葉側にいくら積年の恨み辛みと不満があっても、その感情のままに碧柊を排除することはできなかった。
李州侯率いる南部勢が近づきつつあることを、蒼杞も知っているものと推測できる。蒼杞方としてみれば、それまでに片をつけるか、少しでも有利な形勢に持ち込んでおきたいはずだ。
そのような状態で碧柊を排しても、彼等を喜ばすだけだろう。
夜が白みはじめても、雨と共に霧がたちこめている。同士討ちの恐れがあるほどではないが、わずか先の視界もきかない。
それでも相手は攻撃をしかけてくるだろう。青蘭方もそう踏んで待ち構えている。
そしてその通りにことははじまった。
霧がいっそう濃くなったのを見計らうようにして、蒼杞方から攻撃をしかけてきた。
弓矢はつかいものにならないため、最初から白兵戦になった。
李州侯の到着まで持ちこたえればよい青蘭方は、あえて積極的には戦わず、できるだけ戦力の温存をはかった。
山を背に森に潜み身を隠すにはことかかない青蘭方に対し、蒼杞方は水捌けの悪い原野に陣をしいている。
原野には背の高い葦が生えていたが、それは事前に碧柊の命でかりとられていた。そのため彼らには盾の他に身を隠すすべはない。
いくら霧が濃くとも、その隙をぬっての蒼杞軍の接近は難しく、霧の晴れ間には必ず矢が飛んできた。
白兵戦を挑んでも、青蘭方は挑発には乗らず、片がつくとさっと引いてしまう。そのあとを追おうとすれば、矢が飛んでくる。
森と原野の境界に戦線は固定し、一進一退を繰り返すだけだった。
小競り合いの始まったことはすぐに砦に知らされた。後詰めの明柊軍に動きが見られないこともあわせて報告される。
「同時に攻めてこないのは、なにかしかけてくるつもりがあってのことなのかしら」
青蘭の傍らには碧柊と里桂が控えている。女王の婚姻の事実を知る里桂は事実上腹心同然だ。
小さな疑問の声に不安や怯えはない。それでも細い指はかたく握りこまれている。
碧柊は緊張した様子の女王に、控えめに微笑みかけた。
「蒼杞殿が拒んだか、それを見越した明柊が後攻めを提案したのかもしれぬ。窮地を救ったほうが恩を売れようし――ひょっとすると見限るつもりかもしれぬ。我々が共倒れとなれば、明柊の一人勝ちとなる故」
最後のそれが一番ありえそうなことだった。
碧柊は青蘭の表情に同意を読取り、苦笑した。
「翼波が気になりますね」
「翼波だけでなく綾罧の動きも明柊は察していよう――むしろ、吾の気懸かりはそちらのほうが大きい」
「翼波との国境は?」
「見張らせてあるが、何分手薄なことは否定できぬ」
「仕方ありません」
明柊は東葉南部の貴族の大半を残したまま出陣した。
蒼杞に当主を処刑された東葉貴族のうち、生存者のほとんどが領地に逃げ帰った。そのうち北部の貴族で、明柊の呼びかけに間に合ったものだけが、雪蘭が演じる青蘭女王を奉じて西葉に侵入している。
南部の貴族たちは取り残されたが、それでも明柊のあとを追って東葉王都を目指すものもあった。
綾罧は彼等に使者を送り、可能なかぎり自ら面会を取り付けた。そしてこの争乱の真相を明らかにし、青蘭こそが真の女王であり、碧柊がその夫として傍らにあること、真の敵は明柊であることを説いて回っている。
その結果は上々だった。彼等は蒼杞に当主を殺害されており、その恨みと怒りにかられている。苓南の砦で明柊の裏切りの現場に立ち会った、綾罧自身の証言にも説得力があった。聖地の大神官の支持もまた、大きな根拠となっている。
碧柊の代理人としての綾罧は、東葉内部のとりまとめるだけで手いっぱいだった。
雪蘭からもたらされた翼波の不穏な動きについても青蘭経由で伝えられてはいるが、国境線を油断なく見張るだけの余力はない。
せいぜい、国境沿いに領地を持つ貴族や王統家に警戒を呼び掛けるのが関の山だった。