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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第2章 砦 4

 寝がえりをうった拍子に目が覚めた。

 柔らかな枕に頬をすりよせながら眠気を払うように瞬かせれば、その向こうに一つの光景があった。

 高い窓からさしこむ光は、部屋の奥を照らしている。窓の下に置かれた机の上は、それでも十分に明るい。装飾の一切ない、実用本位の机と椅子には主がいた。

 きっちりと後頸部で髪を結わえた横顔は、まず凛々しいと言える。その鋭い視線はもっぱら手元の紙に注がれていた。

 昨夜は床にのべた寝具に潜り込んだはずなので、覚醒時にこの構図が見えるのはそもそもおかしい。

 ゆっくりと、それが誰で、ここがどこで、どんな状況にあるのかを示す欠片が集まってくる。それらが一つの絵を成したとたん、青蘭せいらんはがばっとはね起きた。


「……」


 第一声がまず出てこない。挨拶が先か、それとも小姓として詫びるべきなのか、それともいつのまにか寝台に移動させられていたことを問い詰めるべきか。

 ぱくぱくと口を開閉させていると、机の主がゆっくりと振り返った。その口の端はすでに歪んでいる。青蘭はしまったとほぞをかむ。


「寝坊だな。小姓としては失格だ」

「……も、申し訳」


 慌てて詫びようとしたが、声が裏返る。半端に乾いた喉に声帯が空回りしているようだった。

 王太子はくっと笑い、そのまま手を伸ばすと寝乱れた青蘭の頭をくしゃりと掻き乱す。


「よく眠れたか?」

「――はい」


 面を伏せてまごつきながらも頷く。彼はぽんと小さな頭を軽くたたき、そのまま手を放した。それ以上かまうことはせず、再び紙に目を落とした。


「さっさと身なりを整えよ。ここでは着替えなどない故な――それから、横の髪は下ろしておけ。顔を隠した方がよかろう」


 机と寝台の間には小卓がある。そこに近衛の紋章が縫いとられた細長い布が置かれていた。近衛で髪が長いものは皆これを使っている。王太子も同じものを用いている。寝台からおりて手早く軍服を整えた後で、その布を手にする。そこで青蘭ははたと困った。

 東葉とうはの近衛では短髪のものが多いようだった。長いものでもせいぜい背の半ばまでくらいだった。それに対して青蘭の髪は腰よりも長い。頭巾をかぶって誤魔化せればよいが、それでは砦のなかではかえって不審を買いかねない。

 女官も王女も常々仰々しく髪を結いあげるものだから、必要な長さではあるのだが。

 手に取る髪は艶やかに光沢を放っている。唯一、雪蘭せつらんよりも美しいと賞されるのが髪だった。

 無言でそれを見つめたのち、青蘭は王太子に声をかけた。


「殿下、刃物を貸していただけませんか?」

「なにをするつもりだ?」

「髪を少し調整します」

「髪だと?」


 振り返った王太子は、訝しげに眉をひそめながらも、太刀の小柄こづかを抜いて寄こす。それを受け取る青蘭に殺気のないことを知ってか、警戒よりも好奇心の勝った様子で見守る。

 小柄を受け取ると、青蘭はそのまま無造作に髪を一掴みにし、刃先を押しあてた。


「おい――!」


 制止する間もなかった。

 青蘭は刃物を用い、思い切りよく髪を切ってしまった。掌からこぼれた房がぱさりと床にちらばる。それは朝の陽ざしに濡れ濡れと光る。流れ落ちる滝のようだった髪は、無残にも肩より長い程度になり、不揃いな切り口をさらしていた。


「気は確かか?」

「確かです。私の髪は小姓を務めるには長すぎました。違いますか?」


 悔やむ様子もなくあっさりと反問され、王太子は気圧されたように口ごもる。


「それはそうだが……」

「髪はまた伸びます。必要ならかもじもあります」


 にこりと笑ってみせ、小柄を返す。王太子はそれをなんとも複雑な表情で受け取った。


「思い切ったことをする――髪は女性にょしょうの命だろう」

「今は女ではありませんから。小姓として扱ってくださるなら、それにふさわしいなりがあるかと」


 頓着することなく、さっさと短くした髪を近衛の布で束ねる。

 王太子は小柄を鍔に戻す。机に向い紙を手に取ろうとしかけたが、納得いかない気色で再び振り返った。

 青蘭は外套を羽織、顔が隠れるように横髪を指先で梳くようにして前へ流しているところだった。横髪を残して無造作に髪を束ねたその姿は、可愛らしい小姓に見えなくもない。


「問うが、西葉さいはの女性はそのように思い切りのよいものなのか?」 


 元々は同じ国だったわけで、たかが百年でそれほど気質に大きな違いが出るものだろうか。

 むしろ進取の気象に富んでいるのは東葉の方で、西葉の方が古色蒼然として旧来のやり方に拘泥している印象がある。少なくとも東葉における両国の違いの認識はそういうものだった。


「私は奥の宮育ちなので他の女性のことは存じません。ただこういう時、雪蘭なら――」


 そこではっとして口を閉ざす。つるりと出してしまった名前に、血の気が引いていくようだった。ここで取り乱してはさらに疑惑を招く。青蘭は必死に平静を装った。


「も、申し訳ありません……日頃、二人きりの時は互いに呼び捨てていたものですから」


 それは嘘ではない。雪蘭は青蘭を名前で呼んでいた。


「姉妹のように育ったと云うておったな。取り繕う必要はない。それはそれで構わぬ」


 雪蘭と青蘭。呼び方でいえば一字違いに過ぎない。そのおかげか、王太子はそれで納得してくれたらしい。


「はい――青蘭ならこういう時にどう判断するだろうかと考えました」 

「ほぉ、青蘭姫か――それほどしっかりした女性なのか?」


 王太子は興味を持ったのか、眉をあげ、青蘭の言葉を待つ。


「はい。実際的というか、頼りになる方です」


 これは雪蘭のことだが、嘘ではない。青蘭は彼女を頼ってばかりだった。

 実感のこもった言葉に、彼は意地悪く口の端をゆがめる。


「立場でいえばそなたの方がしっかりせねばならぬだろうに、姫も気の毒なことだ。そなたは気丈ではあるが、少々危なっかしい感も拭えぬ故な」

「……悪うございましたね」


 肩を落として目を眇めれば、王太子はからからと笑う。


「心意気は買うが、無茶はするな。姫がしっかりしておられるのは、そなたが心もとない故もあろう」

「肝に銘じます」


 王太子の言葉は耳に痛い。青蘭は悄然としながらも素直に頷く。


「では、朝食をとってきてくれ――中将、控えておるか?」


 扉の向こうへ届くように、王太子は声を張り上げる。じきに扉が開き、綾罧りょうりんが現れた。


「この者をくりやへ案内してやれ――呼び名が雪蘭殿ではさすがにまずいな……白罧はくりんとでもするか。さん家の縁戚だということにしておけ」

「承りました。では、白罧、ついてこい」


 綾罧の昨夜の恭しい態度とは一変した、ぞんざいな態度に青蘭は素直に従う。

 彼女を小姓として扱うということは、この乳兄弟の間でも徹底されるらしい。




 螺旋階段は、人が行き違うのが難しいほどに狭いものだった。王太子の部屋の上は見張り場となっており、実質最上階にあたる。同じ塔の階下にもいくつか部屋があり、綾罧は階段を降りながらその一つ一つを言葉短かに説明していった。

 青蘭はそれを必死の思いで脳裡に収めていく。

 問題は塔を降りてからだった。

 王太子の居室のある塔は、砦の中央にある。他に砦を取り巻く防壁沿いに五つの塔があるという。他に厨、食堂、兵舎、武器庫や厩、鍛冶職人の小屋など数知れない設備があり、複雑に通路が入り組んでいる。

 自慢ではないが、青蘭はどちらかといえば方向音痴の気がある。綾罧の跡を追うのが精一杯で、砦の構造を把握するどころではなかった。

 せめて厨までの道順だけでも覚えようと、きょろきょろと目印を探す。


「あまりきょろきょろするな。目立つぞ。面があらわになっておる」

「はい」


 慌てて顔を伏せる。すれ違う男たちは屈強ぞろいで、華奢な青蘭はまるっきり子供のようだった。

 なんとか厨にたどりつけば、ここでも逞しい数人の男が腕をふるっていた。

 そのうちの一人に綾罧は声をかける。短い応酬があって、木の盆に湯気の立つ二皿がのせられたものが寄こされ、青蘭に押し付けられた。木の器の中身はどちらも同じもので、木匙も二つあった。


「一人で戻れるか?」


 綾罧の問いに、青蘭は躊躇った末、正直に首を振った。


「十中八九、迷いそうです」

「無理もないか」


 盆を持たされたまま、来た道を戻る。厨のある塔を出て、建物と建物の間の狭い庭を横切ろうとしたとき、馬蹄の音がとどろいた。


苓公れいこうがおつきになったぞ!」


 いくつもの声がこだまする。それは王太子の従兄、よう明柊めいしゅうの到着を知らせるものだった。


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