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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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終章 10


 青蘭は居住まいをただして碧柊に向き直った。

 彼の苦情を突っぱねるつもりはない。誰が一番自分の身を案じてくれているのかは承知している。

 そんな心中が伝わったのか、碧柊もそれ以上声をとがらせることはなかった。


「よくよく話し合った上で、決めたことだと思うておったがな」


 厭味をまじえる彼に、青蘭は申し訳なく思いながらも、案の定な言葉に苦笑してしまう。碧柊は不愉快そうに眉をひそめる。


「笑い事ではなかろう」

「ごめんなさい、つい。あなたが相変わらず過保護なものだから」


 青蘭は笑みを浮かべたまま詫びる。同じ指摘を何度も、しかも本人だけでなく他に幾人からも受けている碧柊は、苦虫を噛み潰したような顔で青蘭を見据える。


「――里桂や袁楊も同意の上で決めたこと。過保護ではない」

「確かにそうですけれど、あなたの言葉をきいていると、私的な事情のほうが勝っているようにも聞こえるものですから」


 青蘭は悪びれることもない。怒りよりもばつの悪さのほうが上回ってきた碧柊は、深々とため息を吐いた。


「それは仕方なかろう――惚れた弱みというものだ」


 碧柊が目を細めやさしい眼差しで見つめれば、今度は青蘭の方がどきまぎと視線をそらす。それを予想していた碧柊はにやりと笑うと、形勢逆転とばかりににじり寄った。

 空になった食器の置かれた卓子に両手をつき、その腕の間に青蘭を閉じめてしまう。

 抱きしめられたわけではない。どこも触れているところはない。ただ、両腕の間に挟まれるような形で動きを封じられ、吐息がかかるほど間近に端正な顔が迫っていた。

 青蘭は卓子の端に背骨が食い込み、痛みを感じるほど後ずさり、できるだけ目を合わせないようにしながら、なんとか毅然としていようとした。


「な、なんですか?」

「つれぬことを仰るものだ。少々鈍感でいらっしゃるあなたにもわかりやすい言葉にしたつもりだが? まだ言葉が足らぬかな?」


 半ば強引に顎をとらえて瞳をのぞきこめば、勝敗はあっさりつく。

 青蘭は耳まで赤くして狼狽する。こういう甘い成り行きにはなかなか免疫がつかないらしい。それがまた可愛くてしようのない碧柊は、図にのる。


「あとはいかようにすれば、ご理解いただけるかな?」


 嬉々としているように聞こえかねない声をわざと低く押さえて囁き、その不意をつくように軽く唇をついばむように重ねれば、青蘭は硬直してしまう。

 それをいいことに抱き寄せられ、また唇を重ねられそうになり、青蘭はようやく我に返った。このあたりの体勢の立て直しの速さは、免疫がついてきた証かもしれない。


「こういうことをしてる場合ではありませんでしょう」


 もっともな台詞に碧柊はいかにもあての外れた顔でがっかりしてみせる。

 それでも行き掛けの駄賃のように強引にもう一度唇を奪うと、怒る青蘭をあっさり解放した。


「続きは後程に」

「――」


 青蘭はこれ以上ないほど顔を赤らめ、怒りを顕にしたが、そうしたところでますます相手を喜ばせるだけだと、結局のところ諦めた。せめても抵抗として、これみがよしの大きなため息を吐いてみせる。

 部屋の一角には、角材を組んだだけの素朴な作りの長椅子があった。

 碧柊は体をひいて立ち上がると、青蘭の腕をとらえて半ば強引にその長椅子まで連行した。自分の隣に座らせたが、それ以上の接触はしてこない。

 先程までの甘い空気は綺麗に失せていた。青蘭は彼の切り替えのはやさに戸惑いながらも、なんとか自分を立て直す。


「戦場に出向いてきた一番の理由は雪蘭殿だな?」


 青蘭は小さく頷いた。


「――必ず会いに行くからと約束したのです」

「……明柊に言付けた件か?」


 溜息まじりにつぶやき、碧柊は視線をどこか遠くに彷徨わせる。

 青蘭はその眼差しの行方をたどるように目線を動かし、その視線が北に向けられていることを悟った。 


「ええ――明柊殿は確かに約束を守ってくださったでしょうから」

「雪蘭殿の同行はそのためばかりではなかろう」

「それはそうでございましょう。けれど理由の一つでもあると思います、あの方なら」 


 なんだかとんでもなかった苓南れいなんの砦のことを思いおこす。

 普段の言動からしてでたらめな人物だったが、何故か約束を守るといった彼の言葉は信じていいような気がする。


「なんだ、あなたはあれの言葉をいやに信じるのだな――何故だ?」


 碧柊が目を眇る。青蘭はひやりとした。そう言えば、碧柊は砦にいた時から似たような言動をしていなかったか。


「あの……妬いておられるの?」


 彼の凛気は、即位の儀の盾の候補を巡って里桂との関係を邪推されたころからも明らかだった。が、よくよく考えてみれば、それより以前に遡れることに気づく。逃亡途中の道中に傍から離れようとしなかったのは、互いの安全のためだったとしても、はじめて会った時から、青蘭を他の者の手に預けようとはしなかった。

 はじめて会ったとき、青蘭は侍女だと身分を偽った。いくら雪蘭が王女の従姉であるとしても、王太子自らがあれほどいっかいの侍女にかまうことの方がおかしくはなかっただろうか。

 碧柊は無邪気な妻の言葉が気に障ったらしく、わずかだが眉宇をひそめた。


「ああそうだ」


 明確な肯定に、青蘭はしどろもどろになりながらも言葉を紡ぐ。何故か、聞いておきたかった。


「――あの……いつから私のことを、その……想ってくださっていたのかと思って……今はこんな話をしているときではないのでしょうけど、ふと気になって。いつから、などということは意味のない問いなのかもしれませんが。苓南の砦にいた頃からそうだったのかしらと……」

「そのようなことは考えたこともないな。確かに無意味な問いかもしれぬが――思い返してみればそうかもしれぬな。なるべく女人を近付けぬようしてきた故、強気にかえしてきたそなたの反応が愉快だった。はじめから気に入っていたのだろう」


 碧柊は自分のことをまるで他人事のように客観的に述べ、さり気なく青蘭の手に自分の手を重ねた。


「あなたの方はいかがなのか、お聞かせいただけような?」


 碧柊の囁きに、青蘭はまた真っ赤になってしまった。 



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