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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第2章 砦 3

 わずかな呼吸すらひどく大きく感じてしまうほどに静かな夜だった。

 階下の部屋や通路、厩、武器庫、眺望楼、門、いたるところで人々は言葉を交わし、せわしくなく行き交っているのだろう。

 東葉とうはの王城は落ち、王も刺客の手にかかった。王太子は逃げ延びたものの、果たして正確な情勢を把握しているものはいるのか。

 西葉さいはとの戦で圧倒的な勝ちをおさめ、その王位継承権を持つよう王家の直系の王女さえ手に入れ、両国の統一まであと一歩というところまで迫っていた東葉。

 そんな隆盛の頂点にあったかのように思われた国が、一転、一夜にして先も知れぬ混迷の最中にある。

 運命とは女神の気まぐれのようなもの。すべてを知るは神のみとされ、人はただ神にすがり祈るしか術はないといわれる。

 それを、青蘭せいらんは思い返す。

 これまで何度となく祈りを捧げてきたが、それが報われたことなど一度もない。

 第一、その女神のすえと言われる自分がこの程度なのだから、実は神などたいした存在ではないのかもしれない、などと身の程もわきまえないことを考えてしまう。

 そんな想いはさすがに雪蘭せつらんにも漏らしたことはない。従姉も熱心信心しているようには思われなかったが、神を軽んじるような発言はしなかった。

 東葉のこの事態に、兄が一枚噛んでいないとはとうてい思えなかった。

 花嫁より遅れて出発した兄の一行も、婚儀前日には東葉王都に到着する予定になっていた。蒼杞そうきの一行が国境を超えたのは婚儀の二日前のこと。特に急がずとも夕刻には到着するはずだった。

 その知らせが届く前に、青蘭は雪蘭と入替り、抜け出してしまった。それが今となっては悔やまれる。兄の動向には最後まで警戒すべきだった。

 蒼杞は王都についたのか。それとも、無関係だったのか。それならば、今、どうしているのか。

 諜報活動などはすべて雪蘭の担当だった。青蘭はただほけほけと言われるままに他人任せにしてきた。そのことを今更ながら酷く悔いる。雪蘭を疑うわけではない。己のことにも関らず、それを雪蘭に丸投げし、のほほんとしてきた己の無責任さ加減が恥ずかしくて仕方がない。

 けれど、今更いくら悔やんだところで仕方がない。

 それよりも、これからどうすべきかを考えなければならない。もう傍に雪蘭はいない。一人で考え、判断しなければならないのだ。それがどれほど難しく、心細いものか。雪蘭がそれをこぼしたことは一度もなかった。


「雪蘭、ごめんなさい」


 詫びてみたところでむなしいばかり。今、これから、どうすれば――なにを選択し、どう振舞えば、再び彼女に会えるだろうか。どうすれば、彼女も、己も、守れるか。

 雪蘭ならば、どう考えるだろうか。

 青蘭は机に突っ伏す。部屋の主が戻ってくる気配はいっこうにない。彼から新たな情報を得ることもできない。持ち合わせの手札をいくら持ち変えてみても、結論は出ない。

 八方ふさがりなまま、瞼を閉じる。出てくるのはため息ばかり。それすら鬱陶しくなり、呼吸を小さく繰り返しているうちに、いつしか眠りに引きこまれていた。




 夢うつつに誰かが触れているようだった。遠慮がちな優しい手つきに、青蘭はなかなか目を開けることができなかった。

 雪蘭の仕草に似ている気もするが、何故か絶対的に違うような気がして、ようやくうっすらと目を開ける。根拠はふわりと抱きあげられたような感覚だった。さすがの雪蘭にもできない芸当だ。

 半ば夢見心地で開眼すれば、視野にうつったのは見なれた顔だった。いや、見覚えはあるが見なれたというには時期尚早か。


「……」


 とっさに呼ぶべき名が出てこない。名は知っているが、ぼんやりした心地で呼ぶには他人行儀な名前だった。

 とりとめなく、その名を探り当てようと思考が空回りする。その間に、あっさり寝台に移されてしまった。目を丸くしていると、視線があった。慌てるでもなく、実に落ち着いている。


「起してしまったか」


 ぶっきらぼうな言葉には、詫びるような響きもある。驚きの余り言葉もない青蘭を寝台に横たえると、彼はあっさり手を引いた。


「よく眠っていると思ったのだが」

「――」


 ぱくぱくといたずらに口を開閉するさまに、王太子はぷっと小さくふきだした。

 青蘭は慌てて上半身を起こす。むっとして眉をひそめつつも、言い返す言葉が出てこない。そんな様子を面白がるように、彼は青蘭の髪をくしゃくしゃと掻き乱す。


「なんだ、襲われるとでも思うたか? 残念ながら、吾は男と子供には食指が動かぬ。安心せよ」


 力づくで頷かせるような仕草に、いよいよ青蘭の怒りは沸点に達した。


「失礼な!」


 その手をはたき落とし、かみつかんばかりの勢いで抗議する。

 王太子は驚いたように目を瞠ったが、じきに愉快そうに眼を眇める。それがまた、気に障る。


「ほう、では、手をつけてもよいのか?」


 青蘭の体の両脇に手をつき、口の端をゆがめながら顔を近づける。

 その途端に青蘭は体をこわばらせる。予定通り婚儀が済んでいれば、そうなっていてもおかしくはない時間だ。まったく男女の間に無知なまま嫁ぐわけではない。知識だけとはいえ、夫婦になるのがどういうことは承知している。覚悟はしていたはずだが、婚儀の前にそれどころではなくなってしまい。そんなものはいつの間にか遠いものになっていた。


「だ、駄目です! だ、だいたい、殿下は、ひ、妃殿下にしか手をおつけにはならないでしょう!?」


 青蘭は必死の態で叫ぶ。そもそもその妃殿下は自分なのだが、今はとりあえず雪蘭なので、自分のことではないと棚に上げる。

 青蘭のあまりに悪あがきな態に、王太子は酷薄な笑みを浮かべて間近で見据える。その目のいろに明らかなからかいを見出して、青蘭は眉をひそめる。


「それはあくまで理想だ。男とはそういう衝動を堪えるのが難しい時がある――いったい、それがどういうことか、そなたは存じておるのか?」

「知っています」

「――ほお?」


 息がかかるほど顔を寄せ、王太子は青蘭の目をのぞきこむ。そこにあるのはあくまで面白半分に楽しんでいるだけの気色。青蘭は手探りでたどりついた枕をきつく掴むと、勢いよくその顔に叩きつけた。

 それはふかふかの羽根枕だった。いくら力ませに殴りつけたところで、たいした衝撃は与えない。羽根が飛び散り、枕は静かに二人の間に落ちる。思いがけない攻撃をまともに食らった王太子はとっさに目を閉じたらしいが、枕が落ちる頃には呆れたように青蘭を見据えていた。

 青蘭は再び枕を掴む。その指先が白くなっているのを見ると、彼はおとなしく身を引き、立ち上がった。


「色気の欠片もないな――本当にどういうことか、知っているのか?」

「……だから、知ってます」


 青蘭は王太子を睨みつけながら、嫁ぐ前に伝授された一通りを滔々と並べ立てた。それを聞いた彼は、心底うんざりした顔を見せる。


「そなたに手をつけるくらいなら、心得のある男の方がまだましというもの」


 間違ったことは云っていないはずだった。青蘭は何故彼がそんな表情でそんな台詞を吐くのか、まったく理解できない。


「……男と子供には食指が動かぬのではないのですが?」


 見当違いな言葉に、王太子は小さく息を吐く。


「なまじな子供より男の方がましなほどだ――子守はごめんこうむる」

「――な、なにか間違ったことを申しましたか?」


 勇気を振り絞って問えば、さらにげんなりしたような視線が返ってきた。


「間違っておらぬが、間違っておる」

「……?」


 困惑顔で眉をひそめて悩む青蘭の頭を、王太子は乱暴に掻き撫でる。


「分からぬかぎりは子供だということだ」

「……仰ることがわかりません」

「己で考えよ」


 突き放すように云い切ると、そのまま乱暴に青蘭の肩を押して横にならせ、頭まで布団をかぶせてしまう。もごもごと足掻くのを布団の上から押さえつけ、「さっさと眠れ」と命じた。

 青蘭がおとなしくなると、ようやく手が離れる。青蘭は寝台に手をついて起き上がり、反対に王太子の腕を掴んだ。


「寝台は殿下がお使いください。私は床で寝ます」

「なにを――」

「私は小姓としてお仕えすると決めたのです。主従のけじめはきちんとつけねばなりません」


 きっぱりと言い切ると、唖然とする彼を押しのける。寝台から降りると、その下から寝具一式を引きずり出し、手早く整えるとさっさと布団にもぐりこんでしまった。

 王太子は寝台に腰かけ、呆れたように丸くなった布団の膨らみを見つめる。その背中は主に向けられているらしい。説得しようにも、断固として拒む気迫に満ちている。

 結局あきらめたような大きなため息が漏れ、じきに灯りが消された。

 暗闇が満ちると青蘭はほっとして、あっさりと眠りの縁に陥落する。

 そして、翌朝目覚めてみれば、いつのまにか寝台にうつされていたのだった。


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