終章 7
嵜州侯を中心とした青蘭方も、かねてからの予定どおりに兵を進めていた。
蒼杞方との衝突までに、西葉南部からのぼってくる、李州侯率いる南部勢の到着が間に合うかどうかは微妙な事態だ。
最悪の事態を想定しての布陣は、先行している南部勢の精鋭の到着や南部勢本体の到着も、有効に使えるようにも配慮されていた。
平原の真っ只中にある嵜州城は、守るには向いていない。蒼杞勢の動きを悟ると同時に、碧柊たちは軍を山城にうつしていた。
山の背からのびる支脈の一つ。広大な西葉の平原を分断するように横切る山々の頂の一つに、その山城は築かれている。さほど高い山ではないが、傾斜がきつく起伏に富んでいる。
さらにその麓には深い森が広がっている。砦の在り処を知ることは難く、兵を森が隠してくれる。雨の多いこの季節に、その森を焼き払うことは難しい。
守るには易く、攻めるには難い。
森のなかは湿度が高く空気が冷たいが、雨の中、遮るもののない平野に天幕を張るよりはいくらかましだった。
西葉と東葉の間の戦いは長く続いてきたが、国境地帯と王都周辺をのぞくほとんどの土地は長く争いとは無縁だった。そのため、この城も古い時代に築かれ長く放置されてきた。
この戦いをあらかじめ想定していた里桂の指示の下、ひそかに手を加えられいくらかましにはなっている。それでも東葉のそれと比べればお粗末といわざるを得ない。
東葉では、一度も戦地になったことがない土地であっても、西葉や翼波との国境近くには必ず砦や要塞が築かれ、常に戦いに耐えられるように整備されている。
常に東葉は東西の隣国と臨戦状態にあったせいもあるが、西葉とてこの百年の間東葉と戦ってきたのだ。碧柊とすれば怠惰と断ぜざるを得ない。
山城に入った碧柊は、とりあえず目につく点をいくつか改善させた。東葉王太子の差し出口に異議を唱える者もあったが、理路整然とその理由を述べられるとそれ以上反対できるものはいなかった。
黙ってその成り行きを見守っていた里桂は、碧柊と二人きりになると苦笑まじりに尋ねた。
「果たしてこれで持ち堪えられましょうか?」
「持ちこたえてもらわねばなるまい」
碧柊は感情のこもらない声でそう返し、壁にもたれかかる。
腕を組んで室内を見回す。薄暗いのは雨天のせいばかりではない。湿気まじりの風が吹き込み、着込んでいるにも関わらず肌を粟立たせる。
むき出しの石壁は寒々しく、窓をふさいでいたはずの鎧戸も片方が失われている。城攻めとなった場合でも、最奥のここまで敵の矢が届く可能性は低いため、修繕は後回しにされていた。
「城のつくりそのものは悪くない。だが、後世に加えられた手の方がまずい。西葉では築城技術が落ちたのではないか」
「否めませんね」
里桂は同意せざるを得なかった。嵜州城にしても、新しい建物の方が先にがたが来るような現状にある。
「しかし今はこれで臨むしかない。籠城戦が長引き、この森を焼き払われてじかに攻められるような状況になれば致命的だ。そうならぬように努めるしかあるまい」
「蒼杞殿は到着次第攻めてまいりましょうな」
「南部勢が合流する前に少しでも叩いておきたいだろうからな」
「それに明柊殿が加われば」
「不利だな」
わざわざ言葉にするまでもないことを並べる里桂に、碧柊は怪訝そうに眉根を寄せる。
「と、皆、考えておりましょうな」
「そうでなければ正気とは云えまい」
現状の厳しさは日の目を見る明らかだ。それを認識できていないようでは問題外だ。そんなことに念を押してみせる里桂に、碧柊は納得できない顔をみせた。
里桂はその咎めるわけではないが、厳しい眼差しにふっと口元をゆるめる。
「やはり殿下は東葉の王太子でいらっしゃる」
「――故に西葉式の迂遠な物言いは分かりかねる」
「これは失礼」
里桂はにやりと笑い、王配に向き直った。
「殿下もお察しの通り、未だに西葉の者たちの認識はこの状況を受け入れられていないのです」
「――」
碧柊もそれを承知しているのか、無言のままでいる。
その沈黙を肯定と受け取ったのか、里桂は言葉を続ける。
「常に翼波と我が国との戦いにさらされていた東葉と違い、西葉は国土のほとんどが戦地となることもなく、戦時であってもどこか他人事のようにして過ごしてきました。春先の敗戦でも、敗れはしたものの、結局のところ兵力を失っただけで、貴族とて領地を失ったわけではありません。下々の人々の生活はほとんど変わっていないような状況です」
それがどういうことか分かりますかと問うような眼差しに、碧柊は小さく息をついた。
「……相変わらず他人事のままということか」
「そういうことです」
痛いところをつかれたように青年はわずかに目を眇め、視線を壊れたままの窓へと流す。こぼれた呟きは独り言に近かった。
「――戦後処理が甘かったか……」
「しかし、それは理由あっての処置だったのでは?」
「そうだ――だが、明柊は甘すぎると反対していた」
里桂にとっては初耳だった。
その甘すぎる戦後処理を取り仕切ったのは、他ならぬ明柊本人だった。すでにその時点で蒼杞と結んでいたのだろう。
甘すぎると非難しておきながら、さらにそれを骨抜きにする。明柊の意図はいったい那辺にあったというのか。
「……」
「ともかく、この現状は変わらぬ。たとえそうであっても、このまま戦いに臨むしかない」
碧柊は強い口調で断言したが、その表情は浮かない。良い材料は一つもないように思われた。
それを感じとってか、里桂も小さく息をついた。
「――士気を上げるのは難しいでしょう」
旗頭となるべき青蘭は聖地にある。彼女あっての戦いだからこそ、その身をもっとも安全な地にとどめることを決めたのは、青蘭ではなく碧柊たちだった。
あらかじめ予測していたことではあったが、やはり痛手にはちがいなかった。