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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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終章 6

 穀倉地帯は稔りの季節を迎え、黄金の海原となっていた。秋の雨はまだ続いている。

 軒車のなかから静かに降り続くさまを眺めながら、青蘭はやや安堵していた。

 雨は足場を悪くするが、それは両軍に共通することだ。少なくともこの雨では、収穫を控えた沃野に火が放たれることはないだろう。

 青蘭が聖地をあとにした時点では、まだ蒼杞が南下を開始したという報せは届いていなかった。夕刻に湖を渡り、聖地の対岸についたところで西葉王家の軍が動き出したことと知らされた。

 明柊もまた、東葉軍が国境を越えればそのまま六華ではなく、嵜州を目指すだろう。そのまま蒼杞軍と合流することは明らかだ。誰もがそれを無言のまま思い至り、重い沈黙のまま顔を見合わせた。

 一行のなかには祥香や袁楊の他に、大神官成昊の遣使として、権大神官の姿もある。権大神官は常に二人おり、大神官の補佐に当たる。そのうちの一人を遣わしたということは、神殿が青蘭を正式な女王として認めたという証に他ならない。

 青蘭は険しい表情で沈思しがちだった。気がつけば指先が太刀の柄に触れている。長かったようで短かった、あの逃避行の間に身についてしまった癖らしい。得物が手元にあると、とりあえず落ち着くことができた。

 今、青蘭は髪を無造作に束ね、男物を身にまとっている。外套の頭巾を目深にかぶり、その腰には太刀の柄がのぞいている。俯きがちにして黙っていれば少年に見えなくもないが、毅然と顔を上げると若い女性に違いない。

 祥香ははじめて会ったときと比べて、青蘭の印象が変わったことを感じていた。それが何故なのか、傍で彼女を見ていれば一目瞭然だ。正式に即位し、気持ちの通じ合った相手を夫と出来れば、どのような困難も乗り越えていけるだろう。

 青蘭が外套の下に佩いている太刀は、神殿から預けられたものである。神殿の根幹にかかわるものであり、この国と王家のはじまりに深く根ざすもの。それは、青蘭が即位の儀で手にした神刀に他ならない。

 儀式のときには血に濡れたように見えた刀身も、実際に受取り抜刀してみるとごく普通の太刀だった。刀身の長さや反り具合などが古めかしい以外、これといった特徴はない。千年を超える時を経ているというのに、その刀身には曇り一つない。青味がかって見えるほどに冴え冴えとした鋼の輝き。

 一緒に渡された鞘も簡素なものだった。なにかの皮をなめしただけの、黒一色のこしらえ。とても儀典用とは思えない実際さであり、実用本位としか云いようがない。

 この飾り気のない太刀を見て、誰が神刀だと思うだろうか。そして、西葉王都にある、女神の盾もこれとよく似た作りだった。

 実際に手にしてみると、それは不思議なほど青蘭の手によくなじんだ。あまりにしっくりくるため、彼女はむしろ違和感を抱いた。

 太刀の長さは青蘭にぴったりだった。青蘭は特に大柄なわけではないから、もともと女性用に鍛えられたものなのだろう。

 はじめにこの太刀をふるったのは誰なのか。この刃を身に受けた者は誰なのか。あの血糊は人のものだったのだろうか。

 ついつい考えこみそうになり、即位の儀で抱いた印象を振り払う。考えてみたところで分かるはずもない。この神刀が本当に女神のものなのかどうか。その真偽を図ることなどできない。

 意味があるのは神刀として、神殿の神体として、長きにわたり祀られてきたことにある。それを“正統な女神の娘”である青蘭が持つことに意味にある。

 青蘭が目に見えない権威なら、神刀は目に見える権威ともなる。

 この劣勢をひっくり返すには、それが最も大きな力となり得る。あとはそれの用い方だ。

 兄が進軍を開始したという報せに、青蘭は動揺しなかった。

 聖地を先に発った碧柊が、蒼杞や明柊の動きを予測した内容は厳しいものだった。現状はその予測が当たっただけだともいえる。

 あらかじめそれを聞かされていた青蘭は、碧柊の事態を読む目の確かさを噛みしめていた。彼は本当の戦上手は明柊だと繰り返し口にしていたが、碧柊自身も確固たる力を持っている。

 碧柊に卑下する癖はないが、自分自身を含むあらゆることをやや冷静に判断しすぎているのかもしれない。明柊の案を採用するかどうかを決めていたのは碧柊だった。それは全体が見えていなければ出来ることではない。

 冷静な青蘭を、居合わせた袁楊は頼もしく感じていた。

 峠の落石で碧柊が意識を失っている間、青蘭は一人でも見事に立ち回っていた。だが、今思い返してみれば虚勢も見え隠れしていた。それが露呈したのは東葉の王太子が回復してからだ。

 あからさまに甘えるわけではないが、彼がいると力みの抜けた表情を見せるようになった。理由は明白だった。その結果が事態の妨げとなるわけではないため、特に誰も異議をはさみはしなかったが。

 そして、今の彼女はごく自然に落ち着いているように見える。女王として即位したことで意識を新たにしたのか、それとも恋人との絆を確かなものにした故に安定しているのか。

 ともかく、悪い傾向ではない。


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