終章 5
もたらされたその報せは、一瞬にして室内の空気を重いものに変えた。
「蒼杞殿が軍を率いていて南下を開始した」
届けられたばかりの報告書を読み上げたのは、嵜州公里桂だった。
嵜州城の一角の司令室を兼ねた広間には、様々な意匠の鎧に身を固めた男たちが思い思いにくつろいでいた。
その顔ぶれは平均的に若い。彼等は先代の家長であった祖父や父・兄などを亡くしたばかりで、急遽跡目を継ぐことになった青年貴族たちがほとんどだった。その原因もまた共通している。新たな西葉王を自称している蒼杞による、粛清という名の殺戮の餌食となったのだった。
「どうやら明柊殿は本隊をゆるゆると進めながら、自分は先に国境地帯へ入り蒼杞殿と接触を図っていたようだ。いったん蒼杞殿と対立する姿勢をみせておきながら、どのようにしてか蒼杞殿をいいくるめ、再び手を結ぶことに成功したようだ。後顧の憂いのなくなった蒼杞殿は、そのまま南下を決めたらしい」
若い当主達は無言のまま顔を見合わせる。主に嵜州の近くに領地を持つ貴族たちであり、青蘭登極の報と共に嵜州城に集まってきた。身内を蒼杞に殺された彼等は、正統な継承権をもつ青蘭に喜んで宝印を捧げたが、未だ女王その人との目通りはかなっていない。
「――筋書きとしては最悪のものとなりそうだ」
里桂はそう付け加えながら、報告書を丸めて傍らの椅子に腰かけた青年に手渡す。
無造作に受け取ったそれに目を通すのは碧柊だった。その面にはどのような感慨も読みとれない。冷淡ともいえるほど落ち着いた様子で目を通し、付け加えた。
「おそらくは対立したように見せかけていただけだろう。吾等の動きを誘うための陽動だったのかも知れぬ――明柊ならばやりそうなことだ」
こともなげに言ってのける碧柊に、無言の棘が集まる。里桂と岑家以外の者たちは、碧柊が青蘭の夫に選ばれたことを知らない。
碧柊は国を追われた亡命者としか思われていない上、長年敵対してきた国の王太子でもある。反感の混じった視線が集まるのも無理はない。
そんな碧柊が西葉貴族に混じってここに居り、当然のように里桂の傍らにあるのも納得いかないのだろう。手勢もなくここに混じっていることが、そもそもありえないと考えている者もいる。
「だが、想定内のことでもある。うろたえるほどのことではなかろう」
明柊と共に幾多の戦いを切り抜けてきた彼は、誰よりも明柊を知っているともいえる。その付き合いの長さと深さ故に、従兄が何をしでかしたとしても多少のことでは驚かない。蒼杞と手を結んで叔父である碧柊の父を始末し、味方のふりをして碧柊に刃を向け、今は偽王を祭り上げて西葉に向かっている。これ以上驚くことは難しくもある。
明柊の手の内をもっともよく知ることができる立場にありながら、今回の反逆を防げなかった非難も少なからずまじっている。蒼杞一人で今回のことが成せたわけはなく、変わり身の早さや手口の鮮やかさから、自然と首謀者は明柊だとみなされるようになっていた。だからといって蒼杞の残虐な行いまで彼のせいではないが、こうなれば同罪とみなされても仕方がない。まんまと国を追われた碧柊が平然としていることに、非難が集まるのも仕方ないことではあった。
「打つべき手は打ってあるのであろう、今さら狼狽する必要はあるまい」
碧柊にしてみればこの程度のことで騒めくほうが不思議だった。
あらゆる事態を想定して備える。その上で裏をかかれたのであれば急遽手を打つ必要もあるが、一々動揺していたのではきりがない。奇襲を得意とする翼波相手にさんざん煮え湯を飲まされてきた碧柊にとっては、比較的冷静な里桂でさえ甘く見える。
「戦においては吾に分がある。連戦連敗のそなたたちだけでは心もとないのは、少々頭に血がのぼっておっても分かろう」
冷淡な声音に嘲りのいろはない。ただ冷静に事実を述べるからこそ、聞くものの怒りを刺激する。彼のいうことは正しく事実であり、ただの亡命者と侮るには確かな実力を示してきている。何度も敗れ、敗戦の苦さを噛み締めたのは他ならぬ彼らだった。
碧柊がわざと彼らを挑発していることは、里桂にはわかった。考えのあってのことだろうとあえて口を挟まない里桂の心中を察したように、碧柊は悠然としている。
「いったいどのようにして助力してくださると?」
皮肉な口ぶりで碧柊をねめつけたのは、家紋を銀で装飾しただけの地味な鎧に身を包んだ青年貴族だった。
「戦とは水もの。その時々の状況に相応しい対処の仕方がある。それを一々説明せよと? あいにく講座を設ける気はない」
碧柊はちらりと青年貴族を一瞥しただけで、相手にする気もないという態度をあらわにした。青年貴族はぴくりと眉を動かすと、うっすらと笑みを浮かべた。
「それではそのお手並みを楽しみにさせていただきましょう」
彼がそれ以上食い下がることはなかった。これが東葉であれば、もっと感情をむき出しにして食い下がってくるだろう。老獪な西葉と、国として未だに若い東葉の違いを碧柊も感じていた。
蒼杞と明柊が睨み合いになり、動けなくなると予想はしていたが、だからといって碧柊たちも事態を甘く見て手をこまねいていたわけではない。
明柊と共に幾多の戦いを制してきた碧柊は、もっとも彼をよく知っているとも云える。最悪の事態を予測していたため、打てる手は打ってあった。
嵜州に集められるだけの兵を集め、さらに西葉南部の貴族たちがひそかに隠していた武器で武装した一団を李州侯が率いて登ってきつつある。
西葉の王統家はすべて青蘭を支持している。貴族もほとんどといっていいほどの数が同じ姿勢を示している。
唯一東葉による武装解除を免れた王家直属軍に対し、王統家貴族連合は総数では勝っているが、まだ全勢力が結集したわけではない。いまだに不利には変わりない。
西葉王家直属軍に明柊率いる東葉軍が合流すれば、事態はかなり不利となる。東葉南部の嶄州に潜んでいた綾罧による働きかけで、東葉軍の内部離反をどれだけ促されるかにすべてがかかっていると言ってよかった。
大儀は青蘭のもとにあるとはいえ、薄氷を踏むような危うさは変わらない。碧柊はそれを思うと肝が冷えるよりは、腹が座るようだった。
明柊は国を滅ぼしてもいいとすら考えているのかもしれない。もし最終的な勝者が明柊となれば、国内がすみやかに治まるとは考えられない。翼波は虎視眈々と隙をうかがっている。おそらくは好機を逃すまいと攻め込んでくるだろう。そうなった場合の勝算は、いくら戦上手の明柊とはいえ高いはずはない。
碧柊は青蘭と共に国が平らかに安んじることを望んでいる。勝算がどうであれ、勝つことへの執着は明柊に勝っているはずだ。
「李州侯の到着はいつ頃になりそうだ?」
「早くて明晩。精鋭隊を先に向かわせてくれているが、戦局を大きく好転させる材料とはならないでしょう」
碧柊の問いに答える里桂の声もかたい。
「蒼杞軍を内部から切り崩すことができれば違ってくるのだがな」
「明柊殿が雪蘭殿を堂々と女王として担ぎ出したために、青蘭様の登極を信じ切れずに戸惑っているものも多いのでしょう」
それは実際本当のことだった。東葉に嫁ぐために青蘭が翠華に滞在していたことまでは誰もが知るところである。
それが騒乱のどさくさに紛れて翠華の王城を脱出し、山の背を越えて突如聖地において即位したと聞かされても、その真偽を問わずにそのまま鵜呑みにする者はまずいないだろう。大神官がその即位を認め、女神の眠る本殿で即位の儀が執り行われたからこそ、辛うじて信憑性は増している。それがなければ空言にすぎない。