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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第8章 偽り 15

 うっすらと目を開ければ、視界はまだ薄暗い。半ば寝ぼけた頭でまだ夜が明けていないわけではなく、この地の朝の到来の遅いことを思いだす。

 いつもどおりの目覚めならば、もう朝といっていい時間帯のはず。

 青蘭は眠気の宿る眼をこすりながら二度寝の誘惑と戦うように寝返りをうち、そこに自分とは別の温もりを感じた。


「……せつ、らん? 」


 いつの間に彼女が聖地にやってきたのだろう。それとも長い夢を見ていたのだろうか。記憶はないが、いつのまにか雪蘭が寝台に潜り込んでいたのか、それとも青蘭の方からおしかけたのか。

 探るように伸ばした手が優しく包み込まれる。細い指先を絡みとる指は雪蘭のものにしては太く節くれだっている。笑いを押し殺すような気配も伝わってくる。その指の感触といい、低い忍び笑いといい、雪蘭のものではない。

 青蘭は不可解に思いながら顔を上げ、かたまった。


「残念ながら雪蘭殿ではない」


 わずかに申し訳なさそうに応え、きょとんと彼を見上げている妻となった娘の髪をそっと梳く。

 かもじを外した髪は未だに短い。痛々しいほどだが、幼い子供の髪を思わせるその長さは、あどけない表情を愛らしくも見せる。

 滑らかな髪を一房手にとり口づける。それから指と指をからめた方の彼女の手の甲にも。

 髪をからめとる方の彼の腕を枕にしていたことに、青蘭はようやく気付く。同じ一室で夜を過ごしたことはあるが、こんな風に朝を迎えたのはもちろん初めてだった。

 同時に昨日の即位の儀から続いたあれこれが瞬時に蘇る。とっさに耳まで赤くして顔を伏せた。

 その仕草にようやく彼女が事態を思いだしたらしいと察した碧柊は、そっと細い体を抱きよせその額に唇を寄せる。


「よく休めたか? 」

「……はい」


 広い裸の胸に抱き寄せられたまま、青蘭は小さく縮こまってぎこちなく頷いた。

 昨日の即位の儀で<盾>を、すなわち自分の夫となる者を選んだのは青蘭自身だ。即位の儀が同時に婚儀も兼ねていることは分かっていたし、その夜になにが営まれるかも承知はしていた、が。

 実際に夫婦になってみると、気恥ずかしくてまともに顔を見ることもできない。今更ながら、あの苓南の砦で彼が自分を子供だと評した意味を情けなく噛みしめる。

 花嫁の恥じらいか、それとも情事のあとの羞恥か。碧柊はなかなか顔を上げられないでいる妻の耳に唇を寄せる。


「起床にはまだ少々早い。もう一眠りなさるか、それとも――」


 熱い吐息を耳に感じながら、さらに体ごと抱きすくめられる。

 胸が早鐘を打ち、こめかみが脈動してなにも考えられなくなる。甘い熱に流されそうになったその時、体の芯が鈍く疼いた。

 思わず痛みに眉をひそめ、何故か同時に昨日からひきずっていた疑問が口をついてでた。


「昨日の……」

「ん? 」


 不穏な動きをみせていた手が止まる。


「昨日の、あの、儀式のおりのあの大刀たちを、ご覧になりました? 」

「ああ、見た」


 それがどうした、とは問われなかった。青蘭の気がかりがなになのか、彼にも見当がついたのだろう。


「あれは……あの血は新しいもののようでした――けれど、誰も怪我など負っていなかった。あれは、いったいどなたのものだったのでしょう」

「――六華の王城の宝物庫には盾があるのだな?」

「ええ」


 それは本来ならば即位式で用いられる神器だ。


「盾と太刀は一揃えだ。では、六華に神器の太刀はあるか?」

 

 その問いに、青蘭はそれまでの気恥ずかしさも忘れて顔を上げた。云われてみればそうなのだが、これまで何故か思いつきもしなかった。


「宝物庫にはありませんでした」

「盾は女神の夫をあらわす。では、太刀は?」


 青蘭を見つめる碧柊の目にも熱の名残はない。


「太刀は女神の象徴――では、あれは神が自らふるわれたものだと?」


 神器を伝えてきたのが王家だけとは限らない。神殿の太刀が神器だということは事前に知らされていたが、その由来までは聞いていなかった。女神に由来するものであることは確実で、それが神のふるった得物である可能性は十分ある。

 しかし、問題はそういうことではない。あの血が誰のものかということだ。そして、あの泉の色は――


「女神はこの地で亡くなられたのだったな」

「ええ……けれど、どのように亡くなられたのかまでは伝わっていない……」

「太刀が女神の象徴だからといって、あの大刀が即ち神のものとは限らぬ。盾と太刀は一揃えで持つもの。持ち主が同じ人物である可能性は高い。盾を持つ者が女神の夫その人であれば、太刀もまた彼の人のものである可能性もあろう」

「――では、あの血は?」


 刃をふるうものがあれば、それをふるわれるものもいる。

 ましてやあの刀身を汚す鮮血が神のものであれば、いつまでも新しく見えてもおかしくはない。

 青蘭は不吉な考えに顔を強張らせる。碧柊はそのこわばりをとくように頬に唇を滑らせ、そっと離した。だが、彼女は依然話題の方に気をとられているらしい。


「あの泉のものだろう。われら三人が本殿についた時、すでに大神官が太刀を手にあそこにいた」


 顔にかかる髪を指先ですくって払ってやる。青蘭はそれにすら意識を払わない。

 納得できない顔で碧柊を見据える。彼を睨みつけたところで謎が解明されるわけではないが、ほかに気持ちのやり場がなかった。


「あれが泉の水だなどと、本気で考えておられるのですか? それに、あの泉の色だって――」


 言い募ろうとする唇を塞がれる。啄ばむような口づけだけで顔を遠ざけると、碧柊は苦笑しながら溜息をついた。


「あなたは知らぬかもしれぬが、地中の鉱物の影響でああいう色合いになることはある。それでも納得できぬというなら、吾が生きて戻ってからいくらでもこの疑問に付き合おう」


 さり気なく付け加えられた、生きて戻ってからという件に、青蘭の顔がさっと翳る。

 完全に朝が来れば、あとはしばしの別離がまっている。しばしとはいえ、実際にはどれほどになるか誰にも分からない。そして、再会がかなうかどうかさえも。

 じきに眦が熱くなる。溢れそうになるものを感じ、青蘭は顔を伏せた。これまでずっと考えないようにしていた不安や恐れといった負の感情が一気にこみあげる。堪えようとしても温かなものがとめどなく頬を濡らす。

 そっと仰向けさせられ、頬に温もりを感じる。何度も口づけを落とされて、青蘭はますます涙を堪えるのが難しくなる。しまいには小さくしゃくりあげはじめた。

 それに碧柊は愛しむような笑みを浮かべ、耳朶に唇を寄せる。


「――大神官が云っていたろう。人の生は血潮の洗礼を受けてはじまると。ということは、母親は必ず血を流すということだ。そうして流される血は尊い。だからこそ神官の正装は赤が選ばれる。そして、昨夜はあなたも血を流した」

「……!」


 その囁きの意味を解すや、青蘭は耳まで赤くして碧柊の胸を叩いた。抗議するように何度も叩きながらも、ついに顔を上げることはできなかった。


「残された時間は短い。如何なさる?」


 その囁きに甘さよりも切実さを感じとった青蘭は、おずおずと自分から彼の背に腕をまわした。




 東葉王都・翠華すいかには続々と兵が集まりつつある。

 西葉・東葉共に王都は国の北部に位置する。

 遠い南部には直接目が行き届きにくいため、王領がいくつも置かれ、そこを治める王統家には近隣の貴族たちの動向を監視する役割もあった。    

 明柊の呼びかけに応じる者は王都に近い貴族ほど多く、南部から従う者は少ないようだった。蒼杞の惨禍による当主交代などの混乱の影響も大きいのだろうし、現実に距離の問題もある。

 応じる気があっても王都に至るまでには、いくつもの他の貴族の領地を抜けねばならず、実際領地が遠ければ遠いほど間に合うはずがなかった。

 西葉は先の敗戦を受けて大きく兵力を削られており、実質的に敵となるのは蒼杞に従う西葉王家の直属軍のみ。それにあたるには東葉王家の軍と北部貴族たちの兵力だけで十分だった。

 雪蘭は明柊に乞われるままに、何度も貴族たちの前に姿をさらした。直接言葉を発することはなくとも、それだけで効果は十分だった。

 そして、いよいよ明日は出陣という前日。

 雪蘭はこの日の来るのを首を長くして待っていた。

 西葉の国内情勢は混沌としており、いつ内乱が起こってもおかしくはない。渡る術が小舟に限られ、その監視も厳しい聖地であれば他にいるよりは安全とはいえ、青蘭の身にいつなにが起こるか分からない。

 もし青蘭の身になにか起こったとしても、その報せが雪蘭のもとに届くのは数日後のことになってしまう。合理的な考えの持ち主である彼女だが、青蘭の身になにかあればその瞬間にきっと自分にもわかるはずだという理不尽な確信があった。

 恐れているのは虫の知らせというべき、嫌な感じがすることだった。だが、それを感じることなく青蘭が即位する日を迎えた。

 あとはつつがなく式が終われば、雪蘭の役割も終わる。

 



 夜になれば明柊が当然のように寝所にやってくる。

 彼は結局一度も雪蘭に触れていない。それが半ば当たり前のようになっていたため油断していたわけではないが、不意に組み敷かれて雪蘭は思わず身をかたくした。


「なにやら今宵はご機嫌がよろしいようですね」


 艶然と微笑み、優しく囁きかける。抵抗したわけでもないのに手首をつかまれ床に縫いつけられる。決して乱暴ではないが、優しい仕草でもなかった。


「――気のせいでしょう」

「そうは思えない。理由をお聞かせいただけますか?」


 顔が近付く。のしかかる体も重い。その声音は限りなく優しく、見つめる眼差しは甘くすらある。にもかかわらず、雪蘭はいたぶられているような気がした。 

 雪蘭は臆することなく無表情に彼を見つめかえす。


「あなたの気のせいです」


 静かに断言すれば、彼は何故か嬉しそうに微笑んだ。


「――機嫌がいいのはむしろあなたの方でしょう」


 実際に彼の機嫌の善し悪しを見極めるのは難しい。一瞬で悟ることができるのは、乳母子のれい秦旗しんきくらいのものだろう。それでも雪蘭にも少しずつではあるが、なんとなくわかるようになっていた。

 その言葉に、明柊は笑みを深くする。


「御明察です。さすがは青蘭殿だ。聡くていらっしゃる」

「なにか良いことでも?」

「そうですよ。それがなにかは、あなたなら分かっておられるのではありませんか、聡明な青蘭殿?」


 耳朶に吐息がかかる。雪蘭は無意識に身じろぎする。

 明柊はその仕草に口の端を歪める。ほとんど唇が重なりそうなほど顔を近づけても、雪蘭はたじろがない。つい先ごろまでは押し返す力を失っていたが、どうやら本来を取り戻しつつあるらしい。


「人の心の内など分かるはずもありません」


 静かに否定する。明柊は小さく笑いながら雪蘭の額に口づけ、ごろりとその隣に転がった。

 雪蘭はようやく解放され、思わず深々と息を吐く。


「良い夢を」


 ほっとした様子の娘をからかうような笑みを浮かべてそう囁くと、明柊は背を向けてしまった。




 翌日。

 朝早くから翠華の王城には主だった貴族たちが集っていた。

 それぞれに華美をつくした家紋入りの鎧に身を固め、これまた思い思いに意匠をこらした兜を手にしている。

 腰に佩いた太刀も儀礼用ほどではないが、贅をつくしたものだった。

 女王の正装をまとった雪蘭が壇上に姿を現すと、静かなどよめきが生じる。

 今日という日を特別な日として、普段であれば城へ上がることも許されない下級貴族も登城を許されている。広間には豪奢な鎧兜姿のものから、質素というべきか質実剛健というべきか微妙な身ごしらえの者まで様々だった。

 まるで物見遊山にでも行くようだと、雪蘭は皮肉な想いで彼等を見つめる。

 出陣を前に、貴族たちに言葉を賜るのが役割だった。もちろん、直接口を開くことはない。すべて明柊の下書き通り、“青蘭女王”の言葉として伝えられる。そのはずだった。

 女王の登場に伴い、貴族たちは膝を折り、こうべを垂れる。

 優雅な足取りで彼等の前の横切り、玉座につくとその傍らに明柊が立つ。

 夫であり、実質的に東葉を治める彼が口を開く前に、雪蘭の澄んだ声が広間に響いた。


「この争乱は西葉の蒼杞と明柊が結託した結果です。そしてここにいる私は青蘭ではありません。私は偽物です。あなたがたの真の女王は昨日、聖地において即位なさいました。盾であり夫となったのは碧柊王太子です」 


 静寂が、その場を支配した。


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