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まだ見ぬ君に  作者: 苳子
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第8章 偽り 13

 遠慮がちにゆり起され、しぶしぶ眼をひらいた視界はまだ夜の余韻に満ちていた。

 ほのかな明かりを投げかける燭台を片手に、祥香が掛物に埋もれた青蘭の顔をのぞきこんでいた。

 昨夜よりはいくらか顔色はましになっている。香草茶が効いたのか、あれから短い時間でも体を休めることができたのだろう。

 それは青蘭も同じだった。短く語らいの後、寝台に潜り込むとあっけなく眠ってしまったらしい。即位式を間近に控えた緊張と、碧柊から受けた甘やかな時間の名残りで寝付けないのではないかと思っていたが、結局杞憂に終わった。


「お目覚めになれますか?」

「……ええ、もうそんな時間なのね?」

「はい。そろそろ空も白んでまいりました」


 いかにもまだ眠そうなくぐもった声で答えながら、目をこする。

 祥香は王女がもぞもぞと身動きしはじめたのを確かめると、窓を開け放った。 

 とたんに肌が泡立つような冷気と共に、澄んだ空気が流れ込んできた。空は晴れているが、湖面を渡ってくる風はいつも湿り気を帯びている。

 “山の背”の山影に位置する聖地の遅い朝が、ようやく来つつあった。高層に位置する貴賓室の窓にも、神殿の前の参道に押し寄せる参拝者たちの静かなどよめきが伝わってくる。

 まだ青蘭の即位の報はどこにも伝えられていない。今日と云う日に神殿を訪れた人々は、本当に偶然に“葉の女王”の即位に立ち会うことになる。

 どのような騒ぎになるのかと想像するだけで怖くなるが、もうここまでくれば腹を括るしかない。

 すべては青蘭の手から離れたところで進められてきた。

 女王となるのは青蘭自身なのに、その経緯の仔細を知らないことがおかしくも思われる。青蘭はこれまで自分の意志とは関係なく、他者に決められるままに流されてきた。

 だが、今回のことは青蘭自身が決意したことで、それは自分一人で成せることではとうていなかった。

 これから儀式にのぞむために整える衣装にしてもそうだ。仮の儀式とはいえ、それにふさわしいように準備を整えてくれたのは、祥香と袁楊をはじめとする人々っだった。用意された衣装を一人で身につけることもできない。

 青蘭のしようとしていることは、すべて誰かの手を借りずに出来ることではない。

 云われるままに寝台から降りると洗面をすませ、手渡された布で水気を拭う。それから等身大の鏡の前に立ち、たっぷりと時間をかけて衣装を着せかけられる。

 微妙に織りや色合いの異なる衣を何枚も重ねる。その度にわずかずつ重さが増していく。それらをまとめるために時折きつく締めつけられ、青蘭は顔を歪ませないようにするのがせいいっぱいだった。

 着付けが終われば、次は髪を結い、同時に化粧が施される。入念な仕上げには着付け以上の時間が費やされた。鏡の前に腰かけた青蘭は、もともと着飾ることにあまり興味がない。だからこうして飾り立てられることはむしろ苦痛に近いので、ただひたすら無表情で耐え忍ぶ他なかった。

 そうしながら、同じように支度を整えているのであろう碧柊のことを思う。

 誰も青蘭の前ではそのことに触れないが、碧柊は東葉の王太子であることに変わりはない。この春まで何度となく戦火を交わしてきた敵国の王族であり、とりわけここ数年は彼が陣頭に立つことが多かった。

 彼に対する反感を明らかにしたのは桂琉けいりゅうのみだが、他の誰しも内心では複雑な想いを抱えているのだろう。

 東葉との戦いで実際に身近なものを亡くしたわけではない青蘭は、東葉をはじめ碧柊に対しても敵愾心のようなものはもともと薄かった。

 客観的に見れば努力を怠り驕った西葉が負けるのは当然であり、敗戦の贖いで戦利品として東葉に嫁ぐのであっても、その結果両国が統一されるのであれば屈辱とも思わなかった。

 けれど、他の者たちは実際に東葉と何度も戦い、自ら傷ついたものもあれば、大切な者を失った者もいるだろう。

 それらはすべて戦争に伴う現実であり、碧柊の非ではない。同じく東葉でも負傷したものもあれば落命したものもあり、その者たちには家族があったはずだった。

 そうやって百年にわたり、断続的に両国は血を流し続けてきた。どのような形であれ、それに終止符を打つことができるのであれば、それだけで青蘭にとっては本望だった。

 青蘭に伴われ、単身敵国であった西葉に落ち延び、配下の近衛一人従えることのできない碧柊にとって、今の立場は決して居心地の良いものではないだろう。

 いっそ桂琉のように反感を露わにしてくれる者の方が、付き合いやすいのかもしれない。

 それでも彼は一言もそれについて口にすることはなかった。

 敵国にあっても碧柊は東葉の王太子であり、両国が手を携えて明柊と蒼杞に当たるには自分がいなければ事態の動かないことを熟知している。だからこそ、青蘭が彼を盾に選ぶであろうことに誰も異議を唱えられない。

 碧柊は国を身一つで追われたことで自分を卑下しなければ、切り札を持っていることをちらつかせるわけでもない。己の分をわきまえ、悠然としている。

 それを青蘭は頼もしくも思い、羨ましくも感じている。

 碧柊の態度を裏打ちしているのは、王太子として重ねてきた実績の数々なのだろう。その中には彼も云ったように失態も含まれる。失態は失態として、彼は受けとめてきた。だからこそこういう事態に至ってもいたずらに焦ることもなければ取り乱すこともなく、悠然としていられるのだろう。

 何事も雪蘭にまかせてきた青蘭には、実績と呼べるものは何一つない。だからこそ不安になればきりがない。けれど一人で即位するわけではない。

 碧柊は敬愛し、信頼できる配偶者となるだろう。

 それを見越しているからこそ、里桂や袁柳達は彼を盾の候補に加えることを、ひいては青蘭が彼を選ぶことを許したのだろう。

 東葉も西葉もともに血を流しすぎた。今、手を携えることができなければ、そう遠くない未来に翼波の前に膝を屈することになるかもしれない。

 今こそが正念場だった。 

 

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