3:漫画はあくまでもフィクションだ
『流れ進むのは我々だ、時ではない』
★
「どうする。どうする? どうする!」
俺はこの世界に来てから最大のパニックに陥っていた。
状況をゆっくりと整理したいが時間がない。
最初にこの世界に来た時と同じ時点に戻ったのだとすれば、もうすぐモンドのおっさん達がここに向かってくるはずだ。
見つかればまた捕まって牢屋で死ぬのは目に見えている。
なんとしてもここで捕まるわけにはいかない。
(でもどうする? こんな障害物が何もない平野じゃ隠れられないぞ。)
そんなことを考えている間に地平線に人の姿が見えた。
モンド達だ。
(クソ、ホントに来た!)
奴らの存在が、俺の身に死に戻り現象が発生したことを証明している。
俺は慌てて地面の剣を拾い、反対方向の森に向かって走った。
取りあえず森の入口付近の木の後ろに隠れた。
少し息を整えてから、そっと顔を出しておっさん達の位置を確認する。
三人がまっすぐこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
向かう方向にまったく迷いが見えない。
俺は再び木の後ろに隠れて、森の奥に進むかどうか考える。
生い茂った森はほとんど日光が差し込んでいないせいか、かなり暗い。
おまけに心なしか霧が出ているようにも見える。
いずれにせよ森の中は視界が相当悪いことは確かだ。
(こんなところで迷ったら死ぬまで出てこられないぞ……。)
いや、死んでも出てこれないかもしれない。
俺は森の中へと進む案を却下し、この場であの三人をやり過ごすことにした。
大木を背もたれにして座り込む。
(……。)
息を潜めて時間が過ぎるのを待つ。
見つかる可能性があるので迂闊に森の外を確認するわけにはいかない。
耳を澄ませていると、自分の心臓の音に混じって足音が徐々に大きくなってきたのがわかった。
(近い。たぶんそこまで来てるな。)
俺は呼吸音を聞き取られないようにゆっくりと、そして静かに息をする。
息を殺すってやつだ。
それはもうリキッドだかソリッドだかわからないダンボール使いになった気分で気配を殺す。
「確かこのはずだが……。いないじゃねぇか。森に入ったか?」
「どれどれ」
おっさんとエルネストの声が聞こえる。
近い。
たぶん俺と三人の間の距離は十メートルもない、すぐそこだ。
「そこにいるね、その木の裏」
エルネストの声に俺は驚愕する。
(木の裏? って……、ばれてるのか?!)
次の瞬間、激しい足音と共に視界の両脇から人影が飛び出してきた。
俺から見て左側からはモンド、右側からはモニカだ。
「見つけたぞ!」
ガシッ! ドン!
「ぐっ!」
慌てて立ち上がろうとした俺をモンドが腕で無理矢理押さえつける。
俺は碌な抵抗もできずに背後の大木に叩きつけられた。
「くそ!」
振り払おうにもモンドの太い腕は文字通りびくともしない。
(――なんでわかった?! そもそもなんで俺を……?)
ドスッ!
その疑問が浮かぶのと同時に、モンドの拳が俺の鳩尾にめり込む。
「うっ!」
息を殺していた影響で元々空気の少なかった肺から残りの空気がほぼ全て吐き出された。
酸欠の影響か、意識が急激に遠くなっていく。
それでも一度頭の中に浮かんだ疑問は消えずに残る。
(こいつら、なんで俺を狙ってるんだ?)
疑問が俺の頭の中をグルグル回り、やがて意識と共に落ちていった。
★
再び意識を取り戻した時、俺はまた例の牢屋の中にいた。
きっと気を失っている間に運ばれたんだろう。
窓からは月の明かりが差し込んでいた。
ということは、俺は最低でも半日は寝ていたことになる。
鉄格子のところに止まった金色の蝶が光を反射して輝いていた。
(痛え……。)
俺は体を起こそうとして腹部の痛みに動きを止めた。
痛むのはモンドにやられた箇所で間違いない。
(あのおっさんめ……。)
痛む部分を手でさすりながら体を起こす。
前回と違って今回は手錠をされていない。
(あのお姉さんに会っていないからか?)
確か、俺に手錠をしたのはあの人だったはずだ。
あの人のせいで牢屋に入れられたのかと思っていたが、どうやら影響は手錠の有無だけらしい。
だとすると、やはりあの三人は最初から牢屋に入れるつもりで俺のところへ来たのだろうか?
(……何のために?)
俺の中で疑問が復活する。
(わざわざ俺を殺すことに何の意味がある?)
視線の先、鉄格子の扉の近くにパンと水が置いてあるのに気が付いた。
俺はパンを取って手の平で転がす。
(おかしいといえばこれもだ。殺すならあの場でさっさと殺せばいいのに、どうしてわざわざ牢屋に入れて生かしておくんだ?)
パンを皿の上に戻す。
俺は周りに誰もいないのを確認してから、鉄格子に力を加えてみた。
前回同様、俺の力ではびくともしない。
(仮にこの後の展開が前回と同じだとすると、死ぬのは明日の昼か?)
前回の死因は毒のスープと見て間違いないだろう。
あれを飲まなければ、取りあえずは死を回避できると思う。
念のため、このパンや水も口にしない方が良さそうだ。
ただそうなると……。
(餓死する前になんとかしないとな……。)
何日も飲まず食わずでいたら流石に死ぬ、殺されなくても死ぬ。
その前になんとかここから逃げ出さないと。
俺は牢屋の入口を眺めた。
(可能性があるとしたらここぐらいか。)
誰かがここを開けた時に飛び出すぐらいしか脱出できる可能性はない気がする。
飢え死にするのが先か扉が開くのが先か。
とにかく体力をどれだけ温存できるかが勝負になりそうだ。
(……よし!)
俺は覚悟を決めて横になった。
例の少女が来るであろう通路に背を向けて横になりつつ様子を伺ったが、その夜は誰も来なかった。
★
次の日の昼過ぎ、俺は腹の虫が鳴るのをじっと我慢しながらその時を待っていた。
昼食は既に運ばれてきている。
例のコンソメスープも付いていた。
てっきりスープは俺の催促で追加されたのかと思っていたが違ったらしい。
どの道、俺にスープを飲ませることは決まっていたのだろう。
ガチャ。
(……来た!)
コツ、コツ、コツ。
扉の開いた音の後に少女の足音が近づいてくる。
俺は少女の来るであろう通路側にこれまで通り背を向けて寝たふりをする。
コツ、コツ……。
足音が俺の背後で止まった。
(さて、どうする?)
俺は昨日の夜に続き、今日の朝も食事に手を付けるのを我慢した。
そしてその後、食器を取りに来た少女を見てあることに気が付いた。
俺が食事を取ろうが取るまいが関係なく、どうやらこの子は食事が終わる時間を見計らって食器を取りに来るらしい、ということだ。
そのことに気が付いた俺は一つの仮説を立ててみた。
つまり、この少女は食器を必ず回収しなければならない立場なのではないか、ということだ。
彼女自身には何の決定権も無く、ただ言われた通りにするしかないのだとすると……。
――もしも食器の回収ができなかったらどうなる?
実は今回、食事の乗ったトレーを鉄格子からワザと遠くに移動させてある。
つまり鉄格子の外からでは届かない。
前回のループで俺に手錠をかけたお姉さんの様子を見る限り、それじゃあ仕方ないと許してもらえる文化でもなさそうだ。
となれば少女はなんとかしてトレーを回収しようとするはず。
そこで丁度いい具合に俺が寝ていたとしたら?
――トレーを回収するために扉を開けて中に入ってくるかもしれない。
俺は自分の思惑が当たってくれることを祈りつつ背後の様子に全神経を集中させた。
コツ、コツ、コツ。
しばらくして、少女の足音が俺の背後から遠のいていった。
(……ダメか?)
俺は目を開いてトレーの置いてあった場所を確認する。
トレーはまだ置いてあった。
失敗かと思った時、少女の向かった先でカチャカチャと何かの物音がした。
それが牢屋の鍵を取り出している音ではないかと即座に思い当たり、俺は慌てて寝たふりに戻った。
直後に少女がカチャカチャと金属音を伴って戻ってくる。
ガチャガチャ、カチャ。
忙しない金属音。
(間違いない、鍵だ!)
ギィィィ。
牢屋がゆっくりと開く。
少女が俺の様子を伺いながら恐る恐る牢の中に入ってくる。
トレーが置いてあるのは、俺の頭の上の方だ。
俺は薄く目を開けてタイミングを伺う。
(……。)
(……)
(――今だ!)
ドン!
「きゃ!」
トレーを取ろうした瞬間を狙って、俺は少女を突き飛ばした。
ドサッ!
側面から俺に突き飛ばされた少女はそのまま横に倒れ込む。
俺はその隙に走って牢の外へ。
「まっ、待って!」
女の子を突き飛ばした罪悪感を少し感じながらも、俺は出口に向かって走った。
状況が状況だ、仕方がない。
目の前に鉄の扉が迫る。
俺は夢中で扉に手を伸ばした。
「エアニードル!」
ドスッ!
「――!」
背後で少女の叫ぶ声が聞こえた直後、俺の腹部を背後から何かが勢いよく貫いた。
左脇腹付近から勢い良く血が噴き出す。
俺は痛みで全身が一瞬硬直した後、腹部を抑えて地面に倒れ込みながら後ろを見た。
視線の先では少女が細い棒をこちらに向けて構えている。
(魔法……、使い?)
今の俺にその疑問を口にする余裕はない。
ドサッ!
「うっ!」
地面に倒れた衝撃で激痛が走った。
少女が杖を向けたままこちらに近づいてくる。
(漫画とかだと、これぐらいじゃ死なないんだけどな……。)
だが現実は厳しい。
少年漫画でなら無事で済む傷でも、俺には致命傷だったみたいだ。
腹部から尚も溢れる血の温かさを感じながら、俺は意識を失った。