2:前哨戦
『過去や歴史になぜ価値があるのかと言えば、その一部はやり直しができないという点に起因する』
★
「ふう、ギリギリだったな」
夕日が沈みかけた頃、俺達は最寄り街へとたどり着いた。
そして俺は街の入口でへたり込んだ。
「あ、足痛い……。もう限界だ……。」
(体弱っ……)
モニカとエルネストが困惑した表情で俺に視線を送る。
これが漫画だったら汗マークが浮かんでいることだろう。
「がっはっは! なんだもうへばったのか。ほらもう少しだ、いくぞ!」
「うへぇーい……。」
俺は棒になった足を引きずっておっさんの後ろを歩いていく。
「仕方ないな、肩貸すよ」
エルネストが俺の右側から肩を貸してくれた。
……案外いい奴だ。
これがイケメンの余裕というやつだろうか?
「あ、ありがとう。」
「はあ……」
モニカも溜息をつきながら肩を貸してくれた。
エルネストが肩を貸すので渋々といった様子が容易に見てとれる。
やっぱりあれか?
モニカはエルネストのあれな感じなのか?
俺は二人の助けを借りながらおっさんの後をついていった。
モニカの綺麗な髪が至近距離で揺れるたびに女の子のいい匂いがする。
(……少し変態っぽいな。)
まあいいさ、男なんてどうせみんな変態みたいなもんだ。
モニカのおかげで少し余裕ができたので、俺は歩きながら街の様子を観察することにした。
酒場、武器屋、道具屋、道の左右には中世ファンタジーに出てきそうな店が並んでいた。
すれ違う人々もみんなそれっぽい格好をしている。
いよいよここが異世界だと認めるしかなさそうだ。
(これで魔法があったら確定か。)
戻る方法はあるんだろうか?
無ければこの世界で一生を過ごす覚悟を決めることになる。
(この手の話は帰れないのがお約束だからなぁ……。)
仮にこの世界で生きていくとして、どうやって生計を立てようか?
元の世界の知識を活用してチート?
(俺、そんな知識ねえよ……。)
ある程度大人になってから異世界転移したならともかく、俺はまだ十七歳だ。
勉強熱心なわけでも特別優秀なわけでもない平凡な高校生が自分の知っている知識と経験を頭の中で並べてみても、この世界で役に立ちそうなものは見つけられない。
「もっと勉強しておけばよかった……。」
「どうしたの?」
急にがっくりとうなだれた俺に、横のモニカが怪訝な表情を浮かべる。
「いや、勉強の大事さって後になってからわかるもんだと思って。」
「ふーん……?」
まさかこの年齢でこんな年寄り臭いセリフを吐くことになるとは思わなかった。
モニカはピンとこなかったのか返事が曖昧だ。
「着いたぞ」
おっさんの声で俺達は立ち止まった。
「ここは……、教会?」
案内されたのは教会のような建物だった。
屋根の上には十字架の代わりに紋章のようなものが立っている。
少なくともキリスト教ではなさそうだ。
「疲れたー。」
教会に入ると、俺は入口の近くにある椅子に座らせてもらった。
「それじゃあ僕たちは別に宿を取ってるから、この辺で」
「ああ、ありがとう。」
「じゃあね」
エルネストとモニカが教会の外に出ていく。
モニカが手を振ってくれたので俺も手を振り返した。
女の子に手を振ってもらうなんて何年振りだろうか?
しかも美少女だ。
――が、しかしだ。
(別に宿ってことはあれか? 邪魔が入らない空間で美男美女が二人でそういうことか? キャッキャッウフフであんなこととかこんなこととか大人の階段上り放題な感じなのか? そうなのか? そういうことなのか? そういうことなんだな?)
「――しゃ様?」
俺の中で再び嫉妬の炎が燃え上がる。
やはりイケメンは存在自体が悪だ。
これはもうイケメンの名前を書くと殺せるノートとかを手に入れて昼夜を問わず名前を書きまくらなければなるまい。
「――うしゃ様、勇者様?」
イケメンでも非リアだったならまだ許そう。
だが彼女持ちだと?
(……許せん。)
ガチャ。
「……ん?」
唐突な手首の感覚に、俺は意識を現実に引き戻された。
いつの間にか両手に手錠がはめられている。
「……は?」
俺はわけもわからず顔を上げた。
目の前には知らないお姉さんが笑顔で立っていた。
おっさん達と同系統の服を着ている。
白と青だけで金色は入っていない。
多分この教会の人だろう。
視線を合わせ続けるのが恥ずかしかったので、俺は目線を下げた。
お姉さんの凶悪な胸を見たのは一瞬だけだ、一瞬だけ。
「えーと、すいません、この手錠は……?」
俺は目を白黒させてお姉さんと、その後ろにいるおっさんを見る。
「……今、私の胸を見てましたね?」
お姉さんが貼り付いたような笑顔のままで俺を問い詰めた。
「え? いや、別に……。」
内心でドキリとしながら、俺は慌てて目線を横に逸らす。
「見てましたね?」
お姉さんの声が冷たい色を帯びる。
俺は様子を伺うように上目遣いで顔色を窺った。
お姉さんは先ほどとは別人かと思うほどに侮蔑を込めた目で俺を見下している。
「そんな……、誤解ですって。」
突然の事態に混乱しながら、俺はこの名前も知らないお姉さんの誤解を解こうとする。
なんだこの状況は? 冤罪か? 冤罪だよな?
……いや、確かに胸はちょっと見てたけど。
「黙れ! 汚らわしい異教徒が!」
お姉さんが吐き捨てる。
取りつく島が無いとはこういうことか。
というか豹変しすぎだろ、このお姉さん。
「モンドさん。もう我慢できません、この罪人を牢屋にぶちこんで下さい。罪名は私に対する強姦未遂です」
「了解だ」
おっさんが楽しそうに笑いながら答える。
「ちょっと待った! 強姦なんてしてないじゃないですか?!」
それどころか痴漢すらしていない。
どうせ捕まえるなら逆に触らせて欲しい。
「ほらっ、こい!」
おっさんがここまでとは打って変わって乱暴な態度で俺を椅子の上から引きずり下ろして肩に担ぐ。
「イタッ! ちょっと待って! 待ってくれって! くそっ! この!」
手足をバタつかせて抵抗するも、モンドのおっさんの怪力の前には無力。
俺はそのままわけもわからず教会地下の牢屋にぶち込まれた。
★
牢屋にぶち込まれた次の日の昼頃。
俺は朝食として出されたパサパサのパンの残りを食べながら、これからのことを考えていた。
この後いったいどうなるのか。
食事を持って来た女の子に聞いても何も答えてくれなかったので、仕方無くパンと水だけという食事内容の改善を要望しておいた。
(さて、どうするかな。)
そもそもどうしてこうなったのか、正直まったく理解できない。
迎えに来たと言ってここまで連れてきておいて、冤罪で牢屋に入れる?
(意味がわかんねぇ……。)
あのお姉さんが異教徒がどうのと言っていたことから推測するに、たぶん過激派とか狂信者の類なんだろう。
正直言って厄介そうな連中に捕まった。
有無を言わせずに強引に牢屋に入れたことから見ても、正攻法で身の潔白を証明して解放されるのは多分無理だ。
強引に断罪されることは目に見えている。
魔女裁判ならぬ非リア裁判だ。
(手遅れになる前にここから逃げ出さないと!)
俺はパンの最後のひとかけらを口に放り込むと、通路に見張りがいないことを確認してから牢屋の鉄格子に手で力を加えてみた。
グッ! グッ!
(駄目だ……。)
鉄格子はびくともしない。
一つだけある窓の鉄格子も試してみる。
天井近くにある窓の向こうには地面が広がっていた。
ちょうどあの高さが地表らしい。
グッ! グッ!
(こっちもダメか……。)
早くも手詰まりだ。
俺は肩を落とした。
鉄格子の根本に止まっていた金色の蝶がのんびりと羽をバタつかせる。
……なんとなくバカにされている気がするのは気のせいか?
昨日の疲れが残っているからか、体がだるい。
(せめてあの剣があればなぁ。)
俺がいつの間にか持っていた剣は、あのおっさんに預けたままだ。
スプーンで穴を掘って脱獄したという話もあるくらいだから、あの剣があればどうにかなったかもしれない。
残念なことに食事にはスプーンもフォークもついてこなかった。
手掴みでパンを食べるのだから、お手拭きぐらいは付けて欲しいものだ。
……それも要望しておけばよかった。
ギィッ!
(ん?)
バタン! ……コツ、コツ、コツ。
扉が開く音がしてから誰かの足音が近づいてきた。
(やばい!)
俺は慌てて床に横になり、やることが無くて時間を持て余している振りをする。
やってきたのは食事係の子だった。
昨日の晩と今日の朝に続いて昼食を持ってきたらしい。
鉄格子の下の隙間から無言で食事が差し入れられた。
「お、スープがついてる!」
またパンと水だけかと思いきや、今度は具無しのスープがついていた。
……まあ、それでも微妙だけど。
とはいえ、まさか要望を聞いてもらえるとは思ってなかった。
これは嬉しい誤算だ。
案外話せば聞いてもらえるのかもしれない。
食事係の子が無言で立ち去った後、早速スープを飲む。
ささやかな希望と共に飲むコンソメスープはどういうわけか少し苦かった。
その理由がわかったのはそれから数十分後のことだ。
(さ、寒い……。)
俺は強烈な悪寒に体を震わせていた。
一枚しかない毛布にくるまり、摩擦熱を得ようと必死に手をこする。
だんだんと手足に力が入らなくなって痺れてきた。
「はぁ、はぁ……、はぁ……。」
徐々に体中が痺れ始めて呼吸も苦しくなってきたので必死に肩で息をする。
(苦しい……。やっぱり、さっきのスープか?)
その可能性が一番高い。
最初に少し苦いと感じた時点でやめておくべきだった。
せっかくのスープがもったいないと思って全部飲み干してしまった。
(終わるのか? こんなところで?)
悪寒と痺れ、そしてさらに死の恐怖が加わって体の震えを一層大きくする。
ガタガタと体中が震えて言うことを聞かない。
俺は既に血の気が失せた両手を見た。
(嫌だ、死にたくない……。)
俺は楽な体勢を求め、うつぶせになって体を丸めた。
本能的に、少しでも表面積を小さくして熱を蓄えようと試みる。
「はぁ、はぁ……。」
自分の呼吸音だけが時間の経過を告げ、それと共に徐々に死が俺を蝕んでいく。
そして最後の一瞬を自覚することも許されないまま、俺の意識は闇の中へと沈んでいった。
★
(暖かい……。)
意識が再浮上した後、最初に感じたのはそれだった。
仰向けになった体に降り注ぐ光が俺の全身に心地よい熱を与えてくれている。
意識を失う直前まで自分に起こっていたことを思い出し、俺はハッと目を開いた。
視界に入ってきたのは青空。
俺は体を起こして周囲を確認する。
「ここは……。」
一方には平野、もう一方には森、そして俺の傍には剣が無造作に横たわっている。
この世界に来た直後と同じ光景だ。
「さっきまでのは……、まさか夢か?」
だが俺は自分の独り言を脳内で即座に否定した。
いや、さっきまでのは夢なんかじゃない。
あんなはっきりした夢は見たことが無い。
いったい自分の身に何が起こったのか、それを考えようとおもむろに立ち上がった瞬間、閃いた。
「ループ……。」
俺の頭の中に浮かんだのは自分の好きなラノ――、小説ジャンルのことだ。
所謂ループもの。
トリップものともいうか。
どちらの呼び方が正解なのかはよくわからないが、俺はループと呼ぶ方がオサレな感じがして好きだ。
どういうものかと言うと、ようは死ぬたびに過去に遡ってやり直すというやつだ。
自分にもそれが起こったんじゃないか思ったわけだ。
「冗談だろ……。」
口に出して否定する。
冷静に考えればバカげた話だ。
元の世界なら頭のおかしい人間だと認定されるのはまず間違いない。
もう精神病院の白い部屋に投入されてプレアデス方面からの電波を受信しまくる生活になるだろう。
が、しかし。
ここはどうやら異世界だ。
寝て起きたらいつの間にか異世界に来ているなんて現象が本当に起こるのだとすれば、ループ現象も起こって不思議はない。
俺は何もない平野を見た。
ここが本当に異世界であれ、そうでないのであれ、俺がここで当面の生活を確保しなければならないことは変わらないだろう。
覚悟を決めなければならない。
そんな思いが俺の胸を満たした。
後になって振り返ってみれば、そんなことよりも複数の女の子に対して責任を取る覚悟をしておくべきだったのだろうが、もちろんこの段階でそんなことがわかるわけがない。